森琴石孫「井上 保」氏への聞き取り

2013年2月9日 更新

 

2012年8月19日付「森琴石の係累・・・聞き取りを開始」に続きます

 

 森家の聞き取り・・・情報量が少ない
森琴石直系の森家の子孫(隆太及びその妹、弟の事)からの聞き取りは、情報量が非常に少なかった。
私共は、父寿太の生存中は、夫婦共々会社勤めや子育てに忙しく、日常生活に密着する事しか関心を寄せなかった為、父寿太から森家や森琴石について聞き出す事は殆ど有りませんでした。

 

舅から聞いた2つの事
義父(舅寿太 以下父と書きます)の生存中、私は森家に関する事を聞いた事が2回あります。

1つ目は森家の出についてです。
「琴石が養子に行った森家は「出石藩の仙石左京の家来で、出石騒動での“負け組み”だった。養父は高麗橋で旅館をやっていた。」と、淡々と語っていました。

2つ目は森家の妻たちの事です。
「(自分の)母は佐賀藩のお姫さだった人で、祖母(琴石の妻ヤスの事)は加賀藩に関係していた」と、少し自慢げに聞かされた事があります。

上の二つについては、この後私共が調べた事、文献で紹介されている事とは若干相違がある。後月「閑談・雑感」で取り上げる予定です)

森家の現在の嫁である私は「お姫さん」という言葉と、以前聞いた「森家が出石騒動の負け組みの家来」ということを思い出し「森家は何だか面白そうだな!!」と、持ち前の好奇心がむくむくともたげて来て、
「お義父さん、今のうちに森家の事をいろいろノートにメモしておいて下さいね、私があとでワープロに入れますから・・・」と言いました。

 

父が残した覚え書き
父寿太の死後父の書棚から、約1ページ分森家について綴られたノートが見つかりました。
(「平成16年2月 注1」に記述)

それを見た私は「その気になって下さっていたのだな!」と少し嬉しい思いが致しました。

 

聞き取り、親族に広げる
1999年1月過ぎ、早速夫隆太の妹弟以外の親族への聞き取りを始めました。

先ずは、父寿太の弟たちに聞くのが早道だと思いました。
しかし何分にも父寿太の弟妹たちとは母が異なるため、世間の例に漏れず仲が宜しくなかったそうです。義妹の由紀子さんは当時既に鬼籍に入っていた方ですが、母「はな」が早くに他界したため、“妻に先立たれる運命の父” 雄次の為か、嫁がずに雄次のそばに寄り添い、父雄次の最期を看取った方だったそうです。
父雄次から琴石や森家の事を一番詳しく聞いていた方だったらしいです。

 
叔父「井上 保」氏への聞き取り開始 
井上保叔父さんは異母弟妹の中で、父寿太と唯一交流があった方です。

平成11年(1999)2月初め、夫隆太が井上叔父さんに電話をし
「森琴石の本を出版する予定です」と述べ、
「森家や森琴石について調べ始めています。ご存知の事があればどのような些細な事でも良いのでお教え願いたい」とお伝えしました。

更に「今後の連絡は 妻がします」とも伝えていました。
保叔父さんは「姉の由紀子が存命だったら何でも良く知っていたのだが・・・・」と言いながらも、気持ちよく応じて下さったそうです。

その後まもなく私は井上叔父さんにお手紙を出し、前年開催された『有馬の名宝展』の図録や、森家の過去帳や戸籍謄本から作成した「家系図」、その他文献のコピーなどを添えてお送りしました。
保叔父さんも、森家の皆様方とは血の繋がらない私とのやりとりの方が気楽だったみたいです。

 

叔父「井上 保」氏について
父寿太の実母(梅子)は、父が3歳に満たないうちに亡くなり、その後寿太の父である「雄次」は「下島 はな」と再婚し、2男1女をもうけた。井上叔父さんは「雄次」と「はな」との間に出来た2番目の息子で、雄次にとっては3番目の息子となる。
保叔父さんは結婚して井上家の婿養子となり井上姓になったのです。

資料紹介:日誌「森 加津 の日誌」大正9年7月18日、19日に保氏誕生の記載があります。 

 

井上氏から5度にわたり書簡が届く
私共の要請を快く受けて下さり、その後保叔父さんの兄である弘さんにお聞きになられたようでした。

井上氏はこの年の春手術されたそうで、手術後間もない1999年5月1日「手術後で手が震えてなかなか文字が書けません」としながらも、びっしりと便箋4枚半分を書いて送って下さいました。
その後次々と5月20日、6月12日、6月19日と送って下さり、かなりの間を置き2004年12月16日が最期に計5回頂戴しました。
その他書き忘れた事があると、お電話も頂戴しました。

内容は、森家の事、家族、親族の事、森琴石自身の事など、我が森家が知らない情報が沢山あり、叔父さんの書簡はその後の調査に大変役立ちました。
森琴石HPでは、機会がある毎にそれらの情報を使わせて頂いています。

井上叔父さんは、2011年12月『森琴石作品集』刊行後、半年も経たない内に91歳でお亡くなりになりました。

今思いますのに、あの時勇気を出してお願いして良かったとつくづく思っています。
井上保叔父さんには
改めて御礼と感謝を述べさせて頂きます。

 

 

 次回より…書簡の内容をお伝えします
昨年8月19日「森琴石の係累・・・聞き取りを開始を更新後、余り日数が経たないうちに井上氏の書簡を出す予定でした。

然しながら琴石が生きた時代、当時は親密に付き合っていた親戚の方でも、現在は完全に疎遠になってしまっている事もあり、又大昔の出来事であっても今聞けば不愉快に感じる事もあるだろうと懸念し、なかなか公開に踏み切れませんでした。
熟慮の上森琴石の調査、作品の所在や当時の交流関係を知るには必要な事もあろうかと公開させて頂く事と致しました。

次回より、内容別に編集したものを順次ご紹介させて頂きます。

 

 

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