2012年6月25日 更新
『日本画大成26 大正篇3』所載、森琴石の作品と所蔵者
第3回目 所蔵者 清水復三郎
森琴石筆
第137図 『蓬莱瑞靄図』
絹本着色。
款に款に『蓬莱瑞靄。丙戌初冬写於豫州郡中客次。浪華琴石』と、明治19年の初冬、
伊予漫遊中に揮毫したもので、浪華琴石は、大阪の住人琴石の意である。
第138図 『夏山顴瀑図』
紙本墨画。
款に『山雨忽開霽、渓流繞茅屋時看濯縷人雲瑞看飛瀑。丁巳夏日写於読画廬。琴石』と、
明治44年夏の作で、米法の雨後山水である。
森琴石小伝
琴石は、摂津有馬温泉湯元の人で、天保14年に生る。
初め鼎金城に、後ち忍頂寺静村に就て南宗画を学び、
傍ら妻(め)鹿(が)友樵(琴の名手)に漢籍を修め、
京都の田能村直入歿後、大阪の村田香谷歿後、
実に関西の南画壇の雄として、姫島竹外と双璧をもって目された。
大正10年歿、年79.
作品について
『蓬莱瑞靄図』
◍『森琴石作品集』には、徳川記念財団蔵、明治31年作の同じタイトルの作品があるが、
作風がかなり違う。
上手に表現出来ませんが、徳川財団蔵のものは、
山、楼閣、松、梅、鶴、渓流に至る細部にまで緻密に丹念に描き、力作大作と云える。
◍一方、この明治19年に描いたものは、肩の力を少し抜いて描いたようで、
断崖や波の描き方にリズムがあるように思います。
『森琴石作品集』に収録されている作品には無い作風で、
これも是非見たい作品で、「これが作品集に出ていればなあ!・・・」と、少し残念に思いました。
◍明治19年、森琴石は伊予に行っていた。
10月には砥部の愛山窯で茶器に絵付け(調査情報:平成16年8月)し、
「秋景山水図」など残している(森琴石翁遺墨帖 乾」第9番目の作品落款による)。
●伊予には明治22年にも訪問したようだ・・・⇒関連資料:砥部焼きと森琴石・胡鉄梅
『夏山観瀑図』
森琴石作品では時々見かける作風のものです。
『森琴石作品集』では、作品№50‐4、
鳥取の渡辺美術館蔵の四季山水図画帖「烟霞惟伴冊」にあるような画風です。}
所蔵者「清水復三郎」について
既存の人名辞典に掲載なし
★「清水復三郎」について我が家に有る人名辞典類には、一切掲載が有りませんでした。
★ 6月、筆者は資料の内容を確認するのが目的で、最寄の三田市立図書館には、該当する資料が存在しない事、取り寄せが出来ない資料である事を確認後、大阪の府立中之島、同中央、市立中央、国立国会図書館関西館の4図書館に行ってきました。
●目的の資料の確認やコピーの後、伝記を知りたい人物が何名かありましたので、
人物辞典類の書架で探しましたが (但し府立中之島図書館は時間的余裕が無く取りやめた)、
調べたい人物は全て見出す事は出来ませんでした。
★後で思い出しましたが、森琴石の調査を開始した直後『森琴石翁遺墨帖 乾坤』での作品所蔵者を、
遺墨帖の刊行年、昭和2年前後の『日本紳士録』で調べていたのです。
その他高額納税者や大地主を収監した書物、市史や区史の存在を忘れていました。
それらは後日調べたいと思います。
大正時代の新聞に掲載される
★インターネットでも調べたところ、「清水復三郎」の名は、神戸大学付属図書館電子図書館のデジタル版新聞記事文庫から見出す事が出来ました。
★大正5年6月15日付けの朝日新聞の記事に、「安治川築港出願」と題した記事の中に、出願者の一人として「清水復三郎」の氏名が記載されています。
大正5年、安治川の築港を出願した、安治川、新淀川の中間に介在する7人の大地主が、安
治川の築港を出願し、その全費用と責任は出願者7人が負担する・・・その他の内容である。
●森琴石の養子先の森家は、大阪安治川で江戸後期「出石屋」という屋号で
商売を営んでいた(「平成19年7月【2】」他)。
●明治21年の森家の資料には、森謙吉(親族らしい・子孫絶える)と
山田亀太郎(森琴石妻ヤスの異母長兄)が安治川上通1丁目に住み、住所は隣同士であった。
●明治後期刊の地籍地図によると、亀太郎は道を隔てた向かい側の宅地の所有者だった。
●山田亀太郎は貸席業や質商を営む相当な富豪者であった。
●清水復三郎と森家とは知己の間柄であった事に相違ない。
★『森琴石翁遺墨帖 乾坤』での作品所蔵者には、
「安治川築港出願」の出願者の身内と思われる人物が2名あり、
住友家には森琴石の作品が所蔵されている。
貴重な新聞記事がデジタル版で保存・公開
★神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫に所蔵されている
古い新聞の記事がデジタル版で公開されています。
★神戸大学附属図書館 デジタル版新聞記事文庫の記事を、
「神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫」のご承諾の上、
記事全文を転載させて頂きます。
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「神戸大学附属図書館 デジタル版新聞記事文庫」の記事より
出典:朝日新聞(大正5年6月15日)
所蔵:神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫
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新聞記事文庫 港湾(3-033)
大阪朝日新聞 1916.6.15(大正5)
安治川築港出願
山下住友総本店支配人、安中藤田組庶務課長の両氏は十四日安治川新淀川の中間に介在せる大地主島定次郎、住友吉左衛門、清水復三郎、島徳蔵、野村利兵衛、藤田平太郎、片岡孫助の七氏を代表して府庁並に市役所に出頭し築港北突堤起点西方より北方新淀川間に防波堤を築造し防波堤内及び正蓮寺川を浚渫して正蓮寺川と築港を連絡せしめ同川両岸土地並に上流地域の利用を増進せしむべくその総工事費は三百万円の見積にて工事施行を出願せり大要左の如し
正蓮寺川大阪築港連絡工事許可願
▲工事施行の場所
大阪市西区桜島町臨港土地株式会社埋立権利地正蓮寺川流末及常吉町地先埋立権利地先海面、恩貴島橋以西正蓮寺川水流地
▲工事の種類
一 大阪築港北突堤中新淀川左岸導水堤尖端附近に至る延長千五百十五間の防波堤築造
二 前号防波堤内及恩貴島橋以西正蓮寺川水流地域内の浚渫水深は水流中央をO、P以下凡二十尺とし将来の必要に応じ二十八尺迄とす
三 大阪築港北突堤の一部(同突堤起点の西八十五間の地点より二百八十間の地点まで百九十五間)撤去
右正蓮寺川を大阪築港に連絡せしむるの工事は同川両岸土地並に其上流地域の利用を増進し大阪市将来の繁栄発達に資する所尠少ならずと思惟し拙者共沿岸関係の地主等相謀り前記工事の御許可を得右に要する総費用此見積金額三百万円也を共同出資し同工事施行致度候就ては何卒御詮議の上左記条件を以て前記工事施行方御許可被成下度
別紙 設計書、図面並に参考書添付此段連署及御願候也
一 本出願工事は出願人全員連帯にて施行の責に任じ全工事に要する費用は総て出願人に於て負担可致事
二 本出願工事竣工後防波堤は御命令に依り総て府又は市へ差出可申事
三 桜島町地先埋立予定地は府又は市に於て任意御処分相成度事但御埋立後自ら使用せられずして私人へ御貸与相成候場合には出願人を以て借用先願者と御認め相成度事又当初より私人に対し其埋立を許可せらるる場合に於ては許可地面積並に沿岸延長を標準とし出願人と同一割合に依り本工事に要する総費用を分担せしむることの条件を附し許可相成度事若し右条件附にて許可を受くる者なき場合には出願人全員に対し右埋立の権利を付与相成度事
四 将来本出願工事中の防波堤の外側海面埋立を私人に許可せらるる場合には本出願人全員に対し右埋立の権利を付与せれ度事
五 浚渫土砂及撤去物は総て出願人の任意使用を御承認相成度事、上以
データ作成:2003.9 神戸大学附属図書館