1014年6月5日 更新
5月8日更新分
【門弟 山名友石著『珍花図譜』:芸艸堂での出会い】の続き
山名友石著『珍花図譜』との出会い、その後
2001年7月
『珍花図譜』:卓越したデザインと色彩
●平成13年(2001年)7月12日、『珍花図譜』を先生方がご覧になられているのを、脇から覗き見をしていると、今までに見たことも無いような“花の図”が目に飛び込んできました。
●先生方が吉井幹雄氏から撮影の許可を頂き、ぱちぱちとカメラで写された後、私共夫婦も『珍花図譜』をおもむろにページを繰っていったのです。
●緊張の為か、写真係の夫が遠慮したのか写真を撮るのを忘れていました。
●興奮の面持ちで私共一行は吉井氏にお礼を述べ「芸艸堂」を出、先生方とは其処でお別れし四条河原町へと歩を進めていると、「コンチキチン♪♪」という祇園囃子の稽古の音色が心地よく響いてきました。
●温厚でお人柄の良い吉井氏とはその後も懇意にさせて頂いています。
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『珍花図譜』芸艸堂で拝見、その後
・・・「山名友石」を西条市で調べるも成果無し
●『珍花図譜』を拝見してからは、山名友石がどのような人物かをますます知りたくなり、
前回記述した、大熊先生から資料を頂き、墨書きの行書を成澤勝嗣先生に楷書読みして頂いた「門弟一覧」での山名友石の住所「伊予国新居郡西条町」を手掛かりとして「西条市教育委員会」に問い合わせをしました。
●しかしながら「該当する人物が市史その他に記述が有りません」との返答でした。
●この芸艸堂で拝見した『珍花図譜』については、宮内庁三の丸尚蔵館の大熊敏之先生もきっとご興味があるに違いないと、後日お知らせしたのでした。
『珍花図譜』…図書館の蔵書検索=結果無し
●インターネットで『珍花図譜』を蔵書検索しても結果は有りませんでした。当時はまだ図書館の電算化がまだ余り進んでいないのでした。
2年後
2003年5月20日
・・森琴石【響泉堂】ホームページ を開設
2003年8月
千葉大学図書館で『珍花図譜』の蔵書発見
・・鮮明画像がくっきり
・・・・森琴石ホームページに『珍花図譜』の情報&画像を公開
・・・・・・『珍花図譜』書誌情報の先駆け=森琴石ホームページ
●森琴石のホームページを公開して2か月後の事、久しぶりに『珍花図譜』の蔵書検索をしたところ、千葉大学図書館で『珍花図譜』2冊分の画像が閲覧出来る事が分かりました。しかも2冊分の画像が鮮明に閲覧出来たのです。
●2年前の7月芸艸堂様では緊張や遠慮もあり大まかな事しか記憶になかったのですが、この画像は実に素晴らしいものでした。
●森琴石HP「調査情報:平成13年8月」にて記述。記事紙面から画像閲覧できるようにしました。
大熊敏之先生
『珍花図譜』を元に論文
・・『明治・大正図案集の研究: 近代にいかされた江戸のデザイン』(2004年4月)
●画像閲覧の情報は大熊先生にもお伝えしましたところ、大熊先生は「千葉大学は以前東京高等工芸学校と言い、デザイン教育に優れていた学校で、千葉大学に蔵書されている事は非常に興味深い、早速見てみます。」と言われました。
●大熊敏之先生からは、その後「論文を書く為に山名友石の資料を求めています」というお電話を頂きましたので、「門人紹介-愛媛:山名友石(三)森家に残る資料」と同じ画像資料を送信させて頂きました。
●大熊敏之先生は、2004年4月
『明治・大正図案集の研究: 近代にいかされた江戸のデザイン』に、
“洋蘭と食虫植物は工芸図案となり得たのか―明治三十六年刊行の『珍花図譜』をめぐって(大熊敏之)” という論文を書かれたようです。
●私はこれらの事はすっかり忘れていまして、今回のブログ記述で思い出したのです。大熊先生からも刊行のお知らせは有りませんでしたので、文章の内容は知りません。山名友石に関するブログでの記述が終了後にゆっくり読ませて頂きたいと思っています。
『珍花図譜』の画像公開後
・インターネット古書販売:『珍花図譜』出始める
・・・『珍花図譜』の価格は23万円?
●恐らく森琴石HPが、インターネットでの『珍花図譜』書誌情報の先駆けとなったみたいです。古書店の名前は忘れましたが、私共も良く利用した名の知れた店だったと記憶しています。高価なのに割に早い時期に売れたようです。デザインが優れている上に、序文が「富岡鉄斎」であるのが、より高値がついた要因と思われます。この価格が今後の『珍花図譜』相場の基準となったようです。
2003年10月8日
千葉大にリンクの件を知らせる
●インターネットで公開されているという事は、森琴石HPからの画像閲覧は<リンク先を明記すれば良い>という認識でいましたが、念の為にと、千葉大学図書館<雑誌電子係宛>にリンクの件をFAXでお知らせしました。
注:“FAXでの問い合わせ”は、ある時期までファイルに保存していました
10月9日
千葉大学図書館より返答
●「画像は実験的に電子化したものを、そのまま間違って流してしまっていたようです。
森琴石ホーム頁からの画像閲覧のアドレスは即削除して下さい、こちらでも至急に画像が閲覧出来ないように処理します」と。
更に「書物の閲覧は千葉大学図書館にて可能と、文章を変更して下さい」と、少々慌てた口調で返事を頂きました。
図書館からの画像が消える
・・・保存していなかった『珍花図譜』の画像
●電話を頂いてすぐに、HPの文章を変更する旨HPを管理して頂いている㈱アズマに依頼しました。
変更処理が出来て間もない内に千葉大での閲覧画像は消えてしまいました。
●本来ならば千葉大学の画像を保存するべきでしたが、インターネットで「いつでも見られる」という思いもあり、森琴石の調査に日々勤しんでいた当時の私は、画像を保存したり印刷する時間が惜しくて『珍花図譜』に関しては何の手だてもしないまま過ごしていました。
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他館での所蔵を検索岡山大学で所蔵確認
・・<閲覧及びコピーの可否>を問い合わせる
●『珍花図譜』を買うには余りに高すぎ、良く通う大阪の中之島や中央図書館、三ノ宮の中央図書館には所蔵されておらず、遠隔複写サービスを良く利用する国会図書館にも蔵書が無く、『珍花図譜』の資料は、以前熊田先生から頂いていた写真のカラーコピーが手元にあるだけでした。
●ますます欲しいと思う気持ちが強くなり、コピーだけでも手に入れたいとインターネットで所蔵検索したところ、先ずは岡山大学で所蔵が確認され、次に大阪大学や中国の天津大学での所蔵が確認されました。
●早速岡山大学に電話をしましたが、対応に埒があかなかったと記憶しています。当時のファイルを見ると、12月1日付の岡山大学図書館への「資料複写願い」の用紙が残っていました。それに対する返答が、私共が送信したFAX用紙に手書きで送信されたものが残っており、内容は10月10日付で「申し訳ございませんが所蔵不明のためお断りいたします。お役に立てず申し訳ございません」と。
●この一件で大学への問い合わせが懲りたのか、後に問い合わせするつもりで実行しなかった大阪大学の<資料詳細情報>や連絡先などがファイルに残されていました。公共図書館とは違い大学図書館は応対する人により素っ気ない場合もあり、当時の私には敷居が高く苦手と感じたのでしょう。
4行の文章=3年の歳月が凝縮
●調査情報「平成13年8月」で記述したのが下の文章です。
「京都の老舗木版美術出版社「芸艸堂 うんそうどう」を訪れる。愛媛県新居郡西條(現西條市)出身の琴石門弟の「山名友石 やまなゆうせき」は、同社出版による明治36年木版「珍花図譜 上 下」を著す。抜群の構図と色彩で当時の珍花(洋花)を描き、富岡鉄斎が序文を書いている。
◆「珍花図譜・上下巻」は、同書が収蔵されている千葉大学附属図書館で閲覧可能。」
●本来ならば【7月中ごろ、京都の老舗木版美術出版社「芸艸堂」を訪れる。】とすべきだったのです。
●このたった4行の文章は<3年の歳月と、ご協力者があればこそ>記述出来たという事なのです。
●「調査情報:平成15年5月」以前の調査情報は、HP公開後に記述したもので、過去のHPの文章を読み返すと、文章が下手である上に矛盾点も多数見出せます。
<未熟な素人の主婦が手掛けてきた軌跡>と寛大な気持ちでお目こぼし願いたいと存じます。
次回からは、芸艸堂創業時での「富岡鉄斎と森琴石」、『珍花図譜』の序文が何故富岡鉄斎だったか?、幸田露伴の日記から読み取れる「山名友石」の事などについて触れる予定です。