2021年11月18日 更新
森琴石の印施見つかる=森家
静岡県(伊豆市)の寺院の印施か?
■森家に{響泉堂刻}の印施が残されていました。
■印施は、出雲大社 三十三ケ所巡礼の観音図 を銅版印刷したものです。
■印施は、上方に「出雲巡礼三十三所」と書かれ、観音図の下には「豆州永徳楊宗印施」、その下に「大坂響泉堂刻」と小さな文字が印刷されています。
■豆州とは、
静岡県東部の伊豆半島の事を指し、
印施とは
… 世のためになることを印刷して、世人に知らせること。また、そのもの。…
という意味(コトバンク)。
■印施は、出雲大社33ヵ所巡礼と同じご利益(ごりやく)があるお札(おふだ)、として、静岡県の寺院が発行したものと思われます。
■「永徳楊宗」の意味は不明ですが、豆州永徳村には「永徳寺」という曹洞宗のお寺があります。しかし、関連性については未調査です。
参考資料 解説ページ (jlogos.com)=角川日本地名大辞典
豆州 永徳村
江戸期~明治22年の村名。賀茂郡のうち。もと当村と冷川村は1村であったが,文禄3年の検地によって分村したという(増訂豆州志稿)。「天保郷帳」では「古は徳永村・うつきさし弐ケ村」と見え,枝郷に「うつぎさし」がある。幕府領,元禄11年からは旗本松平氏領。村高は,「元禄郷帳」79石余,ほかに「うつぎさし」として8石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに88石余。助郷は東海道三島宿の加助郷,ほかに下田往還大仁宿の増助郷を勤める。神社には山神社・稲荷神社,寺院には曹洞宗永徳寺がある。明治元年韮山県,同4年足柄県を経て同9年静岡県に所属。同21年頃の反別1,076町余(うち田16町余・畑5町余・宅地2町余・山林789町余・原野262町余),社2・寺1,戸数53・人口285,ほかに小地名に京入道があり,物産は木材・炭・椎茸(増訂豆州志稿)。明治22年中大見村の大字となる。
★森家には、諸国巡礼三十三箇所の“観音図”を描いた<かなり大きな印施の掛け軸>が残されています。
図の殆どは1枚の紙に刷られていますが、けずり剥がした図や、後で貼り付けた図があるなど、少し変わっています。
■後月ご紹介の予定の『Illustrations to the Epitome of the Ancient History of Japan』にも、印施の画があります。
■森琴石は、富士山の絵を沢山描いており、岐阜、愛知など中部・東海地方とは関係が深く、「日誌」や「作品受注控」に、多数の人物が出てきています。
(因みに下岡蓮杖は、伊豆下田の生まれです)
出雲巡礼三十三所
豆州永徳楊宗印施 大坂響泉堂刻