2022年9月18日 更新
神戸市北長狭通五丁目 手合方ニテ 森本荘三郎様
(篠山の名家)=森琴石 下絵にあるメモ
ミニ情報
某オークションサイト
貫名海屋(菘翁)の書
・・・・森琴石の箱書き(明治30年)
箱書き依頼者=森本荘三郎氏=篠山の名家
貫名海屋(菘翁)=森琴石師匠「忍頂寺静村」の師匠
778‐1863(安永7‐文久3)江戸時代の儒者,書画家。本姓は吉井,名は直知また苞。字は子善また君茂。林屋,海屋,海叟,海客,菘翁(すうおう)などと号した。阿波徳島藩士の家に生まれる。大坂に出て儒学を中井竹山に学び,のち京都で須静塾を開いた。書名は高く,晋・唐の法帖(ほうじよう)を臨摹(りんも)し,また平安期の名跡を学んで古雅秀麗な書風をつくり,幕末を代表する能書の一人となった。また少年時代から画を好み,はじめ狩野派を学んだが,のちに長崎に遊学し鉄翁について南画を修得。
(世界大百科事典第2版)
森本荘三郎
篠山町河原町出身、元代議士、元県会議員、元町長。
森本正一の厳父で篠山町振興のため多大の努力を払った人。
出典=郷土事典篠山尋常高等小学校郷土教育研究会 編篠山尋常高等小学校郷土教育研究会 1936
p、488、499
ご子息
森本正一氏
森琴石遺墨展に「小屏風2点」展示
森家資料に
森本荘三郎の名前メモあり
・・・神戸市北長狭通五丁目 手合亭ニテ 森本荘三郎様
手合亭(てあいてい)
●神戸随一の料理店、宿屋
●政、治財界人、文人が良く利用した
●民主主義運動の寄り合いの場でもあったらしい
●孫文も利用した
孫文(孫中山)を歩く 神戸編 -1- (tokyo-kurenaidan.com)
貫名海屋の書(概要)
森本氏秘蔵・真蹟
壬辰(明治30年)琴石杜熊 南丹篠山木蘭居
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森家資料
下絵の端のメモ
『森琴石翁遺墨帖 乾坤』について
森琴石「響泉堂」 森琴石紹介 Mori Kinseki | ―南画編― 昭和時代
『森琴石翁遺墨帖 乾坤 遺墨帖目次 右頁 第32、33…森本正一氏蔵
第32 「山水人物花鳥」小屏風 森本正一氏蔵