「読画会」に尽力した岸田氏宛…森琴石の書簡

2012年7月13日 更新

 

 森琴石の情報:インターネットでチェック
我が家では森琴石に関する新しい情報が無いか、2、3日に一度インターネットでの情報をチェックするように心がけています。
■情報の中には、森琴石や門弟たちの作品や、森琴石の書簡が出品されているオークションの情報が含まれている。
■南画作品では、落款や為書からは、<画を描いた場所や年月>、<森琴石に画を求めた人物>を知る事が出来る。南画のオークションではにせものも良く見かける。
■書簡はその内容と宛先から、未知の<美術界の情報や交流者>を知るきっかけになる。
■オークションが既に終了していても、インターネットでは、しばらくの間は画像が残されているので、その画像からある程度の情報を得る事が出来る。

Yオークションに森琴石の手紙!!
■5月10日過ぎ、Yオークションに森琴石の書簡が出ている事に気づきました。
◍書簡は表装され、掛け軸仕立てとなっている。
◍出品者は千葉市の方で、材質や寸法の記述はあるが、宛先や文面の概要説明は無い。
■画像から「讀畫(読画)会」、「屏風」、「原田西疇翁」、「洋酒一瓶」の文字が目に入りました。
■我が家は夫婦共々、漢文はおろか筆記体の手紙文を読むのも苦手で、内容を把握出来ないのです。
■ 平素より何かとご協力を頂いている研究者の方が、ご自身の研究論文中に「原田西疇」の名を取り上げておられた事を思い出し、ご迷惑を顧みず画像の文面の読みをお願い致しました。
折り返し、「間違っているかも知れませんが、ざっと読んでみました・・・」とのお断りの言葉を添えて、
翻刻文を送信して頂きました。

■ この書簡は<資料性がかなりある>と、入手したいと入札に参加したところ、競合者も少なく運よく安価で落札する事が出来ました。
■ 下方に、書簡の画像(モノクロコピーしたもの)に、暫定的な翻刻文を添えさせて頂きました。
■当て推量かもしれませんが、書簡の文面に出る「読画会」や「岸田氏」について推考してみました。
■読画会の創設者「荒木寛畝」やその後継者「荒木十畝」とその門下の作品展覧会が、
2000年3月、日立市郷土博物館で開催されました。
その図録中には読画会の事や荒木一門の画業が詳しく記述されています。
5月中旬、その図録を入手すると同時に、同館の学芸員「大森潤也」先生に、読画会について問い合わせさせて頂きました。
■森琴石と荒木寛畝は、美術界での軌跡が似ているように思いました。
門下の方には茨城出身の方が多いそうです。

 

森琴石⇒岸田氏 書簡

                                  本紙寸法 : 横57×縦16センチ
                                  全体寸法 : 横71×縦100センチ

書簡の翻刻(暫定的なもの)
花翰忝奉拝誦候/日一日と月迫嘸(さぞ)御/多忙奉恐察候陳ハ唯今無存□□/事候白□御/返稿(?)被降万々/□□奉鳴謝候/永相楽申候読画/之義段々御配慮被下候段□□□/御厚礼/奉申候つつ□□屏風/誠に拙劣御□正/□□拝眉之節/御礼可申述候先ハ/□御□□以乱筆如此□□□□/尚々洋酒一ビン並/原田西疇翁画壹張/進呈仕候□□□/廿七日  森琴石拝/岸田様

内容概略
◍(岸田氏へ)読画会に配慮して頂いた事へのお礼
◍(岸田氏より依頼された)屏風の作品が出来上がった事
◍(岸田氏へ)屏風を送る際「原田西疇翁の画一張」と「洋酒一瓶」を進呈する

 

岸田氏とは?
★手紙から推測する岸田氏
読画会に尽力した人物
◍原田西疇の画を貰って喜ぶ人物
◍洋酒を好むハイカラな人
という人物像が浮かび上がってきました。

森琴石周辺での岸田姓は?
◍「岸田吟香」と門下の「岸田芥田」の存在があります。 

★門下の岸田芥田
芥田の伝歴は殆ど不明、住所が現在の大阪府高槻市なので、画や洋酒を送るほどの遠方では無い。
門下ならば本人が森琴石自宅を訪問したはずである。
★岸田吟香?

成島柳北が創刊した「花月新誌」には原田西疇の名が度々出る。花月新誌には、岸田吟香の周辺のジャーナリストや文人達の名が頻繁に出てきており、両者の交流者たちが共通している。

 

読画会について
★読画会という名称には、新旧2つの組織がある

旧=聴香読画会   
川上冬崖が明治2年に開設した、日本最初の洋画・洋風画系の美術団体。
画塾を聴香読画館という=http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/jart/mokuji/2kktg001.html
森琴石の画室名「聴香読画廬」は、これに由来する。
森琴石は、長三洲より「聴香讀畫」の書を揮毫して頂いた。

新=読画会
荒木寛畝の画塾「寛畝社中」又「寛畝塾」が、
明治38年に「読画会」として組織化された美術団体の名称。

読画会の由来は、明治の元勲三条実美の揮毫書「聴香読画」に由来する。

 

書簡の年代は、明治37年頃か?
◍森琴石の手紙には「原田西疇翁」とある事から、原田西疇は60歳以上と思われる。
◍「聴香読画会」の頃の手紙ならば、原田西疇翁とは書かないはずである。
◍森琴石と原田西疇は同世代と思われる荒木寛畝の「読画会」に尽力した人物と思われる。
因みに寛畝の「読画会」発足した明治38年は、森琴石62歳の頃である。

◍原田西疇稿の『文字縁談』では、明治12年春のもので、原田西疇の年齢は78歳とある。
森琴石が大正10年3月に歿した時の年齢が78歳であるので、原田西疇は森琴石より2歳年下のようだ。

◍以上の事から、書簡の年号は「読画会」が発足した明治38年9月より以前かも知れない
◍「読画会」発足する前年、明治37年の正月<寛畝塾の新年会>には、100余人もの参加者が、
神田明神境内の開花楼に集まったという。読画会への支援者も参加した可能性がある。

 

★原田西疇について
◍原田西疇については、我が家及び図書館での「人物辞典」で調べたがいずれも記載は無かった。
以下は、森琴石HPで記述したもの、5月に取得した『文字縁談』等をまとめたものです。

名=原田隆造、原田隆
字=子隆
号=西疇
出身=広島県
住所=大阪府下南区順慶町三丁目五十番地寄留
著書類
1:『藤本鉄石薦場余禄』(藤本鉄石十七回忌追悼茶筵図録・明治12年5月刊)の編者
2:『鴨涯吟草』=「日本同人詩選 巻一」(陳曼寿=陳鴻誥編・明治12年・土屋弘出版)
    同著内、原田隆の漢詩及び人物紹介文による。鴨涯=頼三樹三郎の別号 
        
平成16年6月【1】注2●2つ目」に記述しています。
3:『味梅華館詩鈔』(明13年・前川善兵衛出版)の編者 
4:『文字縁談 贈紫山西疇隆 印=原田』
     末尾に「大正12年春七十八叟隆初稿 徳永翠亭写」とあり
         
    
紫山=茨城出身のジャーナリスト「川崎紫山」か?
    徳永翠亭=不詳

 

 文字縁談画像  上:表紙 
                 下:序文

                                          

 

読画会と岸田吟香とは関連があるか?
◍岸田吟香は、明治38年6月に死亡している。
◍「読画会 第1回展」は、明治38年9月27日~10月26日迄、上野竹之台陳列館」で開催された事から、吟香は亡くなる前、読画会に尽力した可能性はある。
◍『増補古今書画名家一覧』(石塚猪男編著・明治38年10月15日発行)の鑑識家及考古家の欄には「東京:岸田吟香」の名があり、岸田吟香の四男劉生は洋画家であるなど、岸田吟香が「読画会」に何らかの形で協力した可能性はある。


書簡の持ち主は?
◍森琴石の書簡が、表装され掛け軸になっている事は
「読画会」の関係者が「岸田氏が、読画会に尽力してくれた証拠の手紙}として、
大切に保管されていた可能性もある。

「読画会」については、
『近代花鳥画考 読画会・荒木一門の系譜』(日立郷土博物館・2000年3月刊)の中、
 根崎光男氏及び大森潤也氏の論文、荒木一門関連年表を参考にさせて頂きました。

 

終わりに
岸田氏を岸田吟香と結びつけるのは、現時点では無理が多すぎます。
もっと確証となる資料を得てから、この書簡の存在をご紹介すべきでしたが、
しかし乍ら書簡を取得してから2か月経ってしまいました。
それでは“WHA’S NEW?”の<最新情報>でご紹介する意味が無くなりますので、今回敢えて取り上げる事と致しました。

今後、又岸田氏が誰であるか? 確証を得ましたら、
「森琴石HP,資料紹介:書簡」に 掲載したいと思います。

 

 

 

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