森琴石塾生「河村学而」=成瀬仁蔵の妻の叔父

2021年6月13日 更新

前回
塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期 大阪のキリスト教会創設メンバーだった | 森琴石 What’s New (morikinseki.com) の続き

 

河村学而は

●森琴石 明治9年4月時点{塾生}の一人

●明治初期 大阪のキリスト教会の創立メンバーだった。

 浪花公会
時期:明治10年1月
  メンバー:前神醇一、丁野大八、その妻なか、杉田潮、小泉敦、その妻ぜん
・・・・・・・西純一、
米津綾江(米津菱江)、綱島佳吉、河村学而、俣野マスの11名
・・・牧師:沢山保羅

 天満教会
  時期:明治11年2月
  メンバー:小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一
       福谷新七、妻ゑん、中島みき等の浪花公会員9名
・・・・牧師:沢山保羅

服部直
新島襄と親しくした。 神戸や大阪に伝道活動後、明治14年に北海道浦河西舎に入植、そこが後に農林省の種馬牧場に召される。農業の傍ら聖書の販売をしていた。
妹の満寿枝は成瀬仁蔵と結婚、弟の服部他之助は浪花教会の会員で、新島襄と親交。アメリカ留学の後に同志社に入学、卒業後学習院初等科の教師となる。
柳宗悦は学習院時代、師の服部他之助を尊敬し、キリスト教の信者になったという。
※ご子孫のブログに詳細記述あり ➡我が家のルーツの話 : ねこや食堂日記 (exblog.jp)

小泉敦、沢山保羅=田島藍水の3人の娘と縁あり
姫路藩儒者田島藍水の長姉ぜんは 大阪の梅花女学校校主小泉敦と結婚、次姉多可は同校校長沢山保羅とそれぞれ結婚、長姉ぜんが八〇年に病死した後、小泉敦は3女の佳志と再婚
(『川口恐竜地の研究』ほか』

●成瀬仁蔵没後100年記念 成瀬仁蔵書簡展史料に”河村学而”の書簡が存在

…書簡の備考に、河村学而は<服部満寿枝の叔父>と書かれている。(下方に出典資料)

…成瀬仁蔵は日本女子大学を創設した人物で、妻の服部満寿枝は、天満教会創立メンバーの「服部直一」の妹である事が判明。

…成瀬仁蔵は20歳の時、所属していた大阪・浪花教会の組合教会らの運動で設立された「梅花女学校」の生徒だった服部マスエ(満寿枝)と明治12年に結婚した。
…服部満寿枝は、NHK朝ドラマ{
朝が来た}の鳴沢カナの実在モデルらしい。

…成瀬仁蔵が日本女子大学を創設する際、大隈重信は設立委員長を務めた。
我が家の祖母梅子の父、入江俊次郎大隈重信の側近中の側近者だった。

森琴石ホームページ 記述ヵ所

森琴石調査情報 平成13年1月
森琴石 調査情報【平成17年2月】

森琴石 調査情報【平成17年8月】
調査情報 平成18年3月
調査情報 平成18年5月
調査情報平成19年12月
調査情報平成20年8月
家族係累  https://morikinseki.com/kinseki/keirui.htm


●福岡哲司著『深沢七郎ラプソディー』に、深沢七郎が河村学而に宛てた書簡が紹介されている。

(下方に書誌抜粋文あり)

…書物の内容から、河村学河は晩年甲府に住んでいたらしい。七郎が河村学而に宛てた書簡は、昭和23年4月だった事から、河村学而はかなり長寿だった。(明治9年時点で河村学而が20歳として、72年後の昭和23年は92歳)
…ただし、書物の内容から察するに、90歳前後でNHKのアナウンサー、というのは辻褄があわない。もしかすると{学而」名を世襲したご子息かも知れない。

…深沢七郎は河村学而を尊敬の念を抱き「河村学而仙人大兄」と呼称した。

…河村学而は仙骨を帯びた老人と思しく、森琴石の風貌に似ているかも・・・と ふと思った。

…深沢七郎の父は活版印刷を生業にし、その為七郎は早くに印刷技術を覚え、自身の詩や小説を冊子にしていたという。

●河村学而については、今後新たな資料が出次第、当頁内にて追記し、際立った情報の場合は 新たにご紹介させて頂きます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 森家資料

①-1 森琴石妻ゑい葬儀録(森家)
(明治9年4月10日、森琴石30歳 妻ゑい24歳)より

諸事控 表紙 (3) 5 内山他 塾 河邨 米津 メモ 住所・氏名 米津 河邨 若林 三宅 9 焼香順② 河邨 米津 吉川
              
 ⇖河邨学而=河村学而 ⇖ 
        ⇑河村学而

①-2 森雄二住所録 (森琴石長男・三井銀行勤務 30年代後半)

 

大隈重信        入江俊次郎(雄二の妻の父)
東京牛込早稲田 大爵隈伯  東京牛込区早稲田大隈邸 入江俊次郎          左から2人目              左から3人目

 大隈重信 住所    入江俊次郎 住所

※入江俊次郎の隣、入江貞次郎の住所は{副島侯爵邸}
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・副島種臣と思われる

書誌資料
『遊行する牧者: 辻密太郎の生涯』 - 47 ページ
   杉井六郎著/1985年9月16日/教文社刊…46頁末~47頁5行目)

明治10年(1,877)1月20日、大阪の高麗橋4丁目心斎橋筋東北角の志摩三紹介に設けられた松村(矩秋出張診察所内に 梅本町公会大阪教会から転会した前神醇一、丁野大八、その妻丁野なか、杉田潮、小泉敦、その小泉妻ぜん、西純一の7名と、 この日、宣教師レビットから洗礼をうける米津綾江(米津菱江)綱島佳吉、河村学而、俣野マスの4名を加えて、11名が教会創立メンパーとなり、澤山保羅を牧師招聘し、澤山の按手札ならびに就任式がおこなわれて設立された。 

 

天満教会百年史』創立100周年記念
(1979年11月11日/編集:天満教会百年史刊行委員会/発行:日本基督教団天満教会 牧師壷井正夫)

第1章 天満教会の設立以前     第5頁~6頁
1、創立使途行伝と沢山牧師の時代
      初の聖書香議会と9名の創立者
明治11年2月(1878年)初めて北区地下町6番地(現 南森町1丁目)中村ひさ方に聖書講義会を開き、毎木曜日にレビット宣教師並びに浪花公会員小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾と辻蜜太郎等が応援に来て熱心に伝道した。
同年4月天満橋北詰西の辻北入るの地、空心町1丁目(現、天満2丁目)福谷新七宅に移り、更に転じて竜田町(現、天満3丁目)の医師宅を借りたが数か月にしてまたもや福谷新七宅に戻り集会をなすよりほかはなかった。丁度その時、その近くにあった旧尼崎藩屋敷(古町名、天満11丁目、旧、天神橋筋1丁目、現、天神橋1丁目)が空き家であったので暫時借り受け講義を続け、大いに伝道に尽力されたが、暫時の約束のため再び福谷新七宅に戻り、更に天満橋筋1丁目22番地(現、天満1丁目)藤川某の家を借りるなど流転の苦しみのうちにその年が終わった。

 天満橋教会の設立

明治12112(1879)、新しい年を迎えて かねてより専任牧師の必要を痛感していたところ、小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん、服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾の9名により「天満橋教会」を設立し、浪華公会牧師沢山保羅に兼牧を願い ここ「天満の地」に教会が誕生した。然し僅か6家庭の会員で教会を維持する事は至難なことに違いなかった。その上、家主藤川の破産夜逃げに出会って難渋し、再転して土浦某方に移り、更に僅かの間に滝川町鳥居筋南へ入る東側(現、天満4丁目)某氏宅にて集会を続けたが、その隣家に茶道師匠がいてそこへ来る天満宮の神官等がいつも伝道の妨害をなし、なお足りずに家主を脅かして家の明け渡しを迫る等、ここにも居たたまれず途方にくれ、ようやく、古町名、天満7丁目(旧町名、滝川町、現、天満4丁目)北大組第4小区小学校隣の木屋座敷を借りたが、ここも迫害にあい追われるなど、当時の状況は追想してみると言語に絶する困難を極めたであろう。それにも拘わらず、このような有様のうちに最初の兄姉の受洗者3名を与えられ、さらに驚くべき事に設立草創期の天満橋教会の状況は、「1880年度宣教師レポート」の記するところによれば、明治1117日 開校式をあげた梅花女学校のために、下表のとおり献げており、その情熱は驚くはかない。
 後文略す 


『啄木覚書 未発表書簡をめぐって
(川並秀雄著 /1981年)
204頁14行目~206頁5行目

前文略

くろがねの窓にさしたる日野影の
移るを守りけふも暮しぬ
管野須賀子については、啄木研究家の清水卯之助氏が「啄木と賢治」第十一号並びに第十三号に詳細に紹介されたが、私もふとした縁で菅野須賀子が生まれたすぐそばの大阪市北区樽屋町二〇日本基督教団天満教会で、菅野がこの教会の会員で、日曜学校の先生をしたり、週報に菅野幽月という署名で執筆していたことがわかった。この教会は明治十一年二月、小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一、福谷新七、妻ゑん、中島みき等の浪花公会員九名が天満地域の伝道のため迫害に耐え、明治十二年一月十二日、天満橋教会を設立したのに始まる。初代牧師は沢山保羅で、浪花教会の牧師と兼任した。沢山は明治初期における基督教教育の先覚者で自給独立の教会形成を主唱した人である。二代目の牧師は、有名な浮田和民(1859~1946)で、浮田は熊本洋学校、同志社、エール大学に学び、法学博士となって早大教授、雑誌『太陽』の主幹となって明治・大正の言論界に活躍した人である。                


『深沢七郎ラプソディ 』
61頁~63頁  第3回開高健賞奨励賞受賞作品
(福岡哲司 著/1994 /株式会社ティビーエブリタニカ)

七郎はアーティスト兼プロモーターを引き受けていた。七沢八郎は、のちに東京交響楽団のヴァイオリニストとして活躍する。ギターの演奏で付き合いのあったNHKの甲府放送局のアナウンサーで、七郎に言わせれば「おとぎの国の魔法使いのように、いずかたともなく現れくる妖しのかた」河村学而宛に、七郎はこんな手紙を書き送っている。

 毎日毎日、ヒヨコのおさんどんで、菜っ葉を切ったり、かごのお掃除で、可愛い孫の世話をしているようです。ヒヨコわ(ママ)可愛いゝな! いい黄色いおべべに黄色いくちびる! と大兄の予想通りの自由な、しずかな、その日その日をすごしています。     
この世を有難がらない小生わ(ママ)、この二三年をポカンとしているのです。でも愛する楽器を抱いて、ときどき幻想の世の中に飛んで行けるので、これだけは、皆さんにうらやましがられています。
去年、使用絃の試験の折わ(ママ)いろいろとお世話様になりました。あの時、大兄の言われた「一緒に研究しなしょう」の御言葉を得たとき、「まあ! こんなよい声をきかせてくれる人間様が甲府にも、あゝ僕の周囲にいたのかしらん?」と、不思議な響に感じました。それほど僕わ(ママ)人々共に期待しない男だったのです。でも、大兄を知ったことをこんなに喜んでいるのですから、どうか、これからお友達になって下さい。

省略

春はあけぼの、家のすぐそばわ(ママ)土手で、わたくしわ(ママ)草刈り鎌を持って、万葉を思いながら、やわらかい草を刈りつゝあさのひとときをこよなくとらえて、讃美しています。(略)(昭和23・4・10)
手紙をもらった際の河村の気持ちは聞きそこなった。末尾は「あやしのひと河村学而大兄仙人の弟子にも似たる深沢七郎」となっている。

深沢七郎
(1914-1987)山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年『楢山節考』で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。『東北の神武たち』『笛吹川』などを発表するが、1960年の『風流夢譚』がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、1979年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞 (新潮社 深沢一郎著者プロフィール)

 

福岡哲司
1948年(昭和23)、甲府市生まれ。山梨大学教育学部国文科卒。県立高校教諭から山梨県立図書館長、山梨県立塩山高校長ほかを歴任。94年、『評伝 深沢七郎ラプソディ』(ティー・ビー・エス・ブリタニカ)で第3回開高健賞奨励賞を受賞。著書『本の本』(山梨ふるさと文庫)『近代山梨の光と影』(山日ブックス)など。「文芸思潮」エッセイ賞選考委員。都留文科大学非常勤講師。(はてなブログタブ より)

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塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期 大阪のキリスト教会創設メンバーだった

2021年5月10日 更新

 

森家控帳…森琴石妻ゑいの葬儀録 より

塾に名
河邨学而(河村学而)・米津菱江

  大阪・明治初期の  クリスチャンだった

 

 

what’s new
響泉堂刻の書誌、聖書にも及ぶ(  )
『新約書伝』…「キリスト誕生図」は森琴石刻 )
でご紹介しましたが、森琴石が『新約書伝』の口絵を銅刻していたことから、琴石の周辺に、キリスト教関係者の存在を確信していた。

『旧新両約聖書伝. 2編1』
     ベルナルド著・小島準治 訳・竜章堂・明治13年(1880年)
・・・・・・・・・・・・・・口絵 【耶蘇誕生図】=大阪響泉堂銅刻

『新約書伝』 (扉 明治13年) 『新約書伝』  口絵‐耶蘇誕生図‐(明治13年)
             画像ご提供=熊田司 氏((前 和歌山県立美術館館長・美術史研究家)

森琴石 調査情報【平成18年 9月】 (morikinseki.com) で取り上げましたが、
明治9年4月10日に亡くなった森琴石の妻 ”ゑい” は、森琴石の2番目の妻であり、我が森家の実曾祖母にあたります。

■曾祖母”ゑい”の葬儀の記録がまとまって残っており、当時の森琴石の親族や近しい人物を知る貴重な資料でもあります。

■<諸事控>の焼香順という項目に【塾】という文字が書かれています。
そこには10人の氏名が書かれ、その筆頭の 河邨学而(河村学而)・米津菱江は、大阪の明治時代初期のキリスト教の信者で、浪花教会天満教会の創設に関わっていた事が判明しました。

■明治初期、大阪のキリスト教は、川口の居留地に住む宣教師が広めていったそうです。布教活動の経緯、場所、関わった人物は非常に複雑で、当ブログではお伝えすることは出来ません
旧川口居留地 – Wikipedia ウィキペディア

■河村学而・米津菱江は布教活動を通じ、新島襄や内村鑑三らとも接点があった。

■森琴石と親しかった永田方正は明治6年,日本人で最初に「新旧約聖書」を翻訳した。

■森琴石の親交者緒方維準は、明治42年4月天満教会で受洗、同年7月永眠した。
緒方銈次郎は天満教会の理事職を長年務めた。
調査情報:平成17年1月

■親交のある岡山県井原市の柴原宗助は、新島襄の影響を受けクリスチャンになった。
調査情報【平成18年 7月】 

我が家の祖母「梅子」の身内である「石井亮一」は、敬虔なクリスチャンであり「滝乃川学園」を創設し、日本における障害者の福祉と教育の草分けとなった人です。

森琴石 調査情報【平成20年 8月】 (morikinseki.com)
【1】注2
※「石井亮一」=佐賀藩士石井忠泰の三男
石井家=森家祖母「梅子」の実家、佐賀藩入江家と石井家は、互いに養子縁組をした家系⇒係累「久米邦武」の末尾に少し記述

森琴石の銅刻書誌『康煕御製 耕織図(明治15年)』の奥付によると、
明治15年、森琴石の住所は<高麗橋3-20-6>であり、「浪花教会」が建てられた住所とはかなり近いようだ。(浪花教会の現住所=大阪市中央区高麗橋2-6-3)

■米津菱江(別号方舟)・河村学而については、次回 別途資料でご紹介せさて頂きます。


 

書誌資料

①『遊行する牧者: 辻密太郎の生涯』    47 ページ目
   杉井六郎著/1985年9月16日/教文社刊…46頁末~47頁5行目)

明治10年(1,877)1月20日、大阪の高麗橋4丁目心斎橋筋東北角の志摩三紹介に設けられた松村(矩秋)出張診察所内に 梅本町公会大阪教会から転会した前神醇一、丁野大八、その妻丁野なか、杉田潮、小泉敦、その小泉妻ぜん、西純一の7名と、 この日、宣教師レビットから洗礼をうける米津綾江(米津菱江)、綱島佳吉、河村学而、俣野マスの4名を加えて、11名が教会創立メンパーとなり澤山保羅を牧師招聘し、澤山の按手札ならびに就任式がおこなわれて設立された。  (注:陵江は菱江 著者の記述誤りと思われる)

 

②『日本基督教団天満教会百年史』  4ページ目
天満教会百年史刊行委員会編集/日本基督教団天満教会 牧師 壷井正夫 発行/昭和54

明治11年2月(1878年)初めて北区地下町6番地(現 南森町1丁目)中村ひさ方に聖書講義会を開き、毎木曜日にレビット宣教師並びに浪花公会員小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん、服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾と辻蜜太郎等が応援に来て熱心に伝道した。

 

③『啄木覚書 未発表書簡をめぐって』 google book スニペット表示による
  川並秀雄著  1981年
…未発表書簡をめぐって移るを守りけふも暮しぬ管野須賀子については、啄木研究家の清水卯之助氏が「 … この教会は明治十一年二月、小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一、福谷新七、妻ゑん、中島みき等の ・・・・・次回ご紹介

 

④ webサイト 新宮キリスト教会の活動 (urikomail.jp)
… 1883(明治16)年7月、浪花教会会員で文人画家の米津方舟(よねずほうしゅう)と、聖書販売でやってきた山本周作とが、馬町の寄席でキリスト教演説会を開いた。これが新宮でのキリスト教伝道集会の初め。
翌年の6月には、大石余平らの努力で、キリスト教会堂を建立。

 

森家資料

森琴石妻「ゑい」葬儀時の記録

以下資料中水色塗りつぶしの氏名者は、教科書や地図、画譜等の著出版をした

・・・・・・・・・・・・・・・・右端(袋状)
               ・・・・ 明治九年第四月十日午前十一時五十分臨終
右から2番目              ・・釈尼妙融葬式一件
 葬式 明治第九丙午年             俗名 ゑゐ 二十四歳
    諸事控帳              ・・森 琴石
四月十日  

ゑい 葬儀録


諸事控帳

  焼香順氏名


5頁目
・・・・・・下方中 塾                                       6頁目        7頁目

米津菱江 5 内山他 塾 河邨 米津邨河学而 7 永田 吉川拝石他4名   6 早野 西本  

 

8頁、9頁

      藤井光栄  吉川拝石    米津菱江 河邨学而 藤井新輔9 焼香順② 河邨 米津 吉川

 

紙片
(葬儀参列者 住所氏名・164名の紙片あり。森家実家から資料が届いた折に、棄)

早川栄■郎(堀江)
河邨学而=河村学而
米津菱江(淡路町三休橋筋東■)
若林長栄(東久太郎町)
三宅善助
(北久太郎町三休橋筋北へ入東側)        中ほど 藤井新助
十林行一(今橋)

メモ 住所・氏名 米津 河邨 若林 三宅

真ん中 藤井新助

 

※森琴石は ”銅版の技術”や”書物作成”など、本つくりの養成をしていたようです。

 

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メモ
 随時追加します

管野すが
1881-1911 明治時代の社会主義者。大阪出身。筆名は須賀子。号は幽月。
明治14年6月7日生まれ。大阪で宇田川文海に師事して新聞記者となり,木下尚江の影響で社会主義にちかづく。明治39年「牟婁(むろ)新報」へうつり,荒畑寒村と結婚。のち離婚して幸徳秋水と同棲,大逆事件にかかわり,44年1月25日処刑された。31歳。遺稿に「死出の道艸(みちくさ)

 

幸徳秋水については
『らんだむ書籍館 86』 …小林昭夫氏(千葉県松戸市)
らんだむ書籍館 (morikinseki.com)
中江兆民「[縮刷]正続 一年有半」 をご覧ください
     
  堀内謙吉=森琴石 調査情報【平成23年 5月】 (morikinseki.com)

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ベルナルド著・小島準治訳 によるその他の書誌
●ベルナルドの日本字=倍瑠儺屢弩
●ベルナルドは号を「安治川漁徒」と名乗ったようだ

『聖教理緒 セイ キョウリショ』
安治川漁徒訳,小島準治編
大阪:小島準治,1883年2月=明16年

天主実義』
利瑪竇(マテオ・リッチ)著,小島準治点
東京:開世堂・明18年3月(1885)

小島準治について
元高知藩士
高知藩預りの片岡市右衛門の影響で大阪の天王堂の宜教師クゼンの伝道士とな
り『旧新約史略』を訳し日本公教会に尽くした
・・・・Google books 『キリシタン研究第 5 巻』(吉川弘 文館・1961)等による

**********************************

永田方正
調査情報:平成17年1月」に記述
●日本人で最初に「新旧約聖書」を翻訳し、日本で初めてアイヌ語の文法書「北海小文典」を編さん
した人物
●森琴石は響泉堂刻で『永田方正訳 暗射地球訳図 全』(大阪書林岡田蔵版・明治8年)を作製

********************************

柴原宗助
調査情報【平成18年 7月】・「関連人物:柴原宗助」・「平成18年9月【2】■」等に記述
●備中後月郡井原の生まれで、第一回岡山県会議員に当選し、自由民権 運動を起こした。
●備中高梁に来ていた新島襄 らに影響を受け、高梁に始めて キリスト教を伝道した人
物の一人である。明治19年、京都で書店を開業し、同志社の御用達となる。
↑新島譲と関係する

*******************************

石井筆子

調査情報【平成19年 10月】に記述
★森琴石の長男<雄次>の妻 梅子の身内「石井亮一」の妻
★ヨハン協会のキリスト教入門
クリスチャン人物伝  石井筆子 ~障害児教育は聖書から始まった~ をご覧下さい

★森琴石HP=展示掲載 平成19年 1月~3月
★石井筆子の叔父は「渡辺昇」
森琴石調査情報【平成21年 2月】■4番目に記述
渡部昇=大阪府知事を務めた
石橋雲来著「雲来吟交詩 3集」に詩文が掲載・森琴石とも交流があった

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藤井新助、藤井光栄、藤井幸三郎  の著出版  

●「浪華名所ひとり案内橋づくし」
(編輯兼出版:藤井新助、鎌田朝助・明治17年12月17日)=国立国会図書館

●「淡交友義 」
(藤井幸三郎編,藤井光栄堂, 明13.5)=国立国会図書館

●「改正小学読本字引」
( 藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

●「大日本刑法俗解大全 」
(藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

  • 「地球全図」
    (藤井新助縮図并出版・森琴石銅刻・明治8年6月)=NACSIS Webcat 書誌情報(京都大学附属図書館、準貴重図書庫<室賀コレクション※・古地図>)をご覧ください。
    *香川大学附属図書館にも所蔵されています。

●「月琴独楽松月琴譜」
(藤井新助編著并出版・木版・明治10年12月)=関西大学附属図書館

●「掌中大阪細見及二京之図」
(藤井新助編并出版・明治10年3月)=東京大学附属図書館

●「大阪之図」
(杉岡政治編纂及画・藤井光栄刻・藤井光栄堂出版・明治12年・多色)=国際日本文化センター・神戸市立博物館

●「府県諸郡名及大阪区別一覽表并従東京里程」
(藤井幸三郎著出版・光栄堂・明治11年.6月)(=東京大学 史料編纂所・国立国会図書館

  • 「岡山県市町村制区域三国全図」
    山本真一郎著・藤井幸三郎刻・明治22年7月・銅版彩色・1舗 =出版:岡山

 

 

 

 

 

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響泉堂刻書誌『植学啓蒙』=明治13年4月・前川文栄堂

2021年4月4日 更新

 

『植学啓蒙』=響泉堂刻書誌 やっと入手出来ました

 

森琴石 調査情報【平成21年 11月】 (morikinseki.com) でご紹介の『植學啓蒙』という書誌が、12年目にようやく入手出来ました。
植学とは、西洋植物学を本草学 と区別するために津山藩)の藩医で蘭学者宇田川榕庵が初めて用いたという。
■『植学啓蒙』は 米人グレイの植物学初歩(A.Gray,How Plants Grow: Botany for young peoples and common schools.)を基本としたもの。植物学の通論。
■訳者松本駒三郎は、明治13年、小石川植物園に雇われ、伊藤圭介、賀来睦之を助けて植物を調べるかたわら事務を担当、明治十五年まで在職した人物である。
■森琴石は動物、植物、博物学者との関りはかなりあったようだ。
■森琴石【響泉堂】が手掛けた訳本には ジュール・ベルヌの『月世界旅行』、『新訳聖書』、「達爾頓氏生理学図式」などあり、この方面の解明も今後必要と思われます。

森琴石HPご紹介ヵ所
d-4.jpg (271×400) (morikinseki.com
森琴石 作品紹介 銅版画 (morikinseki.com)
<大阪森響泉堂銅刻>:『達爾頓氏生理書図式』(明治11年4月刊)扉の下方 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)


植学啓蒙』 概要

著者   :グレイ(アサ・グレイ=アメリカの著名な植物学者)
抄訳   :松本駒次郎 抄訳
出版社  :文栄堂
出版人  :前川善兵衛
版権免許 :明治12年11月15日
出版年月日:明治13年4月(1880年)
  大阪響泉堂刻(上巻 扉下)
サイズなど:3冊(上51,丁 中54丁 下39丁) 縦22cm x横15cm
挿図   :210

 

画像
 (お断り:画像にばらつきがあります)

 

表紙 上、中、下              左:扉    右:表紙裏

表紙 上中下  左扉 右表紙裏

 

上 扉下(大阪響泉堂刻)

上 扉下(響泉堂刻)

 

緒言(上巻 1丁)

此ノ書米人クレイ氏著ハス所ノ「ハウ、プランツ、グロー」草木成長如何又「ボタニー、フォー、ヤング、ピープル、エンド、コンモンスクールス」幼年生及ヒ小学校用植物書ト題スル書ヲ原トシ傍ラ他書ヨリ抄出シテ篇ヲ成シタリ児童等ニ依ラハ植學之一班ニ了知スルヲ得ン 
明治十二年10月十日


緒言(上巻 1丁)

 

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第1図、2図(上巻 3丁、4丁)
第一図 (上 3丁 ) (3)

 

第154、155図(下巻 4丁)


154、155図(下 2兆) (3)

 

奥付

版権免許 明治12年11月15日
  抄訳人 堺県士族 松本駒三郎
   当時近江国滋賀郡白玉町8番地
  出版人 大阪府平民 前川善兵衛
     府下東区南久宝寺町4丁目35番地

下 奥付

 

松本駒次郎について
科学者、博物学者
明治13年 小石川植物園に雇われ、伊藤圭介、賀来睦之を助けて植物を調べるかたわら事務を担当、明治15年まで在職した=『日本博物学史』(上野益三著・平凡社・昭和48年)

松本駒三郎の著書・訳書 (国立国会図書館蔵書検索)  
「格物地誌.」(ワレン他,明9)
「健全論 」(文栄堂.明12.11)
「動物小学」(松本栄三郎,錦森閣, 明14.8)
「植物小学字解」(錦森閣, 明15.8)
「動物小学字解 」(錦森閣, 明15.8)
「理化入門」( ホウッカル他, 明20.10)
「鉱物学教科書」(コリンス他,嵩山堂, 明23.12)
「蒸気機関篇」(松本駒次郎,松本栄三郎. 嵩山堂, 明23.6)  他

森琴石HPでの記述
   森琴石 調査情報【平成19年 1月】 (morikinseki.com)
   【1】」・響泉堂刻教材(掛図)・小石川植物園日誌に名(★1番目参照)
    関連人物加藤竹斎・服部雪斎・田中芳男・伊藤圭介・久保弘道など

その他 博物学=永田方正  森琴石 調査情報【平成17年 1月】 (morikinseki.com)
                森琴石「響泉堂」 雅友・知友(な~の) (morikinseki.com)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考(国文学研究資料館のデータ)

●巻上
●総論 / 1
●第一章 植物ノ成育及ヒ機器ヲ論ス
●第一条 植物ノ機器 / 1
●第二条 種子ノ萌芽 / 6
●第三条 葉幹ノ萌芽 / 16
●第四条 根幹葉ノ種類 / 27
●第二章 植物ノ増殖ヲ論ズ ※以下、巻中
●第一条 孳息ノ芽ニナルコト / 1
●第二条 孳息ノ種子ニナルコト / 3
●第三条 花 / 4
●第四条 果実及ヒ種子 / 24
●第三章 植物ノ成長スル所以及ヒ其功用ヲ論ス / 35
●第四章 植物ノ分科ヲ論ス
●第一条 分科 / 48
●第二条 自然分科法 / 50

 

 

 

 

 

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