道後温泉本館に森琴石の「菊.石.小禽図」の掛け軸・・・森琴石、松山に交流者多数

2022年8月28日 更新

道後温泉
・・・
日本最古の温泉…日本三古湯のひとつ
本館…国指定の文化財
(本館は4部屋あり=御成門・玉座の間・御居間・御湯殿・洞の間・御厠)

本館<洞の間>
・・・森琴石の「菊.石.小禽図」の掛け軸掛かる
森琴石
・・・松山に知己・足跡多数あり

松山での交流者(抜粋)
…   画家  天野方壺(あまの ほうこ)=森家に資料多数残る
・・・  企業家   関谷 良(せきや りょう)=温泉町出身
・・・・・・・・・・今出銀行頭取、松山信託株式会社取締役など
・・・・・・・・・・森琴石に画を学ぶ
・・・・・・・・・・正岡子規と俳句の師匠が同じ
・・・   教師  左氏殊山(さし しゅざん)
・・・・・・・・・・松山中学の漢学教師…夏目漱石の同僚
・・・・・・・・・・<森琴石と来舶清人が交わした>筆談に名

■道後温泉は愛媛県松山市に湧出する日本で最古の温泉です。
■日本三大温泉のひとつで日本三古湯の一つといわれる。
(三古湯=別府・道後・有馬 ※有馬温泉は森琴石の生地
■国指定の文化財に指定されている「道後温泉本館」洞の間に、森琴石の掛け軸がかかっています。[菊 .石.小禽図…明治27年作]
■本館は明治35年に改築され、当時の新聞によれば、当初から森琴石の掛け軸が掛けられていたそうです。
■このような歴史的価値のある場所に、森琴石の画が飾られている事は、この上なく名誉な事と感激しています。

道後温泉に因む地名「温泉郡」で生まれ、地域の経済に多大な貢献をした「関谷 良」は、森琴石に画を学ぶなど親交していた。
■関谷良は、和歌にも造詣が深く、正岡子規と同じ「井手真棹(正雄)」に俳句を学び、歌人として著名な師岡正胤潮見琢磨から和歌を嗜んでいた。
 *森琴石HPでは当地の真鍋豊平を取り上げていた
■南画の先輩である天野方壺と、森琴石はかなり親しく、方壺を非常に尊敬していたようだ。
■森琴石と天野方壺との、共通の親交者戸田葆堂(元大垣藩主)が記した『芸窓日録』には、森琴石や天野方壺を始め、来舶清人(王冶梅、王琴仙、胡鉄梅、朱印然、陳曼寿 など)、長崎の著名な篆刻家、熊本の文人画家、その他多数の交流者の名が出、戸田葆堂の幅広い交流や当時の交流圏を知る貴重な資料です。

*戸田葆堂「芸窓日録」の解題  タテ02-中嶋.indd (shiki-cogito.net)
論文=中嶋康博氏(岐阜女子大学)
*森琴石は、日録には「金石・森」等と記述されている

*我が家が注目する事
…『芸窓日録』には大橋翆石の名が頻繁に出る。翆石は虎の絵で著名ですが、岐阜にも虎の絵が得意な森泰石がいる。
森泰石=森琴石に花鳥画、大橋翆石に動物画を学び、虎の絵が得意で宮内省の御買い上げとなるほどだった。山本梅荘とも親交した。
(何故かネット検索では泰石の情報が無い)
*森家の親族が、胡鉄梅の「耄耋之図…もうてつ之図=毛むくじゃらの猫)」を描いた袱紗を所蔵している。(耄耋之図の読みは、嘗て成澤勝嗣先生に読んで頂いていました)

…森琴石は、中部地方での出版に関するノウハウを伝授した可能性がある
(例:長野の書物師、内藤伝右衛門の名出る)

■道後温泉は、夏目漱石の小説『坊つちやん』にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。
■森琴石の一級資料とされる「来舶清人と交わした筆談」には、『坊ちゃん』の中、夏目漱石の同僚の漢学の先生「左氏殊山」の名が記されている。

■森琴石は松山や周辺の足跡を示す資料がかなりあり、それらをまとめると
薄い1冊の書物になるかも知れません。

足跡=砥部、三津浜、久万、宇和島、今治、三島、伊予 西条 など
資料=陶器、掛け軸、下絵、書簡、筆談、控え帳、書誌 など

 ご参考
●明治27年、森琴石は伊予市を訪問していた
森 琴石…愛媛県伊予市「彩浜館」を訪問=明治27年 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)

★最近発表された論文に、愛媛県に関係する内容が含まれています・・・是非ご一読ください
●呉 孟晋氏
交友と協業のコレクション
野﨑家と森家にある来舶清人の書画について
「中国書画コレクションの時空」(2021年10月17日)
関西中国書画コレクション研究会設立10周年記念 国際シンポジウム 報告書(2022年4月)
p139~152

●呉 孟晋氏・陳 捷氏
森琴石ゆかりの中国書画および書簡資料について
―来舶清人の交流を中心に―

京都国立博物館研究紀要『学叢』第44号(2022年6月・価格2090円)
書画資料=呉孟晋氏書簡資料=陳捷氏  p79-109

調査ご協力
…愛媛県 松山市役所道 後温泉事務所 

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画像
画像ご提供=松山市役所道後温泉事務所

道後温泉本館 洞の間
・・森琴石「菊 .石.小禽図」

洞の間 左が床の間

「菊 .石.小禽図」 

菊に石図 床の間

落款 {甲午初春写於聴香読画蘆 琴石}
甲午=明治27年 聴香読画蘆=森琴石の斎号   

菊に石図 画のみ

新聞記事=明治35年

「・・・・後の洞床には大坂の画家琴石の花鳥の額が吊してある・・・・」

明治35年記事

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資料

森琴石の弟子
~関谷 良(せきや りょう)
『愛媛県人物名鑑 第1編 松山市温泉郡之部』
・・・南海新聞社 1924年

出典=国立国会図書館次世代デジタルライブラリ―

関谷良(松山 - コピー

翻刻文
(読みやすいように原文を種々変更しています、印刷脱字を加筆)

関谷 良
温泉郡生石村南吉田町102番戸
万延元年12,12生
妻        富士子   明4,12.20生
養子   甥    泉       明35,9,1生

君は故關谷許三郞の長男にして、父隠居に依り明治五年十二月十九日家督を相續す、幼時明星冠山師に就き漢学を修め、変則松山中學校、愛媛県師範学校、県立松山養蚕伝習所などに学び、後本県蚕種検査員、居村役塲收入役、村会議員、郡会議員、村長等の公職に在る事十数年、
傍ら同志と共に株式會社今出銀行を起して其取締役となる事十三年に及び、大正十年四月退職、弟寬は同村に分家し、甥玉井則衛(農學士)は農商務省に在勤、従兄弟鴨川正幸は当温泉郡て松山市收入役たりし人、同新野伊三郞は伊豫鐵電取締役たり、妻富士子は從四位勤四等功五級陸軍少佐白石昌壽の姉にして養子は君の弟從五位勳三等功五級騎兵中佐關谷守の長男なり、
尙ほ君は書画を好み描法を後藤蟹洲、森琴石等に學ぶ
其書は嘗て海南新聞社主催 県下素人書画展覽会に於て三等賞に入選す、当時滯松中の書家渡部白峰の評に日く、文字に見識あり厚みあり腹中文字を藏するの人也云々と、又和歌を井手正雄、師岡正胤、潮見琢磨等に學ぶ、
松竹梅の詠に曰く、
松  池水に映る千歲の影を見てまつも我身の老を知るらん
竹  竹影高く節も素直にのぶ竹を子等が學びの窓に植ゑまし
梅  降る雪に埋もれ果てし山蔭のうめのはっ花とふ人もなし

人物メモ

後藤蟹洲=詳細不明=能登勝次郎の師匠
能登勝次郞
梅谷と號す 伊予国温泉郡末廣町一丁目に住す

能登具吉(號梅山)の男にして明治七年三月生なり
初め狩野派の法を父に学び 後ち南派を後藤蟹洲に学ぶ
内国絵画共進会出品人略譜第2回農商務省博覧会掛編国文社 1884

●井手正雄 (いで まさお)
(井手真棹  いで まさお)
歌人、正岡子規の師匠
データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム (i-manabi.jp) に詳しく書かれています。

師岡正胤(もろおか まさたね)
1829-1899 江戸時代末期から明治時代にかけての国学者で勤王家、医師。通称は豊輔、号は節斎、布志乃屋 
明治15年、宮内省文学御用掛、明治24年(1891年)伊勢神宮の本部教授となり、愛媛皇典講究所教授も務めた。明治32年(1899年)1月23日)に死去。享年71。墓所は、東京都台東区谷中の多宝院(真言宗豊山派寺院)。娘の師岡千代子(1875年 – 1960年)は、社会主義者幸徳秋水の2度目の妻(のちに離縁)である 
ウィキペディア他)

幸徳秋水・・・森琴石HP記述ヵ所
塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期大阪のキリスト教会創設メンバーだった | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)
らんだむ書籍館 (morikinseki.com)

●潮見琢磨(しおみ たくま)
明治八年、山口県から松山に移ってきた潮見琢磨は、漢学を修めて漢詩に造詣あり和歌の道にも堪能であった。神宮奉斎会の愛媛地方本部を設立して、国学、歌道の研究に心ある人々を集めた。明治二三年には師の師岡正胤を招いて雑誌「奨弘新誌」を発行して地方歌壇に寄与した。データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム (i-manabi.jp) より抜粋

・・・・・・・・・・・・・・・・・

左氏殊山(さし しゅざん) について
  名=憧(すなお)

⓵ 森琴石と清人との筆談

右端に 南岳 竹香 南洲 殊山 の4名の名
・・・・・(藤澤南岳、近藤南州、小原竹香、左氏殊山)
        南岳 竹香 南州 殊山 
*筆談の解明は、来年以降、研究者により今後発表の予定です


データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システム (i-manabi.jp) より

左氏 珠山 (さし しゅざん)
文政12年~明治29年(1829~1896)教育者。文政12年8月23日宇和郡舌間浦(現八幡浜市舌間)に生まれ,名は撞,字は子豫,家は代々修験道を奉じ,宝珠院と呼ばれた。
珠山は初め禅を学び,北宇和郡丸穂村(現宇和島市)の泰平寺に居たが,元来学問を好み,志を立て上阪し篠崎小竹の門に学んだ。
21歳の時宇和島に帰り上甲振洋に10年間漢学を学んだ。
東宇和郡卯之町の申義堂の教授となり,次いで宇和島藩侯に聘されて厚遇をうけ,明倫館の教授となり,藩士に列せられた。
廃藩の後は法官となり判事補に任ぜられ,のも南予中学校長となる。
また大阪に出て鴻池家に聘されて家庭教育を行い,傍ら藤沢南岳・近藤南州らと交わって詩文の贈答を行った。
帰国して,第三中学校(のちの宇和島中学校)・愛媛県尋常中学校(のちの松山中学校)などで教えた。
明治29年7月20日死没, 66歳。宇和島の法円寺に葬る。珠山の人となりは恬淡寡慾,興至れば酒を飲み吟詠を楽しみ,とした。詩文の佳作多く,『鬼ヶ城山遊記』などを遺している。
昭和57年梅の堂境内に左氏珠山之碑が建立された。

⓷森琴石ホームページ
関連資料
勤皇家 墾 鉄操(きんのうか あらきてっそう)

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 伊予方面
森琴石ホームページ 記載

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林業の地として知れる愛媛県上浮穴郡(かみうけなぐん)は、二町村の総面 積の約9割が森林である。久万高原町(くまこうげんちょう)にある、久万町立美術館の「井部 …
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愛媛県. 山名 友石(やまな ゆうせき). (一): 名 亜羅彦。住所 愛媛県伊予国新居郡西条町358番戸。 (明治30年11月23日付門弟名簿付門人名簿); (二)著書
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「胡鉄梅」「田能村直入」「日下 部鳴鶴」「池田雲樵」「渡辺小華」「川村雨谷」「藤堂凌雲」など、10家が揮毫している。胡鉄梅は同じく明治18年12月、愛媛県の砥部 …
 
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落款には「写 於今治喜雨山房南窓下以為・・・・・清属即乞正之 琴石森熊」と書かれている。愛媛県今治で描かれた作品である。作品は、身内の方より譲り受けられたもの。森 …
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伊予国(現愛媛県)西条藩士の子息で江戸に生れ、昌平黌に学ぶ。その後、藩主侍講、山梨県学務課勤務5等出仕などを経て、1881年(明治14)7月開拓使の漢学 …
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天野方壺については、梶岡秀一氏(愛媛県美術館)に、翻刻、読解、印の読み及び解説等ご協力頂きました。 1 「小原 竹香」(おはら ちっこう). h2210_2.
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出張鑑定大会in松山」で、愛媛県松山「三津浜の朝市」を描いた、森琴石作「三津の魚市場」が出る。鑑定価格は100万円。森琴石の道後温泉近辺のスケッチメモが残されて …
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山名 亜羅彦, 友石, 愛媛県伊予国新居郡西条町358番戸.
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梶岡秀一著「文人画家天野方壺履歴の概説」愛媛県美術館研究紀要 第3号抜刷・2004年3月31日 などによる) ※森琴石の作品に「美津の魚市場」があり、胡公寿との関係 …
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愛媛県生まれ。本名、秉五郎(へいごろう)。正岡子規門の高弟。高浜虚子と対立、定型・季語を離れた新傾向俳句を提唱。全国行脚して「三千里」「続三千里」をまとめた。
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高橋紫水=明治2年愛媛県新居郡生・小山正太郎、田村宗立に学び、京都府画学校の西洋画科を専攻し、旧制西條中学教諭となる。 ◇七言律詩=漢詩の一体。
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それによると深見氏の尊父、深見寅之助翁は、愛媛県議会第十九代と二十二代の議長をつとめ、のち衆議院議員となり昭和3年死去された政治家であり、能書家としても知 …
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… 山名友石(やまな ゆうせき)=「平成13年8月□1番目注1」・「平成13年11月」・「平成16年9月□1番目 注1◇参考の場所」・「門人:愛媛県<山名友石>」 …
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「三、忍頂寺と文庫点描」(責任編集:福田安典・大阪大学国語国文学会機関誌・平成10年5月) ※福田安典氏=現愛媛大学教育学部助教授

 

砥部

「砥部焼きと森琴石・胡鉄梅」

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砥部焼き研究者の山本典男氏より「砥部焼き歴史資料 第一集 注1」資料や、「胡鉄梅」・「森琴石」のご情報の提供を頂く。明治18年・19年の海南新聞(愛媛新聞の前身) …
 
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清国画家胡鉄梅、砥部にて絵付けをする。 … 向井和平、城戸徳蔵と計って長崎商人小村徳平を通 じて清国安東県に初めて砥部焼きを輸出。 明治 …
 
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砥部焼き「愛山窯 あいざんがま 注3」向井和平の窯元で製作されたものである。明治18年、森琴石は四国を訪れており、12月には愛媛県今治で「十六羅漢図 注4」を描いて …
 
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「胡鉄梅」「田能村直入」「日下 部鳴鶴」「池田雲樵」「渡辺小華」「川村雨谷」「藤堂凌雲」など、10家が揮毫している。胡鉄梅は同じく明治18年12月、愛媛県の砥部 …
 
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… 児玉玉立 石碑文 (こだまぎょくりゅう せきひぶん): 千瓢賞餘(せんひょう しょうよ): 「田川春荘画の「孔子像」と地域社会」 · 「砥部焼きと森琴石・胡鉄梅」 …
 
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砥部(とべ)=「平成16年11月、同12月」・「平成17年3月」・関連資料「砥部焼きと森琴石」 ☆美濃(みの)=「平成14年9月」・「平成15年7月、同8 …
 
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愛山窯 (あいざんかま). 窯元家(砥部焼). 向井和平(号愛山)が開いた窯元。森琴石や胡鉄梅が逗留し、焼き物 …
 
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明治18年10月~12月, =砥部滞在(愛山窯で染付けなど). 明治18年12月, =松江滞在(鳥取渡辺美術館蔵 作品による). 明治19年3月, =松江滞在(佐藤愛山訪問).
 
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「平成14年9月」・「平成15年7月、同8月」・「平成16年12月 注1」・「平成19年1月□9番目&注11」・関連資料「砥部焼きと森琴石」 の年表内、また 森家に …
 
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サムネイル画像
… 礼之(平成12年8月)・北方心泉・瀧和亭・田結荘千里・同孚泰(長崎から来た貿易商人=平成16

 

 

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