森琴石 の山水図「原 敬」に ご下賜

2012年11月30日 更新

明治天皇のご遺品が「原 敬」にご下賜(森琴石山水図)
~大正元年大晦日~


森琴石山水図「原 敬」にご下賜
「原敬 記念館」に所蔵
・・
インターネットで偶然知った展覧会情報
・・・
「澗閣松雲図」作品が大きすぎ展示出来なかった

■平成26年も  一か月を残すのみとなりました。
■今から102年前の大晦日(12月31日)に、森琴石の作品が内務大臣「原 敬」に下賜された事が「原 敬日記」に記録されています。
■森琴石の作品が何点か「宮内省」にお買い上げとなった事は森琴石の伝記などで記述されていますが、具体的な<ご下賜先>を知る事は非常に難しい。
■明治30年の「森琴石門弟名簿について」の中<大熊敏之先生 森家への調査>で記述していますが、当時宮内庁三の丸尚蔵館に所属されていた大熊敏之先生から、多数の資料を提供頂きました。
■その中に宮内省での「森琴石作品 お買い上げ作品」もありましたが、
いつ、誰に下賜されたか は不明でした。恐らく情報を公開出来ないものと思われます。

■ある日、インターネットで偶然見つけた情報で、森琴石の作品が「原敬記念館」で展示される事を知りました。その後の経緯は下に記述致します。

 

原 敬へのご下賜品
所蔵発見⇒作品と対面
森琴石の作品が「原 敬記念館」に所蔵されており、その作品が「昭和天皇から原敬に下賜された作品」である事を知ったのは、インターネットでの展覧会の情報を知った事に始まります。
■その後「原敬 記念館」で森琴石の作品と対面するまでの経緯を簡単に記述致します。

平成13年5月中旬
●インターネットで「森琴石」を検索していたところ、<森琴石>の作品が「原敬記念館」で出展される予定である事を知る。
●数日後再度展覧会情報を見たところ<森琴石>の名前が消えてしまっていた。
●何故? しばらく思案しましたが、思い切って「原 敬記念館」に問い合わせをしたところ、森琴石の作品は
H13年6月1日~7月31日まで開催の「第26回企画展 所蔵資料展(三)
に展示予定の作品だったそうだが、
「作品が大きすぎ、展示ガラスケーの高さが足りなかった」
と、回答を頂きました。
●私共の方から
原敬記念館所蔵の<森琴石の作品の概要>を知りたい
『森琴石作品集』を出版する予定である事、
『森琴石作品集』に原敬記念館所蔵の森琴石作品を掲載したい
等、等 私共の要望をお伝えしました。
●しばらくしてから
作品名:「澗閣松雲図」
明治33年の作品
明治天皇のご遺品⇒原 敬にご下賜
寸法:縦165cm・横71,5cm
絹本青緑図
など具体的な事をお知らせ頂きました。
作品集への掲載については快くご承諾頂き、作品撮影をして頂く写真館をご紹介頂きました。
●その後
写真館と交渉。
8月中旬
写真館より森琴石作品集に掲載する為の「ネガ」及び紙焼き写真が届く。
写真を見ると余計に実物を拝見したい…という気持ちが募ってきました。
9月
「貴館(原 敬記念館)を訪問し、作品を拝見させて頂きたい」とお伝えする。
日程の打ち合わせをする。
10月連休
空路青森へと向かう。1泊の予定で青森の三内丸山遺跡、奥入瀬川、八甲田山・十和田湖などを日程に組み込んだ。
原 敬記念館 訪問
●翌日、原敬記念館を訪問。簡潔な佇まいの記念館。館長さんをはじめ丁重にお出迎えを頂き、別室で森琴石の作品と対面させて頂きました。隅々にまで森琴石の<凛とした姿勢>が伝わる逸品と感じました。
●御用品である事を証明する掛け軸の最上部の真ん中に<大きな角印>が押されていました。専門用語は何というのでしょうか、以前聞いた気もしますが記憶に留めておりません。
軸を納める木箱の蓋の裏には「明治三十三年 美術會御用品」と書かれていました。
●折しも「第27回企画展 政党内閣樹立への挑戦」が開催中で、作品を拝見後に館内を案内して頂きました。原敬のさまざまな資料(写真・書翰、日記、辞令書・衣服・愛用品・遺品)等が整然と展示されていました。
●原敬は平民として初めて総理大臣になった方で “品格のある風貌で、政治家としても立派そう” という印象を受けました。記念館は館内も周辺も非常にきれいにされており、原敬が岩手県民から非常に尊敬している方であると強く感じました。
●原 敬記念館の館長さんはじめ、副館長、その他の方々にも大変丁重に対応頂きました。



 ・

『原 敬日記』に森琴石が記述
大正元年12月31日
・・明治天皇のご下賜品
■2年前『原 敬日記3』に森琴石の作品が原敬に下賜された日付の記述がある事を知り、該当書誌を取り寄せていましたので、下に概要をご紹介致します。

『原 敬日記 第三巻 内務大臣』
・編者  原奎一郎
・発行者 福村惇一 
・印刷所 東洋印刷株式会社
・製本所 松榮堂製本所
・発行所 福村出版株式会社
・総頁数 429頁
・発行年 1971年4月10日

森琴石掲載頁276頁

大正元年(1912
十二月
三十一日 先帝の御遺物下賜せらる、森琴石の掛物と銅製七寶の花瓶一對なり、高橋光威を名代として宮内省に差出拝受せるなり。

備考
高橋光威=
1867-1932 明治-昭和時代前期の政治家。慶応3年12月生まれ。「福岡日日新聞」主筆から原敬(たかし)の経営する「大阪新報」の主筆をへて原の秘書官となる。
(コトバンクより)

『原敬日記』の構成
 “原敬日記”全6巻
 各巻\2,800
 官界・言論人①
政界進出②
内務大臣③ 

 総裁就任④
首相時代⑤
総索引・関係資料⑥ 

 

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