2014年6月18日 更新
前回「 山名友石著『珍花図譜』との出会い、その後」に続きます
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芸艸堂:創業時での「富岡鉄斎と森琴石」
・・・
明治24年
・芸艸堂創業
・・・芸艸堂の名付け親=富岡鉄斎
(同)
明治24年
森琴石著『新編墨場必携 題画詩集』
・・・・・・ 発行=芸艸堂
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14年後
明治26年
・森琴石門下
・・・山名友石著『珍花図譜』
・・・・・発行:芸艸堂
・・・・・序文=富岡鉄斎
◆芸艸堂のホームページに、芸艸堂について下のような解説がされています。
芸艸堂は明治24(1891)年に、木版摺技法による美術出版社として、京都で創業。
・・芸艸堂の「芸艸」とは、ミカン科の多年草のことで、
・・富岡鉄斎より、「芸艸は香りくさ」という書を拝受したことから名づけられました。
◆上記太文字の見出しを見て頂くとお分かり頂けると思いますが、芸艸堂創業時での富岡鉄斎と森琴石の関与が見えてきます。
芸艸堂創業時
・刊行書籍数は わ ず か
芸艸堂創業年(1891)の刊行書籍
・・(※但し国立国会図書館 NDL-Search 結果による)
『うなゐのとも』 5冊
・・清水仁兵衛(清風)著編
『墨場必携 題画詩集』 4冊
・・森琴石 著編 のみです
14年後
明治38年(1905)
・森琴石門弟
・・山名友石著『珍花図譜』
・・・・序文=「富岡鉄斎」
◆1905年度の芸艸堂は『珍花図譜』3冊を含め、幸野梅嶺の画譜や今尾景年の習画帖など約60冊の書誌が発行されています。
※国会図書館での『珍花図譜』は比較的近年に蔵書されたものと思われます。
次回は
【何故『珍花図譜』の序文は富岡鉄斎だったか?】 をお送りします