熊本県立図書館…赤星家文書 [響泉堂出版] ・・・8点所蔵

2022年9月23日 更新

 

熊本県立図書館
赤星家文書
・・大阪響泉堂出版  点所蔵

熊本県立図書館
『掌中四声玉編』1878年、384頁)も所蔵

 

森琴石と熊本県(今後の課題)

 

赤星家 赤星 陸治あかほし りくじ)について

(1)
日本紳士録 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)

赤星陸治(あかほし りくじ)
君は熊本縣八代郡の舊家にして御總庄屋と稱せる豪家下山群太の二男なり
明治七年一月を以て生れ同縣士族赤星家の養子となり
同三十五年家督を相續す
同三十四年東京帝國大學法科大學政治科を卒業し
三菱合資會社に入り 小岩井農場長地所部長 總務課長兼理事を經て參與に擧げられ
現に地所部長の職に在り
家族は尚三男連三(明四三、四生)四男久禮男(同四四、一二生)三女千賀子(大四、三生)あり

(2)ウィキペディア より
赤星陸治(あかほし りくじ)
1874年1月9日- 1942年3月28日
日本の実業家。
三菱財閥に入社し、小岩井農場場長三菱地所社長・会長などを務めた。
多彩な趣味を持ち、剣道、弓道、尺八、俳句などを嗜んだ。
俳句については内藤鳴雪、高浜虚子に師事し、「水竹居」の俳号をもつ。
陸治の生家は息子によって鏡町に寄贈され、現在赤星公園として残っている。公園内にある「六角堂」は陸治が妻の死を受けて建立した観音堂で、鏡町の指定文化財となった。

 

赤星(あかほし)氏
日本の氏族のひとつ。 中世に肥後国菊池郡を本拠とした国人領主の一族である。 菊池氏の一族で、菊池武房の弟の赤星有隆を祖とし、隈部氏、城氏と共に菊池氏の三家老家の一つ。 家紋は菊池氏と同じく並び鷹羽。
家祖: 赤星経俊、赤星有隆
出身地: 肥後国菊池郡赤星
著名な人物: 赤星統家
本姓: 菊池氏流
(ウィキペディア)

 

★雲林院 蘇山(うじい そざん)

南画同志会…メンバー(森琴石とは同志)

『画家小伝』より
雲林院蘇山先生 (熊本)七十六歳
先生は熊本の人 幼より畫を好み木下逸雲に師事し後ち筆を携えて各地を漫遊す
足跡の印する所全国に普く 故川田日本銀行総裁の知遇を得て岩崎久彌本邸に留り
東都上流縉紳の為め艶麗の筆を揮うこと十数年
近時熊本の敷居旧居に帰臥して全く世故と断ち専心画筆に親しめり
昨夏 伏見宮殿下の特命検閲使として熊城に駕を駐めらるるや
殿下親しく先生の画筆を愛せられ数葉の揮寫を命ぜらる
実に老熟錬磨の筆緻は坐ろに人をして美に酔はしむるものあり
亦た逸品たるを失わず
(『画家小伝』=小倉市大阪町8丁目 南画同志会蔵版 明治44年2月版 非買品
   『画家小伝』は、世間で知られていない貴重な情報が記述されています


岩崎久弥=岩崎弥太郎の長男、三菱財閥の三代目総帥となる
川田小一郎=
[1836~1896]実業家。土佐の人。岩崎弥太郎が創立した九十九(つくも)商会(後の三菱商会)に幹部として参加、鉱山事業を統括し、三菱財閥創業期の功労者として活躍した。後に日本銀行総裁に就任して強い指導力を発揮、「日銀の法王」と呼ばれた。また高橋是清を登用するなど、人材の育成にも力を注いデジタル大辞泉

 

★森琴石周辺に
浮田和民、亀山 昇 の存在

●浮田和民(うきた かずたみ)
日本の思想家・政治学者。法学博士、早稲田大学高等師範部長。同志社英学校最初の卒業生。熊本バンドの一人。 軍人の石光真清、石光真臣兄弟は従兄弟にあたる。和民の母は栃原知定の姉、先妻・末、後妻・五女は共に下村孝太郎の妹である。長女・操は原安三郎の妻、次女・恵美子の子は若林貴世志、三女・東子の子は浮田克躬。 
(ウィキペディア)

森琴石HP
森琴石塾生「河村学而」=成瀬仁蔵の妻の叔父 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)

●亀山 (かめやま のぼる)
熊本バンドの一人。 肥後国八代に生まれる。熊本洋学校時代に1876年1月30日に花岡山の奉教の誓いに加わる。4月にL.L.ジェーンズより洗礼を受ける。同年9月に同志社英学校に入学する。12月に西京第二公会に金森通倫と徳富猪一郎、上原方立と一緒に入会する。 (ウィキペディア)

※浮田和民、亀山昇…共に熊本洋学校出身、熊本バンドの一員

熊本バンド
明治初期に熊本洋学校の生徒が結成したキリスト教徒のグループ。米国人教師ジェーンズの感化を受けた海老名弾正徳富蘇峰ら35名が明治9年(1876)、熊本城外の花岡山に集い、信仰を守り広めることを誓約した。後、その多くが京都の同志社英学校に移り、熊本バンドと呼ばれた。横浜バンド札幌バンドと並んで日本のプロテスタントの三大源流の一つとされる。(
デジタル大辞泉)

亀山昇については、12月頃、別途資料でご紹介の予定です

 

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熊本県立図書館
赤星家文書・・・響泉堂出版分

―以下は 熊本県立図書館 蔵書検索結果のデータを使用させて頂きました―
(年代と文書番号の順序の内 ⑤と⑥は一致しないようです)

ご参考
[序言] 十九世紀熊本藩住民評価・褒賞記録「町在」解析目録 (kumamoto-u.ac.jp)

 


永田氏改正暗射訳図(大阪書林 岡田蔵)[古]
出版:大阪響泉堂
 1875年 
 (赤星家文書
一枚
71×93㎝


褒賞状[古]
出版:大阪響泉堂
1887年 
 (赤星家文書 ; 658) 
 1通
22.9×30.9㎝ 
熊本県士族 赤星五郎八宛


褒賞状[古]
出版:大阪響泉堂
1891年11月
(赤星家文書 ; 659)
1通
22.6×30.7㎝
熊本県士族 赤星モカ宛
(明治24年9月暴風の際、罹災者へ精米二斗救助の件)


褒賞状
[古]
出版;大阪響泉堂
1892年10月
(赤星家文書 ; 660)
1通
22.7×30.8㎝
熊本県士族 赤星モカ宛
(尋常文政小学校新築費寄付の件)


褒賞状 [古]
出版;大阪響泉堂
(赤星家文書;662)
1895年9月
22.8×30.8㎝
熊本県士族 赤星もか宛
(明治28年7月暴風雨ノ際八代郡文政村罹災ノ窮民救助米施与の件)


褒賞状 [古]

出版:大阪響泉堂
1896年3月
 (赤星家文書 ; 661)
1通
22.8×30.8㎝
熊本県士族 赤星モカ宛
(明治27、8年戦役従軍者家族中窘窮ノ向賑恤金差出の件)


褒賞状 [古]

出版:大阪響泉堂

熊本県知事大浦兼武著
1897年4月
 (赤星家文書 ; 644)
1通
28.0×20.3㎝
赤星茂賀宛
(明治27、8年戦役ノ際軍用品献納)


褒賞状 [古]
出版:大阪響泉堂

1900年12月

赤星家文書
1通

22.7×30.8㎝
熊本市士族 赤星もか宛
(明治30年10月慈恵救済資金寄付の件)

 

 

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永田氏改正暗射地球訳図

●横浜市立大学学術情報センターの画像をご覧ください
永田氏改正暗射地球訳図 | 横浜市立大学所蔵の古地図データベース | 横浜市立大学学術情報センター (yokohama-cu.ac.jp)

●森琴石HPでは多数取り上げています
森琴石 調査情報【平成17年 1月】 (morikinseki.com)

 

雲林院 蘇山

戸田葆堂の日記に名が出る
戸田葆堂 とだほどう(1851~1908) (shiki-cogito.net)
『問鶴園遺稿』
大正5年1月1日 戸田葆堂著; 木蘇岐山點定; 牧野鐵九郎編輯
.問鶴園図(森琴石 画)葆堂肖像(大橋翠石 画)他)
.. 明治三十六年癸卯六月十四日 時季五十三 葆堂戸田光 … 三月二十七日:雲林院(ウジイ)蘇山來訪。

大浦兼武(おおうら かねたけ)
官僚、政治家。薩摩藩(鹿児島県)出身。警察畑から昇進し、山県有朋系の官僚として警視総監、各省大臣を歴任。大正四年(一九一五)、選挙干渉と議員買収事件を追及されて引退。嘉永三~大正七年(一八五〇‐一九一八)
(精選版 日本国語大辞典)

 

 

 

 

 

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