What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What's New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

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【響泉堂】森琴石の 印施 (いんぜ)=森家

2021年11月18日 更新

 

森琴石の印施見つかる=森家

静岡県(伊豆市)寺院の印施か?

 

■森家に{響泉堂刻}の印施が残されていました。

■印施は、出雲大社 三十三ケ所巡礼の観音図 を銅版印刷したものです。

■印施は、上方に「出雲巡礼三十三所」と書かれ、観音図の下には「豆州永徳楊宗印施」、その下に「大坂響泉堂刻」と小さな文字が印刷されています。

■豆州とは、
静岡県東部の伊豆半島の事を指し、
印施とは
… 世のためになることを印刷して、世人に知らせること。また、そのもの。…
という意味(コトバンク)。

■印施は、出雲大社33ヵ所巡礼と同じご利益(ごりやく)があるお札(おふだ)、として、静岡県の寺院が発行したものと思われます。

■「永徳楊宗」の意味は不明ですが、豆州永徳村には「永徳寺」という曹洞宗のお寺があります。しかし、関連性については未調査です。

参考資料  解説ページ (jlogos.com)=角川日本地名大辞典
豆州 永徳村
江戸期~明治22年の村名。賀茂郡のうち。もと当村と冷川村は1村であったが,文禄3年の検地によって分村したという(増訂豆州志稿)。「天保郷帳」では「古は徳永村・うつきさし弐ケ村」と見え,枝郷に「うつぎさし」がある。幕府領,元禄11年からは旗本松平氏領。村高は,「元禄郷帳」79石余,ほかに「うつぎさし」として8石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに88石余。助郷は東海道三島宿の加助郷,ほかに下田往還大仁宿の増助郷を勤める。神社には山神社・稲荷神社,寺院には曹洞宗永徳寺がある。明治元年韮山県,同4年足柄県を経て同9年静岡県に所属。同21年頃の反別1,076町余(うち田16町余・畑5町余・宅地2町余・山林789町余・原野262町余),社2・寺1,戸数53・人口285,ほかに小地名に京入道があり,物産は木材・炭・椎茸(増訂豆州志稿)。明治22年中大見村の大字となる。

★森家には、諸国巡礼三十三箇所の“観音図”を描いた<かなり大きな印施の掛け軸>が残されています。
図の殆どは1枚の紙に刷られていますが、けずり剥がした図や、後で貼り付けた図があるなど、少し変わっています。

■後月ご紹介の予定の『Illustrations to the Epitome of the Ancient History of Japan』にも、印施の画があります。

森琴石は、富士山の絵を沢山描いており、岐阜、愛知など中部・東海地方とは関係が深く、「日誌」や「作品受注控」に、多数の人物が出てきています。
(因みに下岡蓮杖は、伊豆下田の生まれです)

 

 

 

 

出雲巡礼三十三所
豆州永徳楊宗印施 大坂響泉堂刻

縦28,4㎝x横12,3cm)
印施

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「新撰梅渓 月瀬勝景真図」明治20年3月=森琴石【響泉堂】の 高い技術力と労苦を知る作品

2021年10月4日  更新

 

作品紹介 銅版画でもご覧いただけます

 

「新撰梅渓 月瀬勝景真図」
・・・・明治20年3月、桂雲堂発行、森琴石画・銅刻

 

画像ご提供者=熊田司氏

新撰梅渓 月瀬勝景真図全

月瀬勝景真図・表紙袋

 

熊田 司氏 ご提供

「新撰梅渓 月瀬勝景真図」=明治20年3月刊

・・森琴石【響泉堂】の 高い技術力と労苦を知る作品

 

■7月末、美術史家で前和歌山県立近代美術館館長の、熊田司先生より「久しぶりに響泉堂刻の作品を入手しました」と、明治203月刊『新撰梅渓 月瀬景勝真図』の画像をお送り頂きました。

月ヶ瀬梅渓は 森琴石が最も愛した景勝地で、古くから文人墨客が訪れる名勝地です。森琴石の周辺の文人、親交した清国の文人らが挙って訪問しました。森琴石の師匠鼎金城は、1852年(嘉永5)に月ヶ瀬に行き「歳寒二雅図」を描きました。森琴石9歳、鼎金城に入門3年目の頃です。


 奈良市月ヶ瀬「名勝月ヶ瀬梅渓墨跡展」に「鼎金城」の画が展示

 

月ヶ瀬をテーマにした森琴石の作品は、銅版画を含めかなりの数に上ります。最も有名なのが、明治1510月「第一回農商務省内国絵画共進会」に出品し、褒状を受賞した「月ヶ瀬真景図」です。

森琴石 控え帳
                                 左頁=明治15年<内国絵画共進会>・明治17年<奈良博覧会>の記述

控帳 奈良博覧会(左頁)

「中国近代絵画と日本」展 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)
【黄超曾(吟梅)】・・・見落としていた交流者 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)

 

 銅版画作品では、神戸市立博物館蔵の『新撰梅渓 月瀬勝景真図』が、森琴石の優れた銅版画として、専門家筋から高い評価を頂いています。

■今回ご紹介の『新撰梅渓 月瀬勝景真図』は、神戸市立博物館蔵(以下 神戸市博本とする)と、同年・同月・同名の作品ですが、僅かな違いがあるようです。その相違点の説明を頂いていますので、下方に図を添えてご紹介させて頂きます。

今回の『新撰梅渓 月瀬真勝景真図』は、奈良 ”桂雲堂” 豊住伊兵衛が発行人で、息子の豊住幾之助は月瀬の専売所として名が出ています。神戸市博館本は、息子の豊住幾之介が大阪で出版しています。

『新撰梅渓 月瀬勝景真図』の奥付には、専売所として、
月瀬=窪田兵蔵・今岡利兵衛・梅屋久兵衛、尾山=西岡武平、長引=梅屋長三郎、伊賀=豊住伊兵衛の氏名が書かれています。
●月瀬の窪田兵蔵氏は、森琴石と親交した方です。

 桂雲堂・豊住幾之助氏、豊住伊兵衛氏
 歴史書充実ファンは全国に/世界遺産の街・奈良随一の老舗書店/桂雲堂豊住書店

 豊住書店の創業者は、松尾芭蕉門下8代目の弟子にあたる豊住伊兵衛氏。
 江戸時代後期に三重県伊賀上野に本店をかまえ、ほかに津と大阪、奈良の3箇所に店があった。
何代目かの伊兵衛が明治初期に奈良に移り、この店が受け継がれて現在に至っている。
2代目が豊住幾之助。現在のご当主豊住勝三氏は5代目に当たる。

  平成21年10月1日号::日本書店商業組合連合会「本屋さんへ行こう!」::全国書店新聞 (n-shoten.jp 末尾の方)

残念な事に、2021年10月31日を以て、奈良の老舗「豊住書店」が閉店、150亘る年超の歴史に幕をおろされました。長年に亘るご縁に感謝とお礼を申し上げます。
(この分2021年11月3日 記述)

 窪田兵蔵氏  
 明治20年時点での 月ヶ瀬「騎鶴楼』当主
 騎鶴楼(きかくろう)=家業は初め鍛冶屋を営み、屋号を「かじや」と称した。
のち傍ら旅館「魁春洞」を営む。のち「魁春洞」を「騎鶴楼」に改める。
当時の当主窪田兵蔵氏は、「鍛冶屋兵蔵」名で、
伴林光平著「標柱 月瀬紀行」(明治
14年/伴林光男刊行)など
月ヶ瀬に関する出版にも関与している。・・
(森琴石HP

   今岡利兵衛=長尾天満宮    
   梅屋久兵衛・西岡武平・梅屋長三郎 は詳細不明

月ヶ瀬の景勝や文化財保存に多大な貢献をされている、窪田良蔵氏より、
「新撰梅渓 月瀬勝景真図は、奈良市の 沖森文庫 に所蔵されており、月ヶ瀬の”梅の資料館”ではこれまで数回展示されました」と、お知らせ頂きました。
●窪田良蔵氏は、窪田兵蔵氏のひ孫に当たり、平成年3月、私共が訪問させて頂いた時からご懇意にさせて頂いています。

沖森文庫
  伊賀上野で古書店を営むかたわら郷土史家としても活躍された沖森直三郎氏により
  蒐集された芭蕉翁や伊賀にかかわる俳諧等資料のことをいいます。
  『十七文字の贈りもの』発刊のご案内 | 伊賀市 (iga.lg.jp)

・・Whatt’s Nem 文化財遺墨の宝庫 月ヶ瀬「騎鶴楼」
・・森琴石 調査情報【平成17年 4月】 (morikinseki.com)

■奈良の書肆「阪田購文堂」「金澤昇平」「橋井善次郎」などは、響泉堂刻で、森琴石は多数の書誌に携わっています。

阪田購文堂
●阪田一郎
大和全国地図
奈良県立図書情報館まほろばライブラリー検索 (pref.nara.jp)

●坂田作次郎

森琴石調査情報【平成18年 1月】
明治20年、響泉堂刻「新撰梅渓 月ヶ瀬真景図 全」の出版人「豊住幾之助」は、一族で書肆を経営しており、出版書物の奥附には「大阪・伊賀・橋本」が住所となっている …
●金澤昇平・橋井善次郎
奈良名所独案内
奈良県立図書情報館まほろばライブラリー検索 (pref.nara.jp)

■森琴石は、明治18年奈良博覧会の審査員を務めるなど、奈良との繋がりが深い。しかしネットで見る限り明治18年の「奈良博覧会」に関する資料は見出だせません。

森琴石は「奈良博覧会」等、各種展覧会の審査委員を多数務めていた

森琴石控帳   履歴より(右頁 右から7行目)
(控帳50、51頁)
控帳 奈良博覧会(左頁) 画像

赤線=展覧会の名称と審査委員の記述か所
明治18年5月:奈良博覧会絵画部審査員
明治23年8月:全国絵画共進会審査員
明治26年2月15日:日本美術協会大阪支会第1回展覧会絵画部審査員
明治30年4月:京都市後素協会開設の全国絵画共進会審査員
明治32年4月:愛知県名古屋全国絵画共進会審査員

 

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『新撰梅溪 月瀬勝景真図』
明治20年3月、桂雲堂発行、森琴石画・銅刻

画像ご提供=熊田司氏

全体図

新撰梅渓 月瀬勝景真図全        ・・シート(紙)寸法 37.0×48.3cm イメージ寸法 33.8×46.3cm (冊子寸法)18.6×8.0cm

 

 表紙             ・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・森琴石先生図画
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・新撰梅渓 月瀬勝景真図
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・版権免許 桂雲堂発兌

月瀬勝景真図・表紙袋

奥付

編輯兼図者 大阪府平民  森琴石 東区伏見町3丁目3番地
出版人   大阪府平民  豊住幾之助 東区北久太郎町4丁目14番地
専売所   月瀬   窪田兵蔵  仝 今岡利兵衛      仝 梅屋久兵衛
                  尾山   西岡武平  長引 梅屋長三郎  イガ 豊住伊兵衛

月瀬勝景真図 - 奥付

 

 

熊田 司氏による解説

高い技術力と労苦を知る銅版画

一旦腐食した銅版凹部を、道具(スクレーパ、バニッシャーなど)で平らに均した上、
もう一度防蝕剤を塗布して線刻し、腐食させるという面倒な工程を経ての変更です。
響泉堂琴石の技術的な力量と苦労が解ります

●今回の「新撰梅渓 月瀬勝景真図 全」は、オリジナル作品である。
●神戸市立博物館蔵は、今回のものを一部改刻した再版本である。

その違いは
 1.右上「上野 花香山人誌」とある文章冒頭に、神戸市博本では「凡例」の二文字を  ・・附加している。
 2.中央、風景の上部・和歌の下部にある「梅溪物産表」の囲み罫を、神戸市博本では・・右に拡張、「梅肉数品」~「山芋」の五品目を追刻し、収まりきらなかった
  「梅溪物産表」の表題を上部欄外に新たに刻している。その結果周辺がかなり窮屈にに・・なっている。
 3.左上の欄外に、神戸市博本では
  「梅花満開平年彼岸前後トス大阪ヨリ大文字屋峠越近シ」を追記している。
 4.左上罫囲みの地図を、神戸市博本では改刻している。罫の左辺中央の大半を
   抹消し外郭の罫につなぎ、空いたところに新しいルートを彫り加えている。

●おそらく注文主の意向で「観光パンフレット」に必要な事項を附加したものだと思わる。

 

熊田司氏蔵『新撰梅渓 月瀬勝景真図』

新撰梅渓 月瀬勝景真図全

 

今回&神戸市博本との相違点

参考
神戸市立博物館蔵『梅渓月瀬勝景真図 全』
・36,6cmx46,6cm。
・明治20年3月 響泉堂刻製鳥瞰図(注:鳥瞰図と記述)
・出版人:大阪豊住幾之介
・鳥瞰図の凡例は上野の花香山人。斎藤拙堂の「梅渓遊記」など文人墨客の詩歌を載せている
「特別展 有馬の名宝-蘇生と遊興の文化」図録(神戸市立博物館展覧会=成澤勝嗣氏解説)


相違点(画像)
お断り:神戸市博本は『森琴石作品集』Ⅰ銅版画 を森家がスキャナーで取り込んだものです。
    スキャナーの精度が低く、写りが非常に悪い事ご承知ください

右上
「上野 花香山人誌」
文章冒頭

熊田氏蔵                   神戸市博本=「凡例」の二文字を付加

花香山人

月瀬 左上(神戸市博) (2)

 

梅渓物産表
熊田氏蔵                神戸市博本=「梅肉数品」~「山芋」の五品目を追刻

海山物産表  月瀬 物産表 神戸市博

欄外
熊田氏蔵         神戸市博本=「梅花満開平年彼岸前後トス大阪ヨリ大文字屋峠越近シ」を追記

月瀬勝景真図  上方左部分 左上 欄外の文字

 

囲み地図
熊田氏蔵                神戸市博本=罫の左辺中央の大半を抹消して外郭の罫につなぎぎ・・・・・・・・・・・・・・・・・・  空いたところに新しいルートを彫り加えている


左上 地図(月瀬)   月瀬勝景真図(神戸市博)部分

 

 

 

 

 

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森琴石ブログ
what’s new  記述ヵ所

奈良市月ヶ瀬「名勝月ヶ瀬梅渓墨跡展」に「鼎金城」の画が展示
投稿日: 2015年3月7日 作成者: morikinseki
2015年3月7日 更新   奈良市 月ヶ瀬 梅の資料館 「名勝月ヶ瀬梅渓墨跡展」 ・・・・・・・・・森琴石師匠「鼎金城」の画が展示 ■梅の見頃となりました。 ■奈良市の月ヶ瀬梅渓では現在梅まつりの真最中で、数 … 続きを読む →

文化財遺墨の宝庫 月ヶ瀬「騎鶴楼」
投稿日: 2012年2月5日 作成者: morikinseki
2012/2/5更新   月ヶ瀬 について   森琴石が、画のテーマとして好んだものの一つに、奈良県の<月ヶ瀬梅渓>がある。 月ヶ瀬は、広域にわたる 渓谷を臨む梅景が、香世界と称され大正11年「国名勝」に指定され保護され … 続きを読む →

 

森琴石ホームページ記述ヵ所

増田東洲
森琴石「響泉堂」 門人(門弟)紹介–近畿地区 (morikinseki.com) 増田東洲

森琴石調査情報【平成17年 4月】
「先導 小林 注1 」の文字で始まる、「月ヶ瀬のスケッチ帖」には37頁にわたって、月ヶ瀬近郊の風景が描かれている。明治15年3月、森琴石は友人「石橋雲来」や鑑定

森琴石調査情報【平成20年 2月】
月ヶ瀬」の梅林は、作品紹介:南画‐月ヶ瀬真景図 などの他、<画帖>や<巻物><鳥瞰図><挿画>などに表現した。森琴石が描いた、中国文人による「梅花図の模写 …

森琴石「響泉堂」資料紹介詩賛編
この詩は、この年の3月に石橋雲来らとともに現地を訪れた際の作であるが、そのことを示す作品が月ヶ瀬の騎鶴楼に残されている。 一つは、騎鶴楼の画帖に画とともに …

森琴石調査情報【平成18年 1月】
明治20年、響泉堂刻「新撰梅渓 月ヶ瀬真景図 全」の出版人「豊住幾之助」は、一族で書肆を経営しており、出版書物の奥附には「大阪・伊賀・橋本」が住所となっている …

森琴石展示・掲載・所蔵情報
展示内容: 森琴石・森月城・立脇泰山・村上華岳・水越松南・大橋良三・昇外義(のぼり がいぎ): ※森琴石の作品は「月ヶ瀬真景図」・「松梅繁栄図」の2点展示.

森琴石調査情報【平成23年 2月】
地域 朝刊 1/14三田版、丹波版 2/9神戸市北区版 記事=松本寿美子氏); ☆読売新聞=『森琴石作品集』の紹介と、作品集の中から、特に印象的であるとする「月ヶ瀬真景 …

森琴石調査情報【平成19年 12月】
梅の名所で知られる奈良市月ヶ瀬で200年続く「騎鶴楼」は、江戸時代より滞在した多数の政治家や文人墨客が、揮毫した書画を残して帰った。それら「騎鶴楼」に残る …

森琴石調査情報【平成12年】
奈良県添上郡月ヶ瀬(そえがみぐんつきがせ)の「騎鶴楼(きかくろう)」には、明治15年3月、森琴石が襖に書いた「詩書」及び画帖への詩書画がある。

森琴石調査情報【平成20年 4月】
○明治15年8月 号栞石: 「月ヶ瀬詩画」=画帖(紙本水墨)/月ヶ瀬「騎鶴楼」蔵(画帖10号5枚目): 落款=「壬午三月浪華栞石詩画」.

森琴石調査情報【平成17年 12月】
月ヶ瀬」との関係については先にご紹介したが 注1、銅版による「奈良名所独案内 全 注2」を作成し、当ホームページ「平成11年度の展覧会情報」に名が出る「岩本 …

森琴石調査情報【平成17年 10月】
石橋教=石橋雲来のこと・「作品紹介、文人画<月ヶ瀬真景>」・「平成13年1月」・「平成15年7月□3番目、大村楊城」・「平成17年3月□2番目、□4 …

「響泉堂」森琴石紹介 Mori Kinseki | ―銅版画編
図の法量は竪一尺二寸横一尺六寸、月ヶ瀬全山の梅花満開の佳景を描出し、上欄に斉藤拙堂(さいとうせつどう)はじめ諸家の詩文、和歌、俳句の類を録し、梅渓と各村落の …

森琴石調査情報【平成19年 2月】
明治15年10月(1882): 「第一回農商務省内国絵画共進会」開催 →森琴石は「月ヶ瀬真景図」で褒状受賞). 明治17年(1884): 「第二回絵画共進会」開催 …

森琴石調査情報【平成18年 11月】
山中静逸=山中信天翁=「平成14年3月◇4番目」・「平成17年4月注7:月ヶ瀬<騎鶴楼来訪者と森琴石>」 山本竹雲=備前(岡山)生まれの茶人・篆刻でも著名= …

森琴石調査情報【平成18年 12月】
石橋雲来=作品:「文人画<月ヶ瀬真景>」・資料:「森琴石弾琴図」・「平成13年1月」・「平成15年7月□3番目、大村楊城」・「平成17年3月□2番目、□4 …

 

奈良 記述ヵ所

森琴石は「奈良博覧会」等、各種展覧会の審査委員を多数務めていた
投稿日: 2015年6月10日 作成者: morikinseki
2015年6月10日 更新   前回 新情報あり:明治28年頃の「褒賞」    の続きです ■我が家では、家族の行事、家族が所属する趣味の会での行事が重なり、私的な用事も多く、落ち着いてHPに取り組も事が出来て … 続きを読む →

森琴石調査情報【平成17年 12月】
「月ヶ瀬」との関係については先にご紹介したが 注1、銅版による「奈良名所独案内 全 … 森琴石の日誌には、奈良の「御所 ごせ」に親しく交流する人物の記述がある。

森琴石調査情報【平成18年 1月】
明治20年、響泉堂刻「新撰梅渓 月ヶ瀬真景図 全」の出版人「豊住幾之助」は、一族で書肆を経営しており、出版書物の奥附には「大阪・伊賀・橋本」が住所となっている

森琴石「響泉堂」資料紹介下書き
一, 明治十八年五月二十八日, 奈良博覧会二出品シ褒状ヲ贈ラル

森琴石調査情報【平成16年 4月】
注1, 森 加津=琴石歿3年後の、大正13年1月、奈良県の西籐氏(銀行勤務)と結婚する。加津は明治37年6月、森琴石長女「昇 しょう」の次女として生まれるが、

森琴石「響泉堂」展示・掲載・所蔵情報
奈良名所独案内 全」 (金澤昇平編著 ・橋井善二郎出版・響泉堂刻銅版彩色・明治12年) ↓ 調査情報「平成17年12月〔2〕」に記述があります. ◇岐阜県図書館

森琴石調査情報【平成22年 6月】
奈良市御所に住む知人。

森琴石調査情報【平成23年 3月】
後、奈良に移住し志賀直哉を奈良に住むことを勧めた。 *志賀直哉が「九里四郎水墨画会 推薦」の随筆を書いた翌年(1944年)、長男正が亡くなった。

森琴石調査情報【平成23年 4月】
師匠森琴石が手がけた寺社関係の絵図には「天台宗総本山 比叡山延暦寺略図」や「奈良名所独案内 全」などの銅版画作品がある。伊藤石僊は、師匠森琴石に倣い、幅広い …

森琴石調査情報【平成21年 11月】
.. 発行者 大和國添上郡奈良町大字樽井六番屋敷: 辻本朔太郎: 発行蒹印刷者 大阪市南区心斎橋筋一丁目六十七番地屋敷: 松村九兵衛. 【B】中等教育毛筆画帖(教科書).

 

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日英博覧会(明治43年)、森琴石の作品がヨーロッパで激賞…『大正人名辞典』

2020年9月2日 更新

 

日英博覧会(明治43年)
森琴石 出品作品【松林山水図】がヨーロッパで激賞
         英国雑誌「スタヂオ」に画が掲載
         ⇓
       『大正大正人名辞典』に記述

■大阪府吹田市の大塚融氏より、森琴石伝記資料を送信して頂きました。

■「日英博覧会で、森琴石が出品した作品が賞賛された…という 伝記がありました!」と、ご連絡を頂き、森琴石が記載されている部分の画像をお送り頂きました。

■大塚融氏からは『浪花摘英』の全冊コピーをご送付頂くなど、森琴石調査の初期から多大なご協力を頂いています。

※大塚融氏
昭和39年一橋大学経済学部卒、NHK東京報道局に記者として入局。昭和49年大阪局報道部にて関西経済界全般を担当。平成7年「NHK大阪放送局70年史」、平成17年「NHK大阪放送局80年史年表」編纂・執筆。平成12年10月~17年3月神戸大学文学部非常勤講師。平成15年「大和証券百年史」編纂・執筆。
   (www.suzukishoten-museum.com/blog/post-301.php

大塚融氏は、<蘭の木版画>で著名な{加賀正太郎}の後輩(一橋大学)でもあり、加賀正太郎の木版画のコレクターとしても知られています。

京都 芸艸堂(うんそうどう)サイト
キュー植物園と当館で「蘭花譜」展示 | 大阪の植物園-咲くやこの花館- (sakuyakonohana.jp)

■2019年10月、イギリスの王立キュー植物園で{蘭花譜」の展示会が開催され、大塚融氏のコレクションも展示されました。

キューブックスでは<全作品のランの写真入りの分厚い書籍>を出版しました。

※加賀正太郎1888―1954
実家は大阪船場の商家「富商加賀商店」で江戸時代から両替商を営んでおり、明治に入ると証券業にも参入していた。東京高等商業(現在の一橋大)で学ぶと、22歳の時にヨーロッパに遊学。 ロンドンの日英博覧会を見学すると、アルプスのユングフラウ(標高4158m)には、日本人で初めて登頂している。日本近代登山の先達の一人である。イギリスでは英国王立の植物園であるキュー・ガーデンでなどで蘭栽培を見学し、園芸にも深い関心を持つようになった

1936年(昭和11)紺綬(こんじゅ)褒章受章。日本山岳会名誉会員。
著書に『蘭花譜(らんかふ)』がある。
―ウィキペディ & コトバンク―

▼森琴石の門下「山名友石」は、『珍花図譜』(明治38年・芸艸堂)を、鮮やかな色彩と大胆な構図で蘭などを描いている。  ※珍花図譜…京都京都山崎書店 珍花図譜/Chinka Zufu / 美術書山崎書店

■森琴石が、明治43年”日英博覧会”に出品した「松林山水図」の所在は不明です。
もしかすると 展覧会後、日本や欧州のどなたかに購入して頂いた可能性もあります。

日英博覧会の資料に ~森琴石自筆控帳~
明治43年3月10日付
「日英博覧会・押川則吉・スチュージオ」等の文字を記した頁があります。

※押川則吉
  1863年2月7日(文久2年12月19日) - 1918年(大正7年)2月18日)は、日本の農務・内務官僚、
  政治家。官選県知事、製鉄所長官、貴族院議員。幼名・千代太郎。 

  薩摩藩士・押川乙五郎の長男として生まれる。1880年6月、東京農林学校を卒業。
・・1883年3月、農商務省御用掛として出仕。同年6月、農学士・農芸化学士の学位を取得。
・・1885年7月、新潟県御用掛に就任。1887年4月、農商務属として本省に復帰。

  1888年5月から1891年9月まで、仏国巴里府万国大博覧会事務官補などとしてヨーロッパに駐在した
・・帰国後、1892年3月に農商務技師となる。

  1895年5月、陸軍省雇員・大本営付として台湾に赴任。同月、台湾総督府が設置され、民政局殖産部
  務課長心得に就任。さらに、兼参事官心得、民政局殖産部長を歴任した。
・・・・・・以下略 byウィキペディア 

■what’s New でも 日英博覧会について 記述しています。
森琴石の作品所蔵者:塚本 靖 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)

 

 

資料

『大正人名辞典』 画像
資料ご提供者=大塚融氏(元NHK経済記者・数寄者研究家・経営史研究家)

森琴石「響泉堂」 森琴石紹介 Mori Kinseki | ―南画編― 大正時代 
              【3】大正人名辞典をご覧ください

大正人名辞典 大塚氏 より大正3年10月第1版発行

下方に活字にしたものがあります。

 

 

 

 

 

 

松林山水図


ドイツ【ハイデルベルク大学 データベース】 で画像が閲覧できます
是非ご覧ください
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 https://digi.ub.uni-heidelberg.de/diglit/studio1910b/0142

※ハイデンベルク大学
ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ハイデルベルクにある総合大学。
1386年創立でドイツ最古の大学。通称はハイデルベルク大学。
                ルプレヒト・カール大学ハイデルベルク – Wikipedia

 

 


コピー画像(森琴石孫、故飯田知子氏より)

イギリス スタヂオ誌 森琴石「松林山水」

 

②日英博覧会資料・・・成立の概説

日英博覧会
        

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『大正大正人名辞典』
  附日本帝国之富力 商工業発達史
  東洋新報社蔵版

森 琴石君 
        △出生地 大阪府
                           △現住所 大阪 北 北野高垣 12434
                           △生年月 天保14年3月19日
画家
大阪の南画界に於いて最も人格の高逸にして人に接するに謙遜、自から持すること頗る謹厳、而も名に奔らず利に赴かず、古希の齢を以て尚入神の技を研き、芸林の為に献身的努力を為しつゝある人物を索むれば、何人も琴石翁森君其人を推すに踟蹰せざるべし、

 翁は梶木源次郎氏の家に生まれ、襁褓にして森善作氏の子となり其姓を冒す、夙に絵画を好み且天賦の才あり、嘉永3年8月初めて大阪の画家鼎金城の門に入りて画法を学び、文久元年6月金城没後、忍頂寺青村に師事して南宗派の描法を修得し、元治2年3月浪華の大儒妻鹿友樵、高木退蔵諸碩に就き漢籍及び詩文を学べり、

明治6年3月   
東京の洋画家高橋由一に師事して洋画を習得し、以て東西画法の長短を究め、爾来筆を載せて東西を漫遊し 全国の名山大江を跋渉して自然に接触し、同時に各地の名家を叩いて其技を練り、更に道を問うこと多年、而して寸暇を得れば即ち古人の遺書に眼を曝して其範を採り自己芸術の向上に資せしを以て、其技愈々円熟するに至りて、遂に大家の班に入れり、是に於いて乎画名端なく丹青界を壓するを見る、

明治16年全国絵画品評会を発企し、学画会、點晴会,扶桑絵画教会、日本南画会等を設立して斯道の発展に力を盡し、翌17年秋全国絵画品評会を大阪に開き、23年樋口三郎兵衛氏と共に浪華画学校を設立して教鞭を執り美術界の為に努力し、又後進養成に意を用うる等、翁の功績実に顕著なるものあり、

 同年9月宮内省より御用画の命を拝し、同28年日清戦役の当時 先帝陛下大纛を広島に前めらるゝや、翁は2幅の山水画を揮毫して献上し御嘉納あらせらる、以て絶代の名誉と謂うべし、35年5月 今上天皇の儲宮にて座せし当時、御慶事奉祝画を献納して是亦御嘉納を受け、翌年内閣勲章局より功により銀杯下付の光栄に浴す

43年大英国倫敦府に開催せられたる日英大博覧会には『松林山林』の大作を出品して欧州人の激賞を博し、以て有名なる英国の美術雑誌「スタジオ」に讃辞を掲げられたり、

 是より先 日本美術協会第1部委員、其他 東京、京都、名古屋、大阪等に開催せっれたる各種の博覧会、展覧会等に顧問、審査委員等の嘱託を受けたること10数回の多きに達し、又作品の宮廷御用品となること数次、而して毎博覧会、展覧会に出品して金銀銅牌、銀盃、木盃を授与されしは枚挙に遑あらず、

尚著書には南画独学、題画詩林、墨場必携等あり、書名既に内外に振い、真に我国美術界の耆宿を以て重ぜらるゝもの故なきあらず、

 大正2年8月復た第7回文展審査委員に挙げられるたるは、大阪画家としては翁を以て嚆矢とす、今や幾多の公私画会の顧問、委員、又は評議員として斯界に貢献しつゝあるは、真に仰欽するに餘りあり、

 ※一部の旧漢字は当用漢字に改め、漢数字は一アラビア数字に置き換え、字間・行間など変更しています

 

 

 

 

 

 

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