2015年2月14日 更新
森琴石下書き帳より
森琴石の廬号=「不老長春園」とも称した
森琴石下書き帳より
・伝記のメモ(明治33年2月5日頃)
・・画号=琴石・鉄橋道人
・・廬号(画室名)=読画廬・不老長春園 とあり
■2月1日付けで『日本現今人名辞典』の下書きをご紹介しましたが、その下書きの同じ紙面の終わりの方に「伝記のメモ」のような記述があります。
■僅か6行ほどの内容であるが、その中に〔廬号「読画廬」又「不老長春園」〕と、注目する記述がありました。
■森琴石の作品には「読画廬 琴石」と署名されている事が多い。
■「不老長春園」の名を聞くのは初めてで、しかも画室の名の言い方を「廬号」というのも初めて聞く言葉です。
■下に明治33年2月5日に書いた『日本現今人名辞典』の下書きの画像と、紙面の余りに書かれた「伝記のメモ」をご紹介致します。
・
○部分の翻刻
○大阪市北区北野高垣町二千四百三十四番邸 森琴石 天保十四年三月十九日生
○摂津有馬湯本梶木源治郎ノ三男二シテ当歳ノ時大阪森善作ノ養子トナル
妻ヤス福井県士族山田義林ノ三女ナリ (注 越前鯖江藩 を☆福井県士族 に訂正している)
○大阪府平民
○画業
○雅号琴石又鉄橋道人 廬号又不老長春園
(旧字は当用漢字に置き換えました)
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不老長春園について
・森琴石 ⇒ 篆刻家「栗田石癖」
・・「不老長春園」の落款印を依頼
・・・・・・金属製/獅(ライオン)頭
■資料紹介:書簡
森琴石~他者
石癖栗田先生 の手紙文に 次のような事が記述されています。画像を添えてご紹介します。
森琴石⇒栗田石癖宛書簡
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・オレンジ色で囲った文字
前文略
鉦獅在印
・・今便貴篆不老長春園
・・琴翁并に外に小包郵便を以って
・・ご送付ご恵投下され 唯今安着、
・・早速開封拝見仕り候ところ
・・誠に絶妙のご篆刻にして生涯の重宝とし、
・・毎画捺印相楽しみ申すべく候。
・・両連印は貴属の山水帖に相用いすべく候。
・・ご厚意有がたく拝受仕り萬々謝し上げ奉り候
後文略
■内容は
●石癖に依頼した「不老長春園」の印(獅頭・金属製)が無事に届いた事へのお礼。
●出来栄えが素晴らしく、生涯の宝として自画に押印して楽しみたい。
●栗田先生から依頼された<画帖>の完成が遅れているが、その画帖の{連印}に使用するつもりだ。
■この画帖に「不老長春園」の印が使われたかどうか?
以前HPに掲載しようとしましたが、「不老長春園」の印は「印字が不鮮明で確認できなかった」ように記憶しています。
森琴石 調査情報【平成22年 7月】【2】に、画帖の内容や印を紹介していますのでご覧下さい。
■今回HPに再度記述するため、画帖を取りだし桐箱を開けたところ<秩と包み布>があるのみで中身が空っぽなのです。気が動転、思い当たるところを緒所探したのですが、未だ見つっていません。
今後ゆっくり落ち着いて探します。
■『森琴石作品集 資料編:印譜』を調べましたが「不老長春園」の印は有りませんでした。
■森琴石ひ孫「森 茂」氏から印鑑を幾つか託して頂きましたが、いずれも良質の素材と彫りと思われますが、金属製の印では有りませんでした。尚、
それら印は「栞石」以外の印の読みはまだ出来ていません。
著名な篆刻家(中国人の可能性あり)と思われる「刻者」の署名と印の四面に彫刻がある立派な印もありました。
■「不老長春園」の廬号(堂号)については、落款その他今後注意して森琴石の作品を見ていきたいと思います。
森琴石HP内 栗田石癖記述か所
●森琴石 調査情報【平成18年 8月】
古印材収集や鑑賞を趣味とされる、兵庫県西宮市の浅倉信哉氏より、当ホームページの[資料・書簡]で紹介しました「石癖 栗田先生」が、福岡の南画家「栗田石癖 くりた せき へき」であるとのご情報を頂く・・・・・
●森琴石 調査情報【平成19年 3月】
森福岡の画家「栗田石癖 注1 」の依頼による「栞石畫史丹青帖 注2」には「 福原周峰 注3」や「岡田篁石」が揮毫した。「岡田篁石 注4」は、長崎の医師、儒者でも・・・・・
●森琴石 調査情報【平成22年 7月】
今月の話題.【2】情報ご提供: 西宮市「浅倉信哉氏」より・・・・・・・「栗田石癖」の新たな人物像が判明; 【3】「栞石畫史丹青帖」について・・・・・・・「栗田石癖」から頼まれて描い た …
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森琴石下書き帖
・・・「栗田石癖氏を訪問」の遊記・・・・あり
■森琴石の下書き帖には
明治28年3月5日~4月13日、森琴石は大阪川口より汽船に乗り、尾道・竹原・呉・多度津等を経て筑前鞍手郡の栗田石癖や周辺地の名家名士を訪問し、吉継拝山も訪問した。
等と、6頁分に亘りびっしりと書かれています。
■私共は森琴石調査での懸案事項が多過ぎ、一人では到底出来得ません。
いつ頃になるか分かりませんが、森琴石HP「資料:遊記」とでも名付け、石橋雲来の『雲来詩鈔』の中「広陵遊詩」ではまだ日本で鉄道が開通していない頃 ”森琴石が船で東京へ行った” 記述が有ること、『雲来詩鈔』での「月が瀬遊詩」、依田学海の『学海画夢』での森琴石の記述部分を翻刻無しの”画像のみ”でご紹介したいと思います。
不老長春園=森琴石の「大阪市北区高垣町」の居宅を指す?
・・松=永遠の生命「不老長寿」を意味する
・・ばら=別名[長春花]
・・・森琴石は「松」を多く描き、無類のバラ愛好家だった
■「不老長春園」という名であるが、不老とは一年を通して青々と繁る「松」を指し
「長春」とはバラを意味する。
■森琴石の北区高垣町の自宅の写真であるが、大きな松の周り一帯は植木で覆われている。
■森琴石の廬号「不老長春園」は、森琴石が住んだ<北区高垣町の住まい・庭園>を表すのでは無いでしょうか?
森琴石の自宅庭園
・本草画・虫譜等の為の写生もしたか?
・・ 薔薇で充ち溢れる
・・・ バラ300種類 /鉢植え800鉢 /垣植え・地植えのバラで充ちる
森琴石自宅の庭
森琴石のバラ好きについて
HP内記述箇所
●詩賛1「森琴石 読画廬茗讌 賞薔薇」
●「平成18年8月」
●「平成19年9月」
●「平成22年7月【2】【3】」
●門人紹介:大阪市北区「鎌田梅石(五)-鎌田梅石の作品」
明治35年5月、鎌田梅石との合作扇面
老松=琴石 バラ=梅石
・・
・
森琴石下書き帳・明治39年頃の下書き帳
・・「花卉・虫 魚の写生為す数年」と記述
森琴石HP内、博物画・本草画・虫類写生図などの記述か所
●森琴石 調査情報【平成19年 1月】
自然界の産物を正確に記録する事を重んじた「田中芳男」は、江戸時代の博物図譜を収集すると共に、収集した標本の正確な博物画を数多く書かせ、博物図鑑を作成した 注5・・・・・
●森琴石 調査情報【平成19年 9月】
また「長春」は、中国から渡ってきたバラの一群(種類)で、日本でも栽培は古く、徳川 時代の本草書にも記録がある。 … 京都の素封家で、京都博物会会員でもある親友「 小山源治 注6」らが中心となって、同氏の遺志を継ぎ、遺稿を元に編集に取り組み、 ・・・・・
●森琴石 調査情報【平成19年 10月】
洋画の師「高橋由一」は本草画も学んでおり、森琴石の周辺には、医薬者や本草画に携わる人物の存在がある。森家の古老によれば、森琴石 … 薔薇栽培新書」の編者「 小山源治」は、京都博物会会員で、新種の蝶々を発見している。自身の蔵書のうち300 冊を・・・「
●森琴石 調査情報【平成23年 8月】
今月の話題. 森琴石旧蔵 ―虫類、爬虫類、両生類など 模写帖―: 未解明な模写帖: 模写画は森琴石、しかし落款名は「樵石 寿」・・・・・・森琴石は「博物画」も目指したか?
「樵石 寿」は 森琴石の博物画の画号か?
・・門下 山名友石にも影響を及ぼした?
■上記に示すように、私共は森琴石が「博物画」も目指していたのでは? と推測していましたが、森琴石の下書き帳にもそれを証明する記述がありました。
■昨年9月、森琴石ひ孫森 茂氏より多数の森琴石資料を私共に託して頂きましたが、その中に博物画で著名な人物が 森琴石の画帖に揮毫していました。いつかHPでもご紹介したいと思います。
■「樵石 寿」の署名は、森琴石の博物画の画号だったのか?
今後の森琴石の解明、又山名友石に見られる木版「花卉図」の奇才さにも影響を及ぼしたかもしれません。
what’s new 山名友石記述か所
門弟山名友石著『珍花図譜』:芸艸堂での出会い
山名友石著『珍花図譜』との出会い、その後 他