2014年10月21日 更新
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・前回
【森琴石ひ孫「森 茂」氏より -貴重な多数の資料のご提供!】
に続きます。
森琴石HP「師匠:鼎金城(七)」についての<お知らせ>と<補足>です。
森琴石自筆資料
・師匠「鼎金城」の伝記の下書き
■前回 森琴石ひ孫「森 茂」氏より -貴重な多数の資料のご提供!- で記述いましたが、森琴石ひ孫「森 茂」氏より 多数の貴重な資料をご提供頂きました。
■資料が余りにも多いので、どこから手を付けたら良いか迷いますが、私共にも<読み>が簡単に出来、文章の量も1頁分と少ないので、森琴石自筆の「鼎金城の伝記の下書き」を最初ご紹介致します。
■下方に<森琴石自筆下書き>の画像、翻刻文をご紹介致します。
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参考文献は行徳玉江編『金城遺稾』
・・明治20年代のものか?
■これまでの調査では、鼎金城の詳細な伝記は見つかりませんでした。岡本撫山著『浪華人物志(1920)』、石田誠太郎著『大阪人物志 正編(1927)』など、大体どの文献も同じような内容です。
■各種伝記の中では、森琴石HP:「師匠-鼎金城(六)」にある『なには草』(磯野秋渚著/千葉徳松発行/明治38年3月)の中の ~名家訪問録 檜の陰(四)鼎金城の小傳~ が最も詳しいようです。磯野秋緒は森琴石HPでも度々名が出る人物で、森琴石の親友「石橋雲来」や「大村楊城」との関連が良くみられます。
■その『なには草』の元になったのが、森琴石の兄弟子の行徳玉江編『金城遺稿(1887)』と思われます。
■森琴石自筆の「伝記の下書き」は、兄弟子「行徳玉江」の『金城遺稿(明治20年4月)』と同一文章でした。 10数年前に図書館でコピーしたものがありますのでその画像をすぐ下にご紹介致します。
『金城遺稿』
(行徳玉江編・明治20年4月)
金城先生小伝
森琴石自筆―「鼎金城」伝記 下書き
資料は平成26年(2014)9月24日、森琴石ひ孫森 茂氏(宝塚市)よりご提供頂きました。What’s New?で記術しています
サイズ:縦22.6cmx横15・8cm
全91頁の内 初頭頁
画像の翻刻
金城先生小傳
・・・・・・・・・・・・先生姓鼎名鉉字子玉号金城別號澱水通稱平作
黄山姓戸田 浪華天満人以文化辛未生数月父春嶽歿後父門人黄山育而数之後
節操姓金子 博交各作家最雪操半江親厚研究畫法山水花卉皆臻精妙
半江姓岡田 羅大盬氏災寓于戸田氏遂為其氏義子後育故復稱鼎氏
・・・・・・. ・・・・・・學廣瀬旭荘善詩為人温籍沈黙不省名利故
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, 其畫與詩洒脱風塵優佳境
妙徳寺西成 葵亥五月晦日病歿年五十三葬妙徳寺
■上福島村
■五百羅漢
(■は字がかけている事を表す)
備考
文化辛未=文化8年(1811)
戸田黄山=江戸時代後期の画家。大坂天満の酒屋の主人。文人画の鼎春岳に学び,人物画にすぐれた。文化-文政(1804-30)頃に活躍。名は光春。(コトバンク より)
大盬(おおしお)=大塩平八郎
葵亥五月晦日=文久3年(1863)5月30日
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参考
次頁(1頁と3行分)=金子節操の伝記
次々頁より(7頁分)=森琴石の伝記、履歴⇒履歴の最後が明治28年のもの。伝記に「胡鉄梅」「王冶梅」「朱印然」「黄吟梅」「衛鋳生」「陳漫寿」の諸氏と交む・・と記述