森琴石の係累・・・聞き取りを開始

2012年8月19日 更新

前回;森琴石の係累を調べる

 

森琴石の係累・・・聞き取りを開始

「過去帳」から知る森琴石の若年期
「有馬の名宝」展終了後、森琴石の係累を調べようと、森家の過去帳や戸籍謄本を取り寄せました。
祖父「森 雄次」が書いた過去帳からは、戸籍謄本では到底知る事が出来ない事実を知る事が出来ました。
それは

  
◍過去帳には、戒名には一部を除き、俗名、歿年、享年が書かれている。
  ◍俗名の上には屋号が書かれているものや、地名や続柄が書かれている。
  ◍生まれた年号は、歿年と享年から逆算した。

 琴石の養子先、大阪の森家の係累が森琴石の3代前までさかのぼって書かれていた。
 森琴石は謄本にある「ヤス」以外、2回結婚している事が分かった。
  つまり謄本に記載のある妻「ヤス」は3度目の妻だったのである。
  最初の妻が、養父善蔵の娘だった事も衝撃を受けました。


過去帳に書かれている事を検証すると共に、更に詳しく知りたいと、身内からの聞き取りを開始しました。

 聞き取り開始・・・先ずは我が家から
森家の現直系である夫(隆太)と妹の木村玲子さんに、

「森琴石や森家について、どのような些細な事でも良いので、これまでに聞いていた事を教えて」と、お願いしました。
幼い頃から、父「森 寿太」から森家の事について聞いていた事を思い出して貰いました。
下に大まかに記述します。

 

 森家のルーツ
森家は、岐阜県出身の武将「森 XX」の血筋を引く家系 だとの事です。

 氏名をフルネームで書くのは いかにも<眉唾(まゆつば)>に思えますので差し控えます

養子先の森家
森琴石の養父は、兵庫県出石市の出石藩「仙石左京」の家臣だった。
 日本三大お家騒動で知れる「仙石騒動」での負け組。
 騒動後、出石を出て大阪の森家を頼った。

◍養父が頼った大阪の森家は、安治川で旅館「出石屋」を営んでいた。
父からは「高麗橋」で旅館を営んでいた・・・・・とも聞いていた。
◍養子先の森家は、屋号が「出石屋」なので、元々は出石の出身と云える。
三代前の「定七」が安治川で旅館「出石屋」を起こし(出石屋定七
                                  ↓
                                初代善蔵
                                  
↓(初代善蔵の嫡子は早世)
                       
        2代目善蔵(猪平)                                                                   
                                  ↓
                               森 琴石(猪平の養子)

後養父の善蔵(猪平)は、安治川の(地所)は他の親族に譲り、自身は高麗橋に移ったとも考えられる・・・何故なら明治時代、安治川には身内の森健吉が住んでいたからである。 
    森 謙吉⇒森琴石の作品所蔵者:清水復三郎 に 住所の記述あり

★江戸末期の森家について=【平成18年 5月【3】◆森琴石と慶応義塾などについて」 、「平成19年7月【2】」等で記述しています。

 

森家の身内
1 祖母「梅子」は佐賀の藩士の娘で、大隈重信と関係が深かった。
  父は大隈重信から「寿太」の名を命名して頂いた。
2 身内に「岩本栄之助」がいた
3 酒造家(菊正宗)の「嘉納」家とも身内で、講道館の「嘉納XX郎」がいたそうです。

以前から少し聞いてはいましたが、祖母「梅子」の件はどうやら本当らしい。
他の著名人には驚きましたが、森家のルーツと同様、森家の現状から見れば、
第三者からは<眉唾(まゆつば)>としか受け取れないと思いましたね。

   森琴石HP記述ヶ所
   岩本=「展示掲載情報:平成11年4/24~5/30 岩本栄之助と中央公会堂展」
   
   「平成17年 12月】【2】」・「平成20年 8月】【1】注4」・「平成23年 2月】【2】注7」

   嘉納=「平成19年 12月【2】①:『寰瀛記(かんえいき)小説 柳 楢悦』 の中※嘉納次郎作(治朗 
      作)」記述をご覧下さい。「平成23年 3月】【3】末尾の方」

       森家は嘉納家の婿養子に行った次郎作の実家、近江の神社の神主とが身内だったので 
        はと思われる。
       根拠は、
       京都の美術商の方から「森琴石の作品を、滋賀県のお寺か神社の方が良く購入して下さっ  
       ている」という情報を得ているからです。
  

 

戦後の森家
戦後の森家は、所有していた土地山林は「不在地主として没収され、琴石が長らく住んでいた北区の居宅は借地だった事、貸していた北区の居宅は戦災で全焼した為”家賃収入”も無くなった事等、諸事情が重なり戦後10年位はかなり苦労したそうです。
その間に、戦前には親密にしていた身内とはどんどん疎遠になっていったようです。

  「お父さんは古いものを風呂敷に包んで、骨董屋かどこかに良く持って行っていた」と、
  母米子が述懐していた事を思い出します。

 森家では、森琴石や森家の事を調べるのは<辛い時代を思い出す>のだそうで、
“血縁の無い妻の私の方が、物事をより冷静に受け止める事が出来るだろう”と、今後の調査は、
“会社人としての比重が何より高い夫”の、執事のような役割で、妻の私が進めていくはめになってしまいました。

 

聞き取りは不十分
森家の聞き取りでは、森琴石の結婚や係累を知るには不十分と思い、
他の身内へと聞き取りを広げていく事にしました。

 

 

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