2021年12月10日 更新
響泉堂刻
『軽罪違刑罪刑律加減表』(明治13年11月)
・・・旧刑法制定年に発行
・・・ 維新の貴重な資料
『軽罪違警罪刑律加減表』は、
・・明治13年に発布された旧刑法において、
・・「軽罪」と「違警罪」(現代の軽犯罪に相当)に分類される罪について、
・・・対応する罰則の詳細を記したものである。
出典
国立国会図書館近代デジタルコレクションー
軽罪違警罪刑律加減表 – 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)
著編者 市島 昭(イチシマ アキラ)
発行者 岡島真七(大阪)
銅鐫 大坂響泉堂刻
発行年月日 明治13年11月
容量・大きさ 1帖・17㎝
装丁 和装
表紙 『軽罪違警罪 市石昭編集 刑律加減表 全』
市石昭編集
軽罪違警罪 刑律加減表
明治13年11月銅鐫 岡島氏蔵
刑律加減表 凡例
奥付
明治12年10月28日出版お届
同 13年11月 刻 成
編集人 滋賀県士族 市石 昭 大阪東区備后町4丁目53番地寄留
出版人 大阪府平民 岡島真七 東区本町4丁目59番地
定価金12銭
注釈・備考
旧刑法
発布=明治13年7月明治13年7月
施行=明治15年1月1日
↓ 26年間存続
新刑法=明治41年1月1日
旧刑法 とは
(1)
日本大百科全書(ニッポニカ)「旧刑法」
1880年(明治13)7月17日太政官布告第36号により発布された日本の刑法典。1882年1月1日に施行されてから、現行刑法が施行される1908年(明治41)1月1日まで、26年間効力を有した。
それ以前の新律綱領や改定律例が中国の律令系に属し、前近代的なものであったため、時の明治政府は、1873年(明治6)これを近代化・西欧化すべくフランスの法学者ボアソナードを招聘し、新しい刑法典の起草を命じた。
1877年に完成したボアソナード刑法草案を土台として、江藤新平、箕作麟祥(みつくりりんしょう)らの努力により成立したのが旧刑法である。
このような経緯を反映して、フランス刑法、とくに1810年のナポレオン刑法典の強い影響がみられ、第2条に罪刑法定主義の原則を規定するほか、犯罪を重罪・軽罪・違警罪に3分類したうえで、それぞれに対応した刑罰(主刑)として、現行刑法とほぼ同様の刑罰を採用している
(ただ、重罪に対して徒刑、流刑などを残している点では前近代的な性格がみられる)。[名和鐵郎]
(2) 精選版日本国語大辞典 より 明治13年(1880)年に公布された刑法典を、現行刑法に対していう。 ナポレオン刑法を基本として、ボアソナードが起草したもの。 同15年1月から施行。 同41年に廃止された。
森琴石周辺…司法職についた人物
★馬渡俊猷
★鳥居断三
★水越耕南・片桐楠斎=森琴石 調査情報【平成17年 10月】 (morikinseki.com)
★川村雨谷=森琴石 調査情報【平成17年 3月】 (morikinseki.com)
市石昭 詳細不明
岡島真七 「大阪でっち新聞」の発行者 明治時代の新聞のひとつ。1878年 岡島真七が大阪で創刊した絵入り、ふり仮名つきの小新聞。翌年「大阪絵入り新聞」に改題。(コトバンク)
森琴石と岡島真七の書誌
『森琴石作品集 銅板画編』
・・熊田司氏…響泉堂所鐫銅版書目 のデータを転載させて頂きました。
1:武藤吉次郎 編輯
『大阪区分細見図〈改正〉』
明治9年3月17日(御届)
・・出版人=大野木市兵衛・前川善兵衛・森本太助・岡島真七
銅版刷彩 一鋪 69,3×92,5cm
・・左下に「大坂 響泉堂銅製」
2:蔀屋仙蔵 著(原図者)、森琴石 増補(改図人)
『大阪区分細見図(改正)』
明治10年2月
・・出版人=大野木市兵衛・前川善兵衛・森本太助・岡島真七
銅版刷彩 一鋪 53.5×72.1cm
右下に「大坂南本町四丁目34番地 響泉堂刻」
3:蔀屋仙蔵 著(原図者)、森琴石 増補(改図人)
『大阪区分細見図〈改正〉』(再版)
明治12年5月29日(御届)
・・出版人=大野木市兵衛・前川善兵衛・森本太助・岡島真七
銅版刷彩 一鋪 53.3×72.5cm
右下に「大坂南本町4丁目34番地 響泉堂刻」
ボアソナード
Gustave Emile Boissonade de Fontarabie (1825―1910)
フランスの法学者。1873年(明治6)来日。司法省法学校で自然法理論、フランス式民法・刑法を講義。旧刑法、治罪法、旧民法を起草。日本の自然法理論、フランス法学の基礎を築いた。1895年帰国・お雇い外国人の一人 (ウェブリオ辞書)
お雇い外国人(おやといがいこくじん)
幕末から明治にかけて、欧米の技術・学問・制度を導入して「殖産興業」と「富国強兵」を推し進めようとする政府や府県などによって雇用された外国人。当時の日本人の中からは得がたい知識・経験・技術を持った人材で、欧米人以外に若干の中国人やインド人もいた。官庁の上級顧問だけでなく単純技能者もいた。お抱え外国人とも呼ばれることもある。(ウィキペディア)
森琴石周辺のお雇い外国人(広い範囲も含む)
★キヨキヨソーネ・シーボルト・ハラタマ・フルベッキ・ポンペ・ボードイン
ボアソナード など (今後調査が必要)
★森琴石HP
造幣局技師 ロベルト・マクラガン(英人)を取り上げている
(明治5年5月英国より来阪、明治22年まで造幣局技師として勤務した)
★近月中に、ニコラス・マクラウド(スコットランド)をご紹介予定です。