門人名簿「末永頼太郎」=牧師、俳人、起業家、福祉に尽力…多彩な経歴

2022年3月21日 更新

 

森琴石 門人名簿に名がある

末永頼太郎…について


★画家・牧師・俳人・企業人、資産家、福祉に尽力、多彩な人脈と経歴

★山口県は
 森琴石の交流者が多く、且つ足跡が多い(今後の調査課題)

●長三州=森琴石が尊敬した人物
   ・・ 森琴石の画室名<聴香読画蘆>の名づけ親

●高島北海
・・   ”正派同志会” の発起人(森琴石は評議員)
    ”南画同志会” メンバー
・・・・備考
・・・・南画同志会=
福岡県小倉市大阪町のち米町に移る)代表は間部霞山(萬里)
・・・・・・間部萬里(間部霞山)=南画同志会広島支部代表
・・・・・・森琴石 調査情報【平成20年 2月】 (morikinseki.com) 【2】注3)

  ・・・・
海関先生詠物詩集” 橋本徳著/間部萬里校正/印刷佐伯卓造(大正7年)
・・・・・・・橋本徳=橋本海関 (序文、識に情報)

●防府天満宮との関り・・・・・伊藤石僊(森琴石門下)

王治本の、下関での画業の成功は、森琴石の貢献による

 

高島北海
1850(嘉永3)年、萩藩医の子として萩で生まれ、絵を独学で学びました。明治維新後、新政府の工部省に入り、兵庫県の生野鉱山に赴任すると、外国人からフランス語や地質学、植物学などを学び、日本初の地質図となった山口県の地質図を作ります。その後、内務省や農商務省に移り、日本各地の地質や山林を調べました。やがてフランスのナンシー森林高等学校に留学し、植物学を学びます。そこで、後に美術運動「アールヌーヴォー」の担い手の一人となるエミール・ガレらナンシーの美術家たちと交流し、多くの日本画を制作しました。40代後半から画業に専念し、50代で上京すると日本画壇の重鎮として活躍しました。
晩年、自身が名付けた山口市・萩市の長門峡や、長門市の青海島、下関市豊田町の石柱渓などの景勝地の紹介や、その遊歩道の建設、自然保護にも力を尽くし、満80歳で亡くなりました。
(山口県の先人たち=公益財団法人 山口県ひとづくり財団)

 

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森琴石門人名簿

森琴石控帳より

明治30年11月
日本美術協会提出 門人名簿 下書き         右から2番目
              山口県長門国赤間関市 末永頼太郎 

明治30年1月 名簿下書き 吸波

・・・森琴石HP 門人紹介では
号名を ”吸江” と記述しているが、”吸波”の間違いだったようです
・・・

 

牧師 
出典=国立国会図書館次世代デジタルライブラリ―

『日本基督教会年鑑 大正7年』日本基督教会大会事務局 ・1926年刊)
各教会役員牧師伝道師  無印=牧師 〇教師 △伝道者 ●中会未入者

(五)山陽中会教会之部(115頁)
  豊浦
   末永頼太郎 同町(山口県豊浦郡長府町)土肥山
             末永頼太郎=豊浦2段目  
・・・・・・・・・・・・・・・   
 

豊浦 末永の部分(115P) 大7

 

俳人

長府図書館輯録
『長府の学者画家俳人略伝』 資料叢書  昭和53年刊

長府の学者画家俳人略伝 S53

俳人の部 (第26頁目に掲載)

〇吸波
味月庵、末永頼太郎
〇梅既に月を吐くべき景色あり
    ・・

長府の学者画家俳人略伝 吸波 俳句(26頁)

 

 

起業家

『西西部瓦斯株式会社史 』(1982年・135 頁)

明治 44 年 9 月 2 日付
『防長新聞』記事
「豊浦郡長府町末永頼太郎氏は、今回同町へ瓦斯事業を創設せんとて目下技手をして調査せしめつつあるが、資本金は約参万円の予定なり」

・・・・・・その他多数ありますが、省略します

 

福祉に尽力

中嶌 洋、 菊池 義昭氏論文より
1900 年と 1901 年の岡山孤児院の賛助員の 全国的な支援ネットワークシステムの構築の実態 … 160010410203nakashima_kikuchi-chukyo-u (3).pdf

中嶌洋 著 · 2021 — その他、 4 月 17 日には、 末永頼太郎が家族 3 人と釘光を同伴して来院して 2 円を寄付し、 釘光は 1 月に賛助金 7 円 90 銭を集金し取次いでいた。

王治本の下関での画業

『中国, 社会と文化 – 第 24 号』 2009 ·
・・陳 捷 氏の論文 172頁目
『1870~80年代における中国書画家の日本歴遊』より

森琴石は更に王治本一昨年、大阪で毎日奔走したが、いささかも収穫がなかったのに、昨年、自分とともに地方に行き、今も下関に行っているが収益は非常に大きいと述べているのである。

(注:森琴石と中国文人との筆談内容)

 

 

 

森琴石と山口県
 森琴石HP記述ヵ所

 

森琴石調査情報【平成20年 7月】
その後、山口県赤間関分店(現下関市 M19/7)に行き、明治21年に本採用された。以来、大阪茨木(M25)・広島(M31頃)・小樽(M40)・東京から大阪西支店(M45)へと転勤を …

 

森琴石調査情報【平成12年】
山口県下関市の長岡完治氏から、明治20年に赤間関(現下関市)で描かれた「山水図」の所蔵のご連絡を頂く。琴石は赤間関には度々訪れていたと伝えられている。

 

森琴石調査情報【平成22年 7月】
【3】栗田石癖伝

…森琴石が亡くなった半年後(1921年)、「栗田石癖」が下関を訪問した際、長府の覚苑寺で開催された“がまん会“には、森琴石門下の「末永頼太郎」が出席していた。

 

 森琴石調査情報【平成13年】
森琴石は、木戸孝允と深い関係にある長三洲(豊後日田生まれの漢詩家・明治の三大書家の一人)と親交していた。明治8年に、森琴石の画室名「聴香読画廬」の由来となっ …

 

森琴石「響泉堂」関係人物紹介
儒学 -順序は門下別とする-: 廣瀬淡窓(ひろせ たんそう) =広瀬淡窓: 廣瀬旭荘(ひろせ きょくそう)=広瀬旭荘: 長三洲(ちょう さんしゅう): 光吉文龍(み …

 

森琴石調査情報【平成23年 4月】
当ホームページでは「長三洲」や「福原周峰」らと交流があり、赤間関での足跡が多いなど、山口県との関わりが深い森琴石であるが、日本最古の天満宮※として …

 

森琴石調査情報【平成20年 4月】
「鼎金城」の師匠「廣瀬旭荘」が綴った「日間瑣事備忘」や、廣瀬旭壮が口述し、「長三洲」が筆記した「九桂草堂随筆」などからは師匠「鼎金城」や兄弟子「行徳玉江」の …

 

森琴石調査情報【平成19年 7月】
廣瀬旭荘から最も信頼され、晩年の旭荘を支え続けた「長三洲」は長州の出身で、日田「咸宜園」の門生となり、萩の明倫館で講学もした。「長三洲」と共に「木戸孝允」の …

 

森琴石調査情報【平成22年 5月】
広瀬旭荘に師事し、詩文に長じた。幕末の動乱期は旭荘の影響を受けて勤皇派に与し(くみし)国事に奔走した。長三洲とも深く親交する。明治に入り、大阪若松町に開塾し …

 

らんだむ書籍館
.. 文人画家としては、東京の安田老山と京都の中西耕石を頂点とし、東京の奥原晴湖、福島柳圃、長三洲、京都の田能村直入、谷口靄山、豊後の平野五岳などがあった。

 

森琴石調査情報【平成22年 1月】
楊守敬が題纂を冠し、三条実朝(序)・日下部東作(書)・長三洲の書にかかる川田甕江の序文・伊藤博文(題辞)・巌谷一六の筆にて中村敬宇の後序、跋文に岡本黄石・ …

 

森琴石調査情報【平成19年 12月】
・・・号を<小洲 ※>と云い、書を長三洲から学んだ。 ☆花卉・園芸を趣味とし、邸内に「百樹園」と名付けた花卉園を設け、多数の花卉と共に外来種の新種を栽培していた事で …

 

森琴石調査情報【平成20年 2月】
… 米華(長三洲門下・森琴石の日誌に名あり=門人:大阪市北区 鎌田梅石(四))・ … 小室翠雲=南画正統派を自任する南画家で結成された<正派同志会>の副委員長 …

 

 

 

 

 

 

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明治7年製・・・森琴石の「地球儀」

2022年2月12日 更新

 

新発見

明治7年
森琴石 ”地球儀” を銅鐫していた
 (現時点で)最も古い銅版作品か!

 

:  
森琴石の地球儀出現!(明治8年製)、同年実父は紙風船折り畳み地球儀を制作か? | 森琴石 What’s New (morikinseki.com) に関連します

 

 森琴石の著書や銅版資料
   まだまだ新しい発見がありそうです!!

 

★情報ご提供者
陳 捷氏東京大学大学院 人文社会系研究科 アジア文化研究専攻 教授)

旅する書物を追って中国から日本にやって来た研究者。| UTOKYO VOICES 082 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)

北京大学中国語言文学系修士課程を修了後、同大学で専任講師を務め、1994年に来日。慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、東京大学東洋文化研究所で研究に従事し、1995年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東アジア思想文化専門分野)博士課程に入学。2001年博士号取得。日本女子大学人間社会学部文化学科助教授や国文学研究資料館研究部教授などを歴任し、2017年より現職。日本と中国の書籍文化・学術交流史を研究している。

★今春、陳捷先生 及び 呉 孟晋先生(京都大学人文科学研究所 准教授)のお二人が、
「来泊清人と森琴石」をテーマにした論文を発表されます。

 

情報源
国立国会図書館図書局書目 納本之部坤 内務省図書局 1883

森琴石の地球儀
明治7年 1基
明治8年 2基

 

画像(国立国会図書館 次世代デジタルライブラリ―)

左頁5番目                     右頁 8番目
 銅鐫翻刻 地球儀 森琴石校正 明治8年刊      銅鐫翻刻 地球儀 森琴石校正 明治7年刊
6番目
  地球儀 
森琴石校正 明治8年刊

森琴石 地球儀

 

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森琴石と地球儀

 

地球儀
明治8年製

森琴石の地球儀出現!(明治8年製)、同年実父は紙風船折り畳み地球儀を制作か? | 森琴石 What’s New (morikinseki.com) に記述しています

森琴作成作成の小型地球儀 明治8年刊
【サイズ】高さ約19cm 幅約10.5cm    箱入り

森琴石地球儀 明治8年  奥付

 

地球儀奥付

森琴石地球儀 奥付

 

 響泉堂刻書誌

明治10年5月新鐫
菅野菊誉訳『万国地誌略字解』表紙

 

情報源
響泉堂銅版貼交帖
画像ご提供=熊田司氏(美術史家・前和歌山県立近代美術館館長)

画像
明治10年5月新鐫
菅野菊麿訳『万国地誌略字解』

響泉堂銅版貼交帖肖像2a

 

 

 

 

 

 

⇖ 国立第5銀行  手形引替書の試摺

左上の画像を拡大したもの

 

・・・世界地図、地球儀で授業~教師は外人か?・・・

響泉堂銅版貼交帖肖像2a - コピー - コピー (2)

発兌書林 松永伝兵衛 田中万助
河内国若江郡八尾村第22番地
大阪第一大区高麗橋2丁目16番地

大坂南本町4丁目 響泉堂刻


メモ
『森琴石作品集』の末尾にある年表の中
明治6年の項目には、東京に行き高橋由一に西洋画法を学ぶ、
大坂洋学校の…訓導…を任命される(この分再検証が必要)・・・とある

個人の見解ですが、森琴石の周辺には教育者や科(化)学者、医学者(外人を含む)ら多様な職業の人物がおり、次世代を担う若人には、広く世界を知る必要があると、(地球儀)を手掛けたのでは?とも思われる。

 

★尚「響泉堂銅版貼込帖」は森琴石の”維新の貴重な情報源” です
例 渋沢栄一が開業した「大阪第一国立銀行」の小切手試摺,
明治6年5月、薩摩(指宿)の豪商 浜崎太平治(第8代目)が発起人となり、大阪で開業した{国立第五銀行}の手形引替書の試摺、三井銀行の証券試摺など銅刻している。
⇒周辺に、日本、大阪などの経済界をけん引した
人物の存在がありそうだ。

 …第五国立銀行 参考=2502_p071.pdf (kyushu-u.ac.jp)

 

 

 

 

 

 

 

 

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森琴石とキリスト教:ニコラス・マクラウド著『日本古代史要約 挿図集』…森琴石,肖像画を担う 

2921年12月18日 更新

 

森琴石とキリスト教

ニコラス・マクラウド著
『日本古代史要約 挿図集』(明治11年)
  森琴石,  肖像画を担う

 

・・・・・・・・・
耶蘇誕生図…口絵=森琴石刻
『新約書伝』(明治13年)

『新約書伝』 (扉 明治13年) 『新約書伝』  口絵‐耶蘇誕生図‐(明治13年)

響泉堂書誌 聖書にも及ぶ
『新約書伝』…「キリスト誕生図」は森琴石刻 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)
塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期 大阪のキリスト教会創設メンバーだった
森琴石塾生「河村学而」=成瀬仁蔵の妻の叔父
森琴石塾生「米津菱江」=画家、教材製作、宣教師として活躍

           

ニコラスマクラウドの著書
『Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan』, Including  Illustrations to the Guide Book, Collected and Arranged by N. McLeod      ・・・・・・・Published by Kioto (Kiyoto), 1877

 ニコラス・マクラウド著
『日本古代史要約 挿図集』肖像画 

  『森琴石作品集』銅版画編の肖像画と 一致
・・・・・・・    
・・・熊田司氏蔵「響泉堂等銅版画貼込帖」肖像画と 一致

 

ニコラス・マクラウドとは
●スコットランド出身の宣教師で
日本政府の用命で日本各地を巡る(12年間)…慶応3年頃~明治11年はじめ

 

●1875年(明治8年)
初版
『Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan』を出版

“日本人がイスラエルの失われた10支族の子孫である”
  という持論をまとめ長崎で(日の出書房)出版、スコットランド自由教会の
”ウィリアム・マッケンジー” に献辞した。 (マッケンジーの肖像画は下方)

     自由教会(Free church)
      国教会に対し、教会の自立を確保した教会。
      日本のプロテスタントは、主に自由教会の宣教師によって伝えられた。
・・・・・・・(ウェブリオ)

●3年後
1878年(明治11年1月)
・・・第2版
・・・ 銅版画を多数挿入し『Illustrations to the epitome of the ancient history     of Japan Including  Illustrations to the Guide Book,
・・・・・Collected and Arranged by N. McLeod
を京都で出版、

日ユ同租論の元になる書誌として、後年世界中に知れ渡る。
・・・(日ユ同租論については、下方の備考をご覧ください)

現在、日ユ同租については、遺伝子学的には完全に否定されています。
一方、日本の神道とユダヤ教では共通点があるという説があります。
・・ 『日ユ同祖論』の根拠?ユダヤ教と日本の神道の10の共通点 (urarekishi.com)

●第2版の序文

ニコラス・マクラウドは、
   挿画の銅版画が
   銅版画コレクションとして価値がある と 記述

●森琴石は維新前後の人物肖像図を担ったが、写真を基に銅刻したと思われる。
アイヌ像・副島種臣・鍋島直正・松本良順
・徳川亀之助(家達)・水戸民部卿(後の徳川昭武)など。

●写真はニコラス・マクラウドが提供したものと思われ、マクラウドの周辺の人物をうかがい知る事ができそうです。

●肖像画は、維新の写真史とも関連する可能性があり。その一人に写真師「内田九一」があげられます。

参考論文
中島徳博氏
関西写真家たちの軌跡100年 写真展図録「関西の写真」2(幕末から明治)中島徳博 (komma.jp)
森重和雄氏 photographer_biographies52.pdf (jcii-camera.or.jp)

 

●書誌の概要、画像は下方にあります。



お詫び
   力量不足・準備不足の為、編集が上手くいきませんでした。
   お見苦しい事、お詫び申し上げます。

 

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「響泉堂等銅版画貼込帖」について
・・熊田司氏所蔵資料
・・森琴石の書物意匠、証券・小切手類、印紙、商標類、引き札等の
・・銅版画の試し摺を多数貼り込んだ ”森琴石手製の画帖”

・・『森琴石作品集 銅版画編』
・・・熊田司氏 論文 ー銅版画師響泉堂をめぐって― p145~168
 ・・ (貼込帖はについてはp148p~p151 に詳述)
   森琴石の商標類=森琴石 調査情報【平成23年 1月】 (morikinseki.com)に紹介しています

★熊田司氏=(美術史家・前和歌山県立近代美術館館長)
・・もっと知りたい 佐伯祐三』(東京美術)が、12月22日ごろ発売されます。
・・ 楽天ブックス: もっと知りたい佐伯祐三 – 熊田 司 – 9784808711979 : 本 (rakuten.co.jp)

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画像資料

熊田司氏蔵
「響泉堂銅版画貼込帖」より

 

肖像画紹介
・・(画像のみ、図の説明は省略させて頂きます)

響泉堂銅版貼交帖肖像1a    響泉堂銅版貼交帖肖像2a 

響泉堂銅版貼交帖肖像3

響泉堂銅版貼交帖肖像4a  響泉堂銅版貼交帖肖像5

 

画像比較

a                                 b                                                  c                                        d
『森琴石作品集』  響泉堂貼込帖=熊田司氏蔵     bと同じ             『日本古代史要約 挿図集』
a,b にウィリアム・マッケンジーの肖像画あり                   

肖像画 2 精度高 響泉堂銅版貼交帖肖像2a 響泉堂銅版貼交帖肖像1a イラスト 2

 

ウィリアム・マッケンジー の肖像画

熊田司氏蔵
「響泉堂銅版画貼込帖」より
 
        1868年撮影の写真(日本の慶応4年or明治元年)を
                   明治10年頃(1877)森琴石が銅刻した
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
REVa  WILLIAM MACKENZIE
LATE  OF  NORTH  REITH FREE CHURCH  SCOTLAND
ENGRAVED  FROM  PHOTGRAPH  TAKEN  IN  1868

ウィリアム・マッケンジー像

WILLIAM MACKENZIE

・・・・・・・      ・・・・・

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『Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan』,   Including  Illustrations to the Guide Book,
Collected and Arranged by N. McLeod 
     ・・・・・・・
     Published by Kioto (Kiyoto), 1877

『日本古代史要約 挿図集』
ニコラス・マクラウド著
 1878年出版・京都

  ★別タイトル…日本古代史の縮図(イラストを含む)』・『日本古代史概要 図会』等

概要(但し森家での確認・誤りもあります)

著者     ニコラス・マクラウド
刊行年月日  1878年(明治11年)・京都
装丁など   ハードカバー・大福帳仕立て
サイズ    27,5x17,5cm
頁数     92頁(内挿図85頁分)
銅刻者(刻記があるもの)
       森琴石=「響泉堂等銅版画貼込帖」に基づく
      石田有年・石田蔵版・雨麦亭・瑞光堂・山本伊三郎衛充・山本鐫・東京寿石

画像(森家蔵)
 1878年刊(明治11年)

①表紙                 ⓶表題

表紙  1

 

⓷序文

2 序文 (2)

訳=鈴木俊夫氏

序文

  私は、日本への滞在を3か月延長したが、それはひとえにこの著書を仕上げるためであり、その目的は2年前に長崎で刊行した著書に補足材料を与えるものである。

  本作は、もとの役割である補足材料としての価値とは別に、日本の題材を現地の作家が描いた銅版画のコレクションとして、それ自体に価値があると願っている。

  銅版画は、日本で最高の芸術家達による作品だが、彼らが外国語に慣れていないので、
出来栄えが完ぺきとは言い難い。

                                                                                                                          N・Macleod.
           1878年1月、神戸

 

略語の説明 
    E.P.P. 概要の掲載ページ
    B.T. 仏教寺院
    S.T. 神社

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★翻訳者 鈴木俊夫氏
・・・・・滋賀県大津市在住。山形大学客員教授。元米国化学企業の研究者。
・・・・・英国に1年半、米国に23年在住。英語に関する著書4冊。

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その他の画像(1~9 頁順)

(歴代天皇)の墓へのガイド  ⑤           ⑥
(所在地リスト)
  序文の次   文章 1   文章 2

 イラスト最初の頁      ⑧イラスト2頁目
・・・・・・・・・・・・・  肖像図=森琴石   

  イラスト 1   イラスト 2

      

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

備考
ニコラス・マクラウドは お雇い外国人 だった かもしれません
響泉堂刻『軽罪違警罪刑律加減表(明治13年11月)』=旧刑法制定年に発行 の 最下方に記述


 ニコラス・マクラウド について

①ウィキペディアより

  1. ニコラス・マクラウド(Nicholas McLeod)
    1863年―1889年 
  1. 別名 ノーマン・マクラウド   Norman McLeod)
  1. ニコラス・マクラウド(英: Nicholas McLeod、fl. 1868年 – 1889年)は、
    スコットランド・スカイ島出身の人物で、日本人がイスラエルの失われた10支族の子孫であるという彼の理論で知られていた。
  2. テューダー・パーフィット(英語版)はマクラウドの職業について、彼が宣教師として日本に来る前は、ニシン業界に身を置いていたと述べている。
  1. マクラウドは
    1875年に長崎で『日本古代史の縮図』(表題:日本とイスラエルの失われた部族)、
    1878年に京都で『Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan』(イラストを含む)を制作し、出版した。
  1. これらの本の内容は、日本の聖職者階級がイスラエルの失われた10支族の子孫であるということだった。彼は、日本の最初の知られていた王がオセーと呼ばれ、紀元前730年に王位に入って、紀元前722年に死亡したイスラエルの最後の王ホセアと彼を識別したと主張した。 本書には、古代イスラエルと日本のつながりの証拠として、ユダヤ教と神道の宗教儀式の広範な比較が含まれている。
  1. マクラウドは、1875年に出版された『日本古代史の縮図』をウィリアム・マッケンジー (スコットランド自由教会)に献辞した。   
    William Mackenzie The Free Church of Scotland
  1. 19世紀、明治時代初期の日本に約12年滞在したスコットランドの商人。明治政府のために働きながら、日本各地をめぐり歩き、やがて「日ユ同祖論」(日本・ユダヤ同祖論)を説くようになった。その著『日本古代史の縮図』(1875年/明治8年)は、日ユ同祖論の最初の古典として有名。

⓶ユニオンペディア より
日ユ同祖論 – ユニオンペディア (unionpedia.org)

ニコラス・マクラウド(英: 、fl. 1868年 – 1889年)は、スコットランド・スカイ島出身の人物で、日本人がイスラエルの失われた10支族の子孫であるという彼の理論で知られていた。

別名はノーマン・マクラウド(英: )。
マクラウドの職業について、彼が宣教師として日本に来る前は、ニシン業界に身を置いていたと述べている。

マクラウドは1878年に『日本古代史の縮図』(表題:日本とイスラエルの失われた部族)や、京都で『Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan』(イラストを含む)を制作し、出版した

“Rare Books – Important Acquisitions – Illustrations to the Epitome of the ancient history of Japan, including illustrations to the guide book”, National Library of Scotland website, 2004 (?), http://www.nls.uk/collections/rarebooks/acquisitions/singlebook.cfm/idfind/416。

これらの本の内容は、日本の聖職者階級がイスラエルの失われた10支族の子孫であるということだった。

彼は、日本の最初の知られていた王がオセーと呼ばれ、紀元前730年に王位に入って、紀元前722年に死亡したイスラエルの最後の王ホセアと彼を識別したと主張した。

本書には、古代イスラエルと日本のつながりの証拠として、ユダヤ教と神道の宗教儀式の広範な比較が含まれている。

マクラウドは、1878年に出版された『日本古代史の縮図』をウィリアム・マッケンジー (スコットランド自由教会)に献辞した N. McLeod。.

日ユ同祖論
日ユ同祖論(日猶同祖論、にちゆどうそろん)は、日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)は共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族であるという説。

スコットランド人が滞日中の明治時代に著した論を発端に、一部の日本人とユダヤ人によって提唱されている説。
英ユ同祖論など、ユダヤ人と他民族文化を関連づけて論じる多数あるユダヤ人同祖論のひとつ。
古代イスラエルの12部族とは、ルベン族、(シメオン族)、レビ族、ユダ族、(ダン族)、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族(マナセ族、エフライム族)、ベニヤミン族を指す。
一般によく認識されているユダヤ民族の祖は、第4族ユダ族と第12族ベニヤミン族に第3族レビ族を加えた3部族であり、失われた10支族から省かれる。

古代イスラエルの失われた10支族とは、ユダヤ民族を除いた、ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族(マナセ族、エフライム族)を指す。
第9族エフライム族、第5族ガド族、または第7族イッサカル族の数人が日本に、第11族ヨセフ族(マナセ族、エフライム族)はエチオピアに移住したという説がある。

 

               

虎 下絵 森琴石「虎}下絵 (91,5cm x 37,5cm)

 

 

♥    2021年も、残り少なくなりました。
今年も森琴石ホームページを閲覧頂き
誠にありがとうございました。

2022年は、穏やかな年でありますよう
心より願っています。     

 

 

 

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