What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What’s New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

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抜群の筆力…東京ステーションギャラリー「大阪の日本画」展…森琴石の4作品

2023年4月16日 更新

 

東京ステーションギャラリー

「大阪の日本画」

(大阪中之島美術館 開館1周年記念特別展 大阪の日本画 の巡回展です)

大阪中之島美術館「大阪の日本画」…森琴石の作品「月瀬真景図」など 4点展示(入れ替えあり) | 森琴石 What’s New森琴石 What’s New (morikinseki.com)

展覧会 | 東京ステーションギャラリー (ejrcf.or.jp)

 

森琴石の作品

第四章 ̶ 文人画 ― 街に息付く中国趣味 にて 4点 展示

(お願い:常時4点展示ではありません。入れ替えがありますので、事前にお確かめください)

 

73 獨樂園図(明治17年/前期/西宮K氏コレクション蔵)
・南画に遠近法を早期に取り入れている
・森琴石「独楽園図 」明治17年作=爽やかな作品…京都国立近代美術館 企画展 後期展示 | 森琴石 What’s New森琴石 What’s New (morikinseki.com)

№ 74 月瀬真景図(明治15年/前期&後期/森家蔵)
・必見…梅渓の描写
・圧巻=森琴石「月瀬真景図」…大阪中之島美術館、特別展「大阪の日本画」より | 森琴石 What’s New森琴石 What’s New (morikinseki.com)

№ 75 山水図(明治30年/後期/泉屋博古館東京)
・「この筆ぐせがすごい!近代日本画家たちの競演!」特集vol.2<森琴石編> | 「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」特集(展覧会は終了しました) | 京都新聞アート&イベント情報サイト[ことしるべ] (kyoto-np.co.jp)

№ 76 群花双鶏図(明治30年/後期/西宮K氏コレクション蔵)
・目を引く鮮やかな色彩
森家に箱書の下書きあり

 

●開催期間:2023年4月15日(土)〜2023年6月11日(日)
  ★前期=4/15(土)~ 5/14(日)
  ★後期=5/16(火)~ 6/11(日)
●入館料:一般     当日 1400円 前売り 1200円
    :高校・大学生 当日 1200円 前売り 1000円
    :中学生以下 無料


●音声ガイドナビ(約35分)
・専用ガイド機器の貸出はありません
・アプリ配信価格650円 事前にアプリをダウンロードして下さい
・ナビゲーター=片岡愛之助氏
・監修=林野雅人氏(大阪中之島美術館主任学芸員

 

 

 

残しておきたい文章

「独楽園図」について、記録として残しておきたい文章がありました。

「大阪の日本画」展 中之島美術館(7): 珈琲ブレイク (cocolog-nifty.com)

コーヒーブレイクというタイトルのブログから転載させて頂きました。

橋本青江・村田香谷は森琴石と親友の間柄でした。大いに勉強させて頂きました。

 

 

「大阪の日本画」展 中之島美術館(7)

第四章 文人画 ─街に息づく中国趣味
Photo_20230317060101 江戸時代の大阪は、都への玄関口、あるいは回廊として様々な文物が集まり、煎茶をはじめとする中国趣味が栄え、文人画が流行していた。大阪では、漢詩や漢文の教養を備えた市民が多かったこともあり、明治以降も文人画人気が続いていて、西日本を中心に各地から文人画家が集まり優れた作品が多く生まれた。
 森琴石(もり きんせき、天保14年1843-大正10年1921)は、日本の明治から大正にかけて大阪で活躍した南画家、銅版画家である。
 幕末に摂津国の有馬温泉(現在の兵庫県神戸市北区)に生まれた。父は、現在も同地で経営を続ける老舗旅館「中の坊」を経営し、有馬温泉の炭酸水発見者でもある。幼少期の弘化3年(1846)大坂で旅館「出石屋」を経営する森猪平(のち善蔵)の養子となり、嘉永3年(1850)鼎金城に南画を学んだ。金城が文久2年(1862)に亡くなると、忍頂寺静村(梅谷)の門に転じた。また漢籍を妻鹿友樵(めが ゆうしょう)、および高木退蔵に学んだ。
Photo_20230317060102 明治6年(1873)東京に遊学して、高橋由一から油絵の手ほどきを受けたという。少なくとも由一と親交があり銅版画家で知られる松田緑山(二代目玄々堂)とは、何らかの接触があったと推測されている。明治10年ころから胡鉄梅や王冶梅ら来舶清人画家と交流する機会を得た。明治10年代には全国各地の景勝地を巡り、写生画稿が幾つか残っている。明治15年(1882)第一回内国絵画共進会で褒状を得て認められた。浪華画学校の支那画教員となり、後に同僚になった矢野五洲とともに、明治22年(1889)浪華学画会を結成して、翌年大阪府立博物場で大阪絵画共進会を開催した。さらにその翌年、宮内庁の御用画家となったとされている。大正2年(1913)大阪の画家では初めて文展審査員に選ばれた。
その森琴石の森琴石「獨樂園図」(明治17年1884)が展示されている。俗世を脱して自然のなかに理想的な生活を描いたものと思われるが、色彩の使い方や立体感・量感の表現はいささか西洋絵画の技法に倣っていて、伝統的な南画とは違うのだろう。
 この時代に活躍した女流の南画家として、橋本青江(はしもとせいこう)がいる。
 橋本青江(文政4年1821-明治31年1898)は文政4年、船場の資産家の娘として生まれたらしい。詳しい史料がないが、門人の河邊青蘭が「青江女史の後半生」(『大毎美術』第百六号)という随想録の中で、青江の人柄を以下のように記している。

 靑江はもと播州(今の兵庫県)の生れだと思つてをりましたが、他の話ではやはり大阪の人で、而も船場で生れた人だつたらしいのです。今の堺筋平野町の角にある「澤の鶴」あの酒問屋の一軒か二軒おいて隣りがその生家だつたさうです。そんなわけでこの人は、元は相當の資産家の娘に産れたのださうです。それが、老後お氣の毒なほど落魄して死んでしまひました。靑江は中年以後所々方々と移り住んでゐましたが、私が就いた頃は南本町にゐまして、その頃がまあこの人の全盛時代とでも云へば云へるでせう。その住居はちよつとした小さな處でしたが、小ぢんまりとして如何にも画家らしく住つてゐました。何しろ靑江といふ人は純然たる画家氣質の人で「わたしは画を賣るのではない、好んでかいてゐるのだが、世間が求めるからそれをわけてやるのだ。世間がこれに對して報酬をするので、わたしは賣るつもりでかいてゐるのではない」と云つたような愛想のない調子で、商質氣もお上手もみぢんもあつた人ぢやありませんから、何うも世間と調和しにくいところがありました。だから靑江といふ人は、一生貧乏で通した人です。その超然たる高いところには感心するより外はなかつたのですが、それがために物質には惠まれずに終つてしまつたのは、まことにお氣の毒でした。

 いかにも学識とプライドの高い文人気質が窺える才媛の面目躍如とは言える。Photo_20230317060201
 橋本青江画家橋本芳谷の妻でもあった。後半生は息子とともに名古屋に移り、その後、京都に暮らす娘・青蘋のもとへ行き、最期に大阪へ戻ったが、孤独と困窮のうちに世を去ったという。明治31年(1898)没、78歳であった。
 上記のとおり門人に河辺青蘭(かわべせいらん、明治元年1868-昭和6年1931)がおり、青蘭は14歳のときから五年間、南本町の青江宅に通っていた。
 橋本青江の「山水図」(明治23年1890)が展示されている。この絵を観ても、近世の南画あるいは山水画に比べると、ずいぶんくっきりと鮮明・明徴な筆致であると思う。
 村田香谷(むらた・こうこく、天保2年1831-大正元年1912)は、幕末の天保2年筑前に生まれ、村田東圃の養子となった。はじめは父に、のちに長崎の日高鉄翁、京都の貫名海屋に南画を学んだ。詩は梁川星巌に学んだ。中国に3度渡り清の文人画家胡公寿らと交わり研究した。帰国後は大阪に定住した。
 村田香谷「西園雅集図」(明治37年1984)が展示されている。描かれた内容は、まったく中国の景観と人物であり、中国の文人画が憧れ夢見る理想郷の生活を丁寧に描写したものである。ただ、さすがに明治後期のわが国の西洋画の水準が影響してか、色彩の豊富なこと、緻密な描写は伝統的な南画から進化(変化)しているのではないだろうか。

 

 

 

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圧巻=森琴石「月瀬真景図」…大阪中之島美術館、特別展「大阪の日本画」より

2023年3月4日 更新

 

3月3日付のIT記事(ツイッター)より転載させて頂きました

 

大阪中之島美術館

特別展【大阪の日本画】前期2月26日まで

@osaka_nihonga

奈良の月ヶ瀬の梅が見頃を迎えているようです。

こちらは約140年前に森琴石が描いた「月瀬真景図」。

1万2000本には足りないかも知れませんが…渓谷に広がる梅林の様子は圧巻です。

 

「月瀬真景図」(森琴石・明治15年)

 

 

 

 

 

 

 

 

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大阪中之島美術館「大阪の日本画」…森琴石の作品「月瀬真景図」など 4点展示(入れ替えあり)

2023年2日11日 更新

 

体調不良でインターネットを禁止されています。
今回はごく簡単に紹介させて頂きます。

 

 

大阪の日本画 | 大阪中之島美術館 (nakka-art.jp)

 

大阪中之島美術館

開館1周年記念特別展 大阪の日本画

森琴石作品 4点展示

 

展覧会の概要

●開催期間:2023年1月21日(土)〜2023年4月2日(日)
★前期=1月21日~2月26日)
★後期=2月28日(火)~4月2日(日)

👂耳ヨり情報
音声ガイドナビゲーター=片岡愛之助氏
          監修=林野蛾人氏
……貸出料金600円∨アプリ配信650円

ユニークyou tyube
掛け軸塾(野村塾長)

図録…2800円

 

東京都 東京ステーションギャラリーでも開催されます
巡回情報.
会期:2023年4月15日 (土)〜2023年6月11日 (日)

 

展覧会の詳細は

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森琴石の作品は
4
文人画ー街に息づく中国趣味 
にて
4点展示されます
(但し、作品は前後期で入れ替わります)

森琴石の展示作品リスト
73 獨樂園図(明治17年/前期/西宮K氏コレクション蔵)
74 月瀬真景図(明治15年/前期&後期/森家蔵)
75 山水図(明治30年/後期(2月21日~3月5日)/泉屋博古館東京)
76 群花双鶏図(明治30年/後期(3月7日~4月2日)/西宮K氏コレクション蔵)

 

『大阪の日本画』図録 より
転載させて頂きました
お断り(行間、文字の大きさを変更しています)

文章=林野雅人氏

⓵第4章の解説
➁森琴石 紹介文
⓷作品解説

 

⓵第四章の解説

文人画 ― 街に息づく中国趣味

日本における文人画(南画)は、一般的には中国の南宗画に端を発した文人の余技的な絵画に影響を受け江戸時代中期以降に定着した、水墨山水画に漢詩などの賛を加えた表現のことを指す。江戸時代、都への玄関口にあたる大坂には様々な文物が集まり、煎茶をはじめとする中国趣味が栄え、文人画が流行した。
さらに大阪では、漢詩や漢文の教養を身に付けた市民が多かったことに加え、洗練された表現が人々の気質かなうものであったことから、明治時代以降も文人画人気は続き、田能村直入(1814~1907)や村田香谷(1831~1912)、姫島竹外(1840~1928)など、西日本を中心に各地から文人画家が集まり優れた作品が多く生まれた。

また近代の大阪では、文人画家は水墨画のみならず、中国趣味の色鮮やかな花鳥画なども手がけており、従来の文人画の枠にとらわれない絵画を描いた点においても注目される。

大阪を代表する文人画家であり銅版画家としても活躍した森琴石(1843~1921)のもとにはくの文人たちが集い、サロン的役割を果たすなど江戸時代より続く大阪の文人画家たちの交遊スタイルは明治以降も続いた。

さらに、当時の大阪では橋本青江(1821~1898)、河邊青蘭(1868~1931)など、知識と画技を身につけた女性画家の活躍もみられ、彼女らは画塾を構えて後進の指導にもあたった。こうした大阪の文人画は、後に新南画が大阪を代表する絵画表現として栄える礎となった。

 

作家解説

森琴石
有馬(現在の神戸市北区)に生まれる。本名は梶木熊。字は吉夢。号は鉄橋、金石、琴石、雲根館など。画室名は聴香読画蘆。三歳で大坂の森家の養子となる。鼎金城と忍頂寺静村に南画を、妻鹿友樵に漢籍を学ぶ。明治初期、東京に出て高橋由一に就いて洋画の教えを受ける。明治17年(1884)に設立された浪華画学校の支那画教員となる。明治22年に浪華学画会を結成する。大正2年(1913)文展審査員となる。また南画のみならず、響泉堂の名で銅版画家としても活躍し、地図や刊行物を多く残した。

 

⓷作品解説

73「獨樂園図」明治17年(1884)西宮K氏コレクション

独楽園は熙寧4年(1071)に洛陽に閑居した宋の司馬光(1019~86)か熙寧6年に土地を購入し造成した園のこと。朝廷から退いて園内を廻り遊ぶのは真実の楽であるとして名付けられた。園庭には蔵書5千巻を擁する読書堂をはじめ、釣魚庵や見山堂など7つの建造物が設置された。独楽園は日本の文人画家たちにとって理想とする境地のひとつとして、しばしば画題として取り上げられてきた。ここでは、竹のたもとで飲茶しながら寛ぐ司馬光の姿を描く。
甲申夏日琴石寫於漬畫摟南窓下

 

74「月瀬真景図」明治15年(1882)森家蔵

梅の名所として知られる奈良市東北端の月ケ瀬の景観を描いた横披(横長の巻物)。
月ケ瀬は近世後半から梁川星巌、頼山陽、篠崎小竹をはじめ、多くの文人墨客が訪れて
おり 森琴石も何度も訪れている。名張川(五月川)の両岸には 満開の梅花が咲き
春の訪れが感じられ、画面中ほどには川を横切る渡し舟の姿もみられる。本作は、明治15年(1882)の 第1回農商務省内国絵画共進会で褒状を得た。題は衛鋳生が、跋文は胡鉄梅、書家の陳曼寿、石橋雲来が、題箋を黄超會が記しており、いずれも本作の受賞を祝う内容となっている。

 

75「山水図」明治30年(1897)泉屋博古館東京

山中へと続く道を進む二人の文人が描かれている。山の奥には滝も見え、日常の喧騒から離れた理想郷が広がる。明治30年(1897)、54才の琴石は家督を息子の雄二に譲り、絵画制作に打ち込むようになる。とりわけ、この時期琴石は大幅の青緑山水図を多く描いていたことが知られており、本作もそうしたひとつである。青緑山水は岩絵の具の青緑や群青を多用して描く山水で、水墨の濃淡を駆使して描く南画とは趣が異なり、硬質な雰囲気の作品が多い。

繍壁蓮峰草春全呉一望掌中分千花   / 暖送和香気大地晴翻訳錯錦便文潤道斜通 /  回谷底潭光倒映浴天雯帰来指点径行 / 処翠鎖重巒総暮雲 丁酉夏日写於 /  聴香読画蘆南窓下

 

76「群花双鶏図」明治30年(1897)西宮K氏コレクション

牡丹、水仙、松、竹、梅、菊などの植物に鶏が配されている。牡丹は富貴と繁栄の永続、仙は仙人を意味し群生していることから 群仙、松と菊は不老長寿、竹は平安や成長、梅は子孫繁栄(子授け)を意味し、太湖石は長寿の象徴である。また、鶏も大鶏の同音は大吉につながることから吉祥の生き物とされてきた。なんともおめでたい吉祥尽くしの一幅である。

 

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ご参考まで

明治18年8月 新聞記事(国立国会図書館次世代ライブラリー)

森琴石(画家)=大阪の十秀者投票に選ばれた

 

胡鉄梅&森琴石
近聞広告

画像ご提供者=陳捷 氏
(東京大学大学院教授)
旅する書物を追って中国から日本にやって来た研究者。
| UTOKYO VOICES 082 | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)
陳 捷 (CHIN JIE) – マイポータル – researchmap

・下記画像は、陳捷氏より森琴石HPへの掲載を許可を頂きました
・記事画像及び翻刻文は、後月 森琴石HP ~資料編~などでご紹介の予定
・・

広告文は
京都国立博物館研究紀要『学叢』第44号(2022年6月・呉孟晋氏、陳捷氏執筆)で活字紹介されています

 

明治15年8月28日 

 

明治15年11月9日

      

明治18年4月23日

    

 

明治18年7月25日

 

森琴石死亡時の記事(大正2年2月)

 

 

 

 

 

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