What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What's New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

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森琴石塾生「河村学而」=成瀬仁蔵の妻の叔父

2021年6月13日 更新

前回
塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期 大阪のキリスト教会創設メンバーだった | 森琴石 What’s New (morikinseki.com) の続き

 

河村学而は

●森琴石 明治9年4月時点{塾生}の一人

●明治初期 大阪のキリスト教会の創立メンバーだった。

 浪花公会
  時期:明治10年1月
  メンバー:前神醇一、丁野大八、その妻なか、杉田潮、小泉敦、その妻ぜん
・・・・・・・  西純一、
米津綾江、綱島佳吉、河村学而、俣野マスの11名
・・・牧師:沢山保羅

 天満教会
  時期:明治11年2月
  メンバー:小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一
       福谷新七、妻ゑん、中島みき等の浪花公会員9名
・・・・牧師:沢山保羅

服部直
新島襄と親しくした。 神戸や大阪に伝道活動後、明治14年に北海道浦河西舎に入植、そこが後に農林省の種馬牧場に召される。農業の傍ら聖書の販売をしていた。
妹の満寿枝は成瀬仁蔵と結婚、弟の服部他之助は浪花教会の会員で、新島襄と親交。アメリカ留学の後に同志社に入学、卒業後学習院初等科の教師となる。
ご子孫のブログに詳細記述あり ➡我が家のルーツの話 : ねこや食堂日記 (exblog.jp)

小泉敦、沢山保羅=田島藍水の3人の娘と縁あり
姫路藩儒者田島藍水の長姉ぜんは 大阪の梅花女学校校主小泉敦と結婚、次姉多可は同校校長沢山保羅とそれぞれ結婚、長姉ぜんが八〇年に病死した後、小泉敦は3女の佳志と再婚
(『川口恐竜地の研究』ほか』

●成瀬仁蔵没後100年記念 成瀬仁蔵書簡展史料に”河村学而”の書簡が存在

…書簡の備考に、河村学而は<服部満寿枝の叔父>と書かれている。(下方に出典資料)

…成瀬仁蔵は日本女子大学を創設した人物で、妻の服部満寿枝は、天満教会創立メンバーの「服部直一」の妹である事が判明。

…成瀬仁蔵は20歳の時、所属していた大阪・浪花教会の組合教会らの運動で設立された「梅花女学校」の生徒だった服部マスエ(満寿枝)と明治12年に結婚した。
…服部満寿枝は、NHK朝ドラマ{
朝が来た}の鳴沢カナの実在モデルらしい。

…成瀬仁蔵が日本女子大学を創設する際、大隈重信は設立委員長を務めた。
我が家の祖母梅子の父、入江俊次郎大隈重信の側近中の側近者だった。

森琴石ホームページ 記述ヵ所

 

森琴石調査情報 平成13年1月
森琴石 調査情報【平成17年2月】

森琴石 調査情報【平成17年8月】
調査情報 平成18年3月
調査情報 平成18年5月
調査情報平成19年12月
調査情報平成20年8月
家族係累  https://morikinseki.com/kinseki/keirui.htm


●福岡哲司著『深沢七郎ラプソディー』に、深沢七郎が河村学而に宛てた書簡が紹介されている。

 

(下方に書誌抜粋文あり)

…書物の内容から、河村学河は甲府に住んでいたらしい。七郎が河村学而に宛てた書簡は、昭和23年4月だった事から、河村学而はかなり長寿だった。(明治9年時点で河村学而が20歳として、72年後の昭和23年は92歳)

…深沢七郎は河村学而を尊敬の念を抱き「河村学而仙人大兄」と呼称した。

…しかし『深沢七郎ラプソディ』の文面を拝見すると、年齢や職業に無理が有りすぎる。
もしかすると、父の名前を世襲したご子息かも知れない。

●河村学而については、今後新たな資料が出次第、当頁内にて追記し、際立った情報の場合は 新たにご紹介させて頂きます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 森家資料

①-1 森琴石妻ゑい葬儀録(森家)
(明治9年4月10日、森琴石30歳 妻ゑい24歳)より

諸事控 表紙 (3) 5 内山他 塾 河邨 米津 メモ 住所・氏名 米津 河邨 若林 三宅 9 焼香順② 河邨 米津 吉川
              
 ⇖河邨学而=河村学而 ⇖ 
        ⇑河村学而

①-2 森雄二住所録 (森琴石長男・三井銀行勤務 30年代後半)

 

大隈重信        入江俊次郎(雄二の妻の父)
東京牛込早稲田 大爵隈伯  東京牛込区早稲田大隈邸 入江俊次郎          左から2人目              左から3人目

 大隈重信 住所    入江俊次郎 住所

※入江俊次郎の隣、入江貞次郎の住所は{副島侯爵邸}
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・副島種臣と思われる

書誌資料
『遊行する牧者: 辻密太郎の生涯』 - 47 ページ
   杉井六郎著/1985年9月16日/教文社刊…46頁末~47頁5行目)

明治10年(1,877)1月20日、大阪の高麗橋4丁目心斎橋筋東北角の志摩三紹介に設けられた松村(矩秋出張診察所内に 梅本町公会大阪教会から転会した前神醇一、丁野大八、その妻丁野なか、杉田潮、小泉敦、その小泉妻ぜん、西純一の7名と、 この日、宣教師レビットから洗礼をうける米津綾江、綱島佳吉、河村学而、俣野マスの4名を加えて、11名が教会創立メンパーとなり、澤山保羅を牧師招聘し、澤山の按手札ならびに就任式がおこなわれて設立された。 

 

天満教会百年史』創立100周年記念
(1979年11月11日/編集:天満教会百年史刊行委員会/発行:日本基督教団天満教会 牧師壷井正夫)

第1章 天満教会の設立以前     第5頁~6頁
1、創立使途行伝と沢山牧師の時代
      初の聖書香議会と9名の創立者
明治11年2月(1878年)初めて北区地下町6番地(現 南森町1丁目)中村ひさ方に聖書講義会を開き、毎木曜日にレビット宣教師並びに浪花公会員小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾と辻蜜太郎等が応援に来て熱心に伝道した。
同年4月天満橋北詰西の辻北入るの地、空心町1丁目(現、天満2丁目)福谷新七宅に移り、更に転じて竜田町(現、天満3丁目)の医師宅を借りたが数か月にしてまたもや福谷新七宅に戻り集会をなすよりほかはなかった。丁度その時、その近くにあった旧尼崎藩屋敷(古町名、天満11丁目、旧、天神橋筋1丁目、現、天神橋1丁目)が空き家であったので暫時借り受け講義を続け、大いに伝道に尽力されたが、暫時の約束のため再び福谷新七宅に戻り、更に天満橋筋1丁目22番地(現、天満1丁目)藤川某の家を借りるなど流転の苦しみのうちにその年が終わった。

 天満橋教会の設立

明治12112(1879)、新しい年を迎えて かねてより専任牧師の必要を痛感していたところ、小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん、服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾の9名により「天満橋教会」を設立し、浪華公会牧師沢山保羅に兼牧を願い ここ「天満の地」に教会が誕生した。然し僅か6家庭の会員で教会を維持する事は至難なことに違いなかった。その上、家主藤川の破産夜逃げに出会って難渋し、再転して土浦某方に移り、更に僅かの間に滝川町鳥居筋南へ入る東側(現、天満4丁目)某氏宅にて集会を続けたが、その隣家に茶道師匠がいてそこへ来る天満宮の神官等がいつも伝道の妨害をなし、なお足りずに家主を脅かして家の明け渡しを迫る等、ここにも居たたまれず途方にくれ、ようやく、古町名、天満7丁目(旧町名、滝川町、現、天満4丁目)北大組第4小区小学校隣の木屋座敷を借りたが、ここも迫害にあい追われるなど、当時の状況は追想してみると言語に絶する困難を極めたであろう。それにも拘わらず、このような有様のうちに最初の兄姉の受洗者3名を与えられ、さらに驚くべき事に設立草創期の天満橋教会の状況は、「1880年度宣教師レポート」の記するところによれば、明治1117日 開校式をあげた梅花女学校のために、下表のとおり献げており、その情熱は驚くはかない。
後文略 


『啄木覚書 未発表書簡をめぐって
(川並秀雄著 /1981年)
204頁14行目~206頁5行目

前文略

くろがねの窓にさしたる日野影の
移るを守りけふも暮しぬ
管野須賀子については、啄木研究家の清水卯之助氏が「啄木と賢治」第十一号並びに第十三号に詳細に紹介されたが、私もふとした縁で菅野須賀子が生まれたすぐそばの大阪市北区樽屋町二〇日本基督教団天満教会で、菅野がこの教会の会員で、日曜学校の先生をしたり、週報に菅野幽月という署名で執筆していたことがわかった。この教会は明治十一年二月、小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一、福谷新七、妻ゑん、中島みき等の浪花公会員九名が天満地域の伝道のため迫害に耐え、明治十二年一月十二日、天満橋教会を設立したのに始まる。初代牧師は沢山保羅で、浪花教会の牧師と兼任した。沢山は明治初期における基督教教育の先覚者で自給独立の教会形成を主唱した人である。二代目の牧師は、有名な浮田和民(1859~1946)で、浮田は熊本洋学校、同志社、エール大学に学び、法学博士となって早大教授、雑誌『太陽』の主幹となって明治・大正の言論界に活躍した人である。                


『深沢七郎ラプソディ 』
61頁~63頁  第3回開高健賞奨励賞受賞作品
(福岡哲司 著/1994 /株式会社ティビーエブリタニカ)

七郎はアーティスト兼プロモーターを引き受けていた。七沢八郎は、のちに東京交響楽団のヴァイオリニストとして活躍する。ギターの演奏で付き合いのあったNHKの甲府放送局のアナウンサーで、七郎に言わせれば「おとぎの国の魔法使いのように、いずかたともなく現れくる妖しのかた」河村学而宛に、七郎はこんな手紙を書き送っている。

 毎日毎日、ヒヨコのおさんどんで、菜っ葉を切ったり、かごのお掃除で、可愛い孫の世話をしているようです。ヒヨコわ(ママ)可愛いゝな! いい黄色いおべべに黄色いくちびる! と大兄の予想通りの自由な、しずかな、その日その日をすごしています。     
この世を有難がらない小生わ(ママ)、この二三年をポカンとしているのです。でも愛する楽器を抱いて、ときどき幻想の世の中に飛んで行けるので、これだけは、皆さんにうらやましがられています。
去年、使用絃の試験の折わ(ママ)いろいろとお世話様になりました。あの時、大兄の言われた「一緒に研究しなしょう」の御言葉を得たとき、「まあ! こんなよい声をきかせてくれる人間様が甲府にも、あゝ僕の周囲にいたのかしらん?」と、不思議な響に感じました。それほど僕わ(ママ)人々共に期待しない男だったのです。でも、大兄を知ったことをこんなに喜んでいるのですから、どうか、これからお友達になって下さい。

省略

春はあけぼの、家のすぐそばわ(ママ)土手で、わたくしわ(ママ)草刈り鎌を持って、万葉を思いながら、やわらかい草を刈りつゝあさのひとときをこよなくとらえて、讃美しています。(略)(昭和23・4・10)
手紙をもらった際の河村の気持ちは聞きそこなった。末尾は「あやしのひと河村学而大兄仙人の弟子にも似たる深沢七郎」となっている。

深沢七郎
(1914-1987)山梨県石和町生れ。少年時代からギター演奏に熱中し、戦時中17回のリサイタルを開く。戦後、日劇ミュージック・ホールに出演したりしていたが、1956(昭和31)年『楢山節考』で、第1回中央公論新人賞を受賞し作家生活に入る。『東北の神武たち』『笛吹川』などを発表するが、1960年の『風流夢譚』がテロ事件を誘発し、放浪生活に。埼玉県菖蒲町でラブミー農場を営んだり、今川焼きの店を開いたりしながら『甲州子守唄』『庶民烈伝』などを創作、1979年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞 (新潮社 深沢一郎著者プロフィール)

 

福岡哲司
1948年(昭和23)、甲府市生まれ。山梨大学教育学部国文科卒。県立高校教諭から山梨県立図書館長、山梨県立塩山高校長ほかを歴任。94年、『評伝 深沢七郎ラプソディ』(ティー・ビー・エス・ブリタニカ)で第3回開高健賞奨励賞を受賞。著書『本の本』(山梨ふるさと文庫)『近代山梨の光と影』(山日ブックス)など。「文芸思潮」エッセイ賞選考委員。都留文科大学非常勤講師。(はてなブログタブ より)

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塾生「河村学而・米津菱江」=明治初期 大阪のキリスト教会創設メンバーだった

2021年5月10日 更新

 

森家控帳…森琴石妻ゑいの葬儀録 より

塾に名
河邨学而(河村学而)・米津菱江

  大阪・明治初期の  クリスチャンだった

 

 

what’s new
響泉堂刻の書誌、聖書にも及ぶ(  )
『新約書伝』…「キリスト誕生図」は森琴石刻 )
でご紹介しましたが、森琴石が『新約書伝』の口絵を銅刻していたことから、琴石の周辺に、キリスト教関係者の存在を確信していた。

『旧新両約聖書伝. 2編1』
     ベルナルド著・小島準治 訳・竜章堂・明治13年(1880年)
・・・・・・・・・・・・・・口絵 【耶蘇誕生図】=大阪響泉堂銅刻

『新約書伝』 (扉 明治13年) 『新約書伝』  口絵‐耶蘇誕生図‐(明治13年)
             画像ご提供=熊田司 氏((元 和歌山県立美術館館長)

森琴石 調査情報【平成18年 9月】 (morikinseki.com) で取り上げましたが、
明治9年4月10日に亡くなった森琴石の妻 ”ゑい” は、森琴石の2番目の妻であり、我が森家の実曾祖母にあたります。

■曾祖母”ゑい”の葬儀の記録がまとまって残っており、当時の森琴石の親族や近しい人物を知る貴重な資料でもあります。

■<諸事控>の焼香順という項目に【塾】という文字が書かれています。
そこには10人の氏名が書かれ、その筆頭の 河邨学而(河村学而)・米津菱江は、大阪の明治時代初期のキリスト教の信者で、浪花教会天満教会の創設に関わっていた事が判明しました。

■明治初期、大阪のキリスト教は、川口の居留地に住む宣教師が広めていったそうです。布教活動の経緯、場所、関わった人物は非常に複雑で、当ブログではお伝えすることは出来ません
旧川口居留地 – Wikipedia ウィキペディア

■河村学而・米津菱江は布教活動を通じ、新島襄や内村鑑三らとも接点があった。

■森琴石と親しかった永田方正は明治6年,日本人で最初に「新旧約聖書」を翻訳した。

■森琴石の親交者緒方維準は、明治42年4月天満教会で受洗、同年7月永眠した。
緒方銈次郎は天満教会の理事職を長年務めた。
調査情報:平成17年1月

■親交のある岡山県井原市の柴原宗助は、新島襄の影響を受けクリスチャンになった。
調査情報【平成18年 7月】 

我が家の祖母「梅子」の身内である「石井亮一」は、敬虔なクリスチャンであり「滝乃川学園」を創設し、日本における障害者の福祉と教育の草分けとなった人です。

森琴石 調査情報【平成20年 8月】 (morikinseki.com)
【1】注2
※「石井亮一」=佐賀藩士石井忠泰の三男
石井家=森家祖母「梅子」の実家、佐賀藩入江家と石井家は、互いに養子縁組をした家系⇒係累「久米邦武」の末尾に少し記述

森琴石の銅刻書誌『康煕御製 耕織図(明治15年)』の奥付によると、
明治15年、森琴石の住所は<高麗橋3-20-6>であり、「浪花教会」が建てられた住所とはかなり近いようだ。(浪花教会の現住所=大阪市中央区高麗橋2-6-3)

■米津菱江(別号方舟)・河村学而については、次回 別途資料でご紹介せさて頂きます。


 

書誌資料

①『遊行する牧者: 辻密太郎の生涯』    47 ページ目
   杉井六郎著/1985年9月16日/教文社刊…46頁末~47頁5行目)

明治10年(1,877)1月20日、大阪の高麗橋4丁目心斎橋筋東北角の志摩三紹介に設けられた松村(矩秋)出張診察所内に 梅本町公会大阪教会から転会した前神醇一、丁野大八、その妻丁野なか、杉田潮、小泉敦、その小泉妻ぜん、西純一の7名と、 この日、宣教師レビットから洗礼をうける米津綾江、綱島佳吉、河村学而、俣野マスの4名を加えて、11名が教会創立メンパーとなり澤山保羅を牧師招聘し、澤山の按手札ならびに就任式がおこなわれて設立された。  (注:陵江は菱江 著者の記述誤りと思われる)

 

②『日本基督教団天満教会百年史』  4ページ目
天満教会百年史刊行委員会編集/日本基督教団天満教会 牧師 壷井正夫 発行/昭和54

明治11年2月(1878年)初めて北区地下町6番地(現 南森町1丁目)中村ひさ方に聖書講義会を開き、毎木曜日にレビット宣教師並びに浪花公会員小泉敦、同ぜん、河村学而、同じゅん、服部直一、福谷新七、同えん、中島み起、河村由幾と辻蜜太郎等が応援に来て熱心に伝道した。

 

③『啄木覚書 未発表書簡をめぐって』 google book スニペット表示による
  川並秀雄著  1981年
…未発表書簡をめぐって移るを守りけふも暮しぬ管野須賀子については、啄木研究家の清水卯之助氏が「 … この教会は明治十一年二月、小泉敦、妻ぜん、河村学而、妻じゅん、母ゆ幾、服部直一、福谷新七、妻ゑん、中島みき等の ・・・・・次回ご紹介

 

④ webサイト 新宮キリスト教会の活動 (urikomail.jp)
… 1883(明治16)年7月、浪花教会会員で文人画家の米津方舟(よねずほうしゅう)と、聖書販売でやってきた山本周作とが、馬町の寄席でキリスト教演説会を開いた。これが新宮でのキリスト教伝道集会の初め。
翌年の6月には、大石余平らの努力で、キリスト教会堂を建立。

 

森家資料

森琴石妻「ゑい」葬儀時の記録

以下資料中水色塗りつぶしの氏名者は、教科書や地図、画譜等の著出版をした

・・・・・・・・・・・・・・・・右端(袋状)
               ・・・・ 明治九年第四月十日午前十一時五十分臨終
右から2番目              ・・釈尼妙融葬式一件
 葬式 明治第九丙午年             俗名 ゑゐ 二十四歳
    諸事控帳              ・・森 琴石
四月十日  

ゑい 葬儀録


諸事控帳

  焼香順氏名


5頁目
・・・・・・下方中 塾                                       6頁目        7頁目

米津菱江 5 内山他 塾 河邨 米津邨河学而 7 永田 吉川拝石他4名   6 早野 西本  

 

8頁、9頁

      藤井光栄  吉川拝石    米津菱江 河邨学而 藤井新輔9 焼香順② 河邨 米津 吉川

 

紙片
(葬儀参列者 住所氏名・164名の紙片あり。森家実家から資料が届いた折に、棄)

早川栄■郎(堀江)
河邨学而=河村学而
米津菱江(淡路町三休橋筋東■)
若林長栄(東久太郎町)
三宅善助
(北久太郎町三休橋筋北へ入東側)        中ほど 藤井新助
十林行一(今橋)

メモ 住所・氏名 米津 河邨 若林 三宅

真ん中 藤井新助

 

※森琴石は ”銅版の技術”や”書物作成”など、本つくりの養成をしていたようです。

 

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メモ
 随時追加します

管野すが
1881-1911 明治時代の社会主義者。大阪出身。筆名は須賀子。号は幽月。
明治14年6月7日生まれ。大阪で宇田川文海に師事して新聞記者となり,木下尚江の影響で社会主義にちかづく。明治39年「牟婁(むろ)新報」へうつり,荒畑寒村と結婚。のち離婚して幸徳秋水と同棲,大逆事件にかかわり,44年1月25日処刑された。31歳。遺稿に「死出の道艸(みちくさ)

 

幸徳秋水については
『らんだむ書籍館 86』 …小林昭夫氏(千葉県松戸市)
らんだむ書籍館 (morikinseki.com)
中江兆民「[縮刷]正続 一年有半」 をご覧ください
     
  堀内謙吉=森琴石 調査情報【平成23年 5月】 (morikinseki.com)

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ベルナルド著・小島準治訳 によるその他の書誌
●ベルナルドの日本字=倍瑠儺屢弩
●ベルナルドは号を「安治川漁徒」と名乗ったようだ

『聖教理緒 セイ キョウリショ』
安治川漁徒訳,小島準治編
大阪:小島準治,1883年2月=明16年

天主実義』
利瑪竇(マテオ・リッチ)著,小島準治点
東京:開世堂・明18年3月(1885)

小島準治について
元高知藩士
高知藩預りの片岡市右衛門の影響で大阪の天王堂の宜教師クゼンの伝道士とな
り『旧新約史略』を訳し日本公教会に尽くした
・・・・Google books 『キリシタン研究第 5 巻』(吉川弘 文館・1961)等による

**********************************

永田方正
調査情報:平成17年1月」に記述
●日本人で最初に「新旧約聖書」を翻訳し、日本で初めてアイヌ語の文法書「北海小文典」を編さん
した人物
●森琴石は響泉堂刻で『永田方正訳 暗射地球訳図 全』(大阪書林岡田蔵版・明治8年)を作製

********************************

柴原宗助
調査情報【平成18年 7月】・「関連人物:柴原宗助」・「平成18年9月【2】■」等に記述
●備中後月郡井原の生まれで、第一回岡山県会議員に当選し、自由民権 運動を起こした。
●備中高梁に来ていた新島襄 らに影響を受け、高梁に始めて キリスト教を伝道した人
物の一人である。明治19年、京都で書店を開業し、同志社の御用達となる。
↑新島譲と関係する

*******************************

石井筆子

調査情報【平成19年 10月】に記述
★森琴石の長男<雄次>の妻 梅子の身内「石井亮一」の妻
★ヨハン協会のキリスト教入門
クリスチャン人物伝  石井筆子 ~障害児教育は聖書から始まった~ をご覧下さい

★森琴石HP=展示掲載 平成19年 1月~3月
★石井筆子の叔父は「渡辺昇」
森琴石調査情報【平成21年 2月】■4番目に記述
渡部昇=大阪府知事を務めた
石橋雲来著「雲来吟交詩 3集」に詩文が掲載・森琴石とも交流があった

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藤井新助、藤井光栄、藤井幸三郎  の著出版  

●「浪華名所ひとり案内橋づくし」
(編輯兼出版:藤井新助、鎌田朝助・明治17年12月17日)=国立国会図書館

●「淡交友義 」
(藤井幸三郎編,藤井光栄堂, 明13.5)=国立国会図書館

●「改正小学読本字引」
( 藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

●「大日本刑法俗解大全 」
(藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

  • 「地球全図」
    (藤井新助縮図并出版・森琴石銅刻・明治8年6月)=NACSIS Webcat 書誌情報(京都大学附属図書館、準貴重図書庫<室賀コレクション※・古地図>)をご覧ください。
    *香川大学附属図書館にも所蔵されています。

●「月琴独楽松月琴譜」
(藤井新助編著并出版・木版・明治10年12月)=関西大学附属図書館

●「掌中大阪細見及二京之図」
(藤井新助編并出版・明治10年3月)=東京大学附属図書館

●「大阪之図」
(杉岡政治編纂及画・藤井光栄刻・藤井光栄堂出版・明治12年・多色)=国際日本文化センター・神戸市立博物館

●「府県諸郡名及大阪区別一覽表并従東京里程」
(藤井幸三郎著出版・光栄堂・明治11年.6月)(=東京大学 史料編纂所・国立国会図書館

  • 「岡山県市町村制区域三国全図」
    山本真一郎著・藤井幸三郎刻・明治22年7月・銅版彩色・1舗 =出版:岡山

 

 

 

 

 

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響泉堂刻書誌『植学啓蒙』=明治13年4月・前川文栄堂

2021年4月4日 更新

 

『植学啓蒙』=響泉堂刻書誌 やっと入手出来ました

 

森琴石 調査情報【平成21年 11月】 (morikinseki.com) でご紹介の『植學啓蒙』という書誌が、12年目にようやく入手出来ました。
植学とは、西洋植物学を本草学 と区別するために津山藩)の藩医で蘭学者宇田川榕庵が初めて用いたという。
■『植学啓蒙』は 米人グレイの植物学初歩(A.Gray,How Plants Grow: Botany for young peoples and common schools.)を基本としたもの。植物学の通論。
■訳者松本駒三郎は、明治13年、小石川植物園に雇われ、伊藤圭介、賀来睦之を助けて植物を調べるかたわら事務を担当、明治十五年まで在職した人物である。
■森琴石は動物、植物、博物学者との関りはかなりあったようだ。
■森琴石【響泉堂】が手掛けた訳本には ジュール・ベルヌの『月世界旅行』、『新訳聖書』、「達爾頓氏生理学図式」などあり、この方面の解明も今後必要と思われます。

森琴石HPご紹介ヵ所
d-4.jpg (271×400) (morikinseki.com
森琴石 作品紹介 銅版画 (morikinseki.com)
<大阪森響泉堂銅刻>:『達爾頓氏生理書図式』(明治11年4月刊)扉の下方 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)


植学啓蒙』 概要

著者   :グレイ(アサ・グレイ=アメリカの著名な植物学者)
抄訳   :松本駒次郎 抄訳
出版社  :文栄堂
出版人  :前川善兵衛
版権免許 :明治12年11月15日
出版年月日:明治13年4月(1880年)
  大阪響泉堂刻(上巻 扉下)
サイズなど:3冊(上51,丁 中54丁 下39丁) 縦22cm x横15cm
挿図   :210

 

画像
 (お断り:画像にばらつきがあります)

 

表紙 上、中、下              左:扉    右:表紙裏

表紙 上中下  左扉 右表紙裏

 

上 扉下(大阪響泉堂刻)

上 扉下(響泉堂刻)

 

緒言(上巻 1丁)

此ノ書米人クレイ氏著ハス所ノ「ハウ、プランツ、グロー」草木成長如何又「ボタニー、フォー、ヤング、ピープル、エンド、コンモンスクールス」幼年生及ヒ小学校用植物書ト題スル書ヲ原トシ傍ラ他書ヨリ抄出シテ篇ヲ成シタリ児童等ニ依ラハ植學之一班ニ了知スルヲ得ン 
明治十二年10月十日


緒言(上巻 1丁)

 

目次                   

目次 

目次の続き目次の続き

 

 

第1図、2図(上巻 3丁、4丁)
第一図 (上 3丁 ) (3)

 

第154、155図(下巻 4丁)


154、155図(下 2兆) (3)

 

奥付

版権免許 明治12年11月15日
  抄訳人 堺県士族 松本駒三郎
   当時近江国滋賀郡白玉町8番地
  出版人 大阪府平民 前川善兵衛
     府下東区南久宝寺町4丁目35番地

下 奥付

 

松本駒次郎について
科学者、博物学者
明治13年 小石川植物園に雇われ、伊藤圭介、賀来睦之を助けて植物を調べるかたわら事務を担当、明治15年まで在職した=『日本博物学史』(上野益三著・平凡社・昭和48年)

松本駒三郎の著書・訳書 (国立国会図書館蔵書検索)  
「格物地誌.」(ワレン他,明9)
「健全論 」(文栄堂.明12.11)
「動物小学」(松本栄三郎,錦森閣, 明14.8)
「植物小学字解」(錦森閣, 明15.8)
「動物小学字解 」(錦森閣, 明15.8)
「理化入門」( ホウッカル他, 明20.10)
「鉱物学教科書」(コリンス他,嵩山堂, 明23.12)
「蒸気機関篇」(松本駒次郎,松本栄三郎. 嵩山堂, 明23.6)  他

森琴石HPでの記述
   森琴石 調査情報【平成19年 1月】 (morikinseki.com)
   【1】」・響泉堂刻教材(掛図)・小石川植物園日誌に名(★1番目参照)
    関連人物加藤竹斎・服部雪斎・田中芳男・伊藤圭介・久保弘道など

その他 博物学=永田方正  森琴石 調査情報【平成17年 1月】 (morikinseki.com)
                森琴石「響泉堂」 雅友・知友(な~の) (morikinseki.com)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・参考(国文学研究資料館のデータ)

●巻上
●総論 / 1
●第一章 植物ノ成育及ヒ機器ヲ論ス
●第一条 植物ノ機器 / 1
●第二条 種子ノ萌芽 / 6
●第三条 葉幹ノ萌芽 / 16
●第四条 根幹葉ノ種類 / 27
●第二章 植物ノ増殖ヲ論ズ ※以下、巻中
●第一条 孳息ノ芽ニナルコト / 1
●第二条 孳息ノ種子ニナルコト / 3
●第三条 花 / 4
●第四条 果実及ヒ種子 / 24
●第三章 植物ノ成長スル所以及ヒ其功用ヲ論ス / 35
●第四章 植物ノ分科ヲ論ス
●第一条 分科 / 48
●第二条 自然分科法 / 50

 

 

 

 

 

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中国『歴代画譜類編 清供(2)』に、森琴石著『墨香画譜 巻4』が収録

2021年2月8日 更新


中国『歴代画譜類編 清供(2)』に 
・・・森琴石著『墨香画譜 巻4』が収録

 

■昨年秋、中国の出版書物に、森琴石の画が収録されている情報をインターネットで知りました。
■東京のS書店が取り扱っており、さっそく取り寄せ致しました。

■『歴代画譜類編 清供(2)』というタイトルの書物で、収録作品の第一番目に、森琴石の著書『墨香画譜 巻4』の画が収録されていました。


清供とは
絵画の題材
清代には「博古清供」と言われる、一種独特の題材も現れました。花材を器物や果物、霊芝、ひも飾りなどと組み合わせ、語呂合わせや象徴的な意味にかけて、富貴や平安などの寓意を込め、日々の暮らしへの願いを表現した。
    ※森注 謎語画題という。森琴石編『題画詩集』に項目あり
(百卉清供 瓶花と盆景画 特別展_花瓶に生けた花 – 國立故宮博物院 より)

■森琴石は「清供」と称されるジャンルの作品をかなり描いたと思われ、森家には下絵やスケッチが沢山残されています。しかしそれらの殆どは未調査です。
 (後日下絵の一部を下方に追加致します。

■2020年1月30日 更新分
浮世絵研究家リチャード・レインコレクションに森琴石の画が所蔵=ハワイ、ホノルル美術館 | 森琴石 What’s New (morikinseki.com) 
の作品は、“清供”のジャンルに当たると思われます。

 ■「歴代画譜類編」シリーズは、北宋の『宣和画譜』から民国時期の石印画譜など150点余りを、伝統的な中国画題材分類様式により「石」「山水」「名勝」「梅」「蘭」「竹」「菊」「花鳥」「百獣」「人物」「仙仏」「仕女」「博古清供」「扇面」の14種に分類、全88冊の刊行が予定されています。

 ■更にインターネットで調べたところ、その他「石(1)」「梅(5)」「蘭(3)」「竹(4)」「菊(3)」に、森琴石の『墨香画譜』が収録されている事が判明しました。
■「石(1)」の最初の方には 森琴石著『南画独学揮毫自在』から収録したものと思われますが、どういうわけか、著者名が「清 林琴石」となっているようです。
尚「石(1)」の最後には森琴石の『墨香画譜』が取り入れられてるようです。

★「石1」は注文にはこぎつけたのですが。後日連絡がありキャンセルとなり、上記の情報を実物での確認は出来ませんでした。
★下方に「石1」も含、『歴代画譜類編』の、森琴石が収録されている分のデータをご紹介させて頂きました。

 ■尚20年前には、中國の山東美術出版社より出版された
『中国古画譜集成・第22巻』には、森琴石著『墨香画譜』が、全巻(4巻)、オールカラーで収録されています。

■この「歴代画譜類編」シリーズには、王冶梅の作品が多数収録されており、森琴石の朋友滝和亭や、同じく内海吉堂の師匠任伯年の作品(画譜)も取り上げられています。

■下の書誌データは、https://www.jd.com/jxinfo/24d36ce9891e9855.html からコピーさせて頂きました。(文字は簡体字をそのまま写しています)

     

歴代画譜類編-清供(2)

出版年月   2018年10月
編者     馮暁林編
出版社        栄宝斎出版(北京)
総頁数    298頁
森琴石収録分  24図、5頁~31頁

作者紹介
目録
《墨香畫譜》(【日】森琴石 繪 【日】明治十三年墨香齋套色珂羅版)

《馬畫寶》(民.馬 繪著 民十七年世界書局石印版)
《三希堂草蟲花卉大觀》(民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《三希堂石譜大觀》(民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《三希堂菊花譜大觀》(民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《三希堂梅譜大觀》(民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
・・・・・・・・(森注:王冶梅の画15図収録)
《三希堂蘭譜大觀》(民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《三希堂竹譜大觀》《民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《三希堂翎毛花卉大觀》《民.葉九如 輯選 民國十三年大華書局石印版)
《病鶴叢畫集》《清.錢鑫 繪著 民二十一年大東書局石印版)
《古今名人畫稿》《清.王韜 輯選 光
廿一年石印版)
《任伯年畫譜》(清.任頤 繪著 光十三年石印版)
《當代名畫大觀(正集)》(民.王念慈 碧梧山莊一九三:年石印版)
《當代名畫大觀(續集)》(民.王念慈
碧梧山莊一九三四年石印版)
《百尺樓叢畫》(清.汪鑠 繪著 光
丙辰石印版)

 

 

『中国古画譜集成・第22巻』(2000年、山東美術出版社)
  『墨香画譜 巻1234』全巻、オールカラーで収蔵されています。

森琴石ホームページ  調査情報【平成16年 1月】■2番目に記述しています

森琴石HP
調査情報【平成16年 1月】
■愛知県豊田市のH氏から、明治18年12月作の「青緑十六羅漢図」所蔵のご連絡を頂く落款には「写於今治嬉雨山房南窓下以為・・・・・清属即乞正之 琴石森熊」と書かれている。愛媛県今治で描かれた作品である。H氏は身内の方より譲り受けられたもの。森琴石は伊国漫遊時に「各所で乞われて多数の作品を描き、印も様ざまのものを使用した」と、晩年の控帖に書いている。 *情報ご提供者:オールアバウトジャパン松原洋一氏

⇓ 

立命館大学図書館の蔵書、山東美術出版社2000年刊「中国古画譜集成・第22巻」には森琴石の木版画集「墨香画譜4冊(明治13年・森琴石著編纂)」が、廉泉輯「扇面大観」・張兆祥画「文美斎詩箋譜(百花詩箋譜)」と共に合本出版されている。

廉泉は1915年前後、自身が収集した明・清時代の扇面約1000枚を一同に集め、神戸山本通で「扇面博物館」を開いた。「文美斎詩箋譜」は百種類の花を描いた便箋を集めたもの。
※墨香画譜=出版―吉岡平助など
・山水・花卉・果樹・根菜などを描いた四冊本。
・題字、序文には 谷鉄臣・寺西易堂・木村方斉・水原梅屋・小原竹香・戸谷萩堂(澹 斎)・坂本葵園 など。 跋文=自跋(森琴石)。
*木村方斎・戸谷萩堂・坂本葵園は共に大阪の儒学者。
*上記「墨香画譜 四冊」は、北京図書館(中国国家図書館と改名)の一般古書にも所蔵されている。
*立命館大学図書館には、明治13年刊/森琴石画/行徳玉江編「書画落款自在 上中下」が所蔵されている。
*行徳玉江(ぎょうとく ぎょっこう)=鼎金城門下・森琴石兄弟子・篆刻にも優れ上記以外にも著書がある。
*廉泉及び扇面博物館=在日中国人動態 (m00026085)・日本僑報電子週刊307号【号外】2003/5/28(水)・編集発行-段躍中氏文【特定のテーマによる展示 (3)華僑の文化】より引用 

 

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歴代画譜類編-清供(2)

表紙      右は森琴石著『墨香画譜』  【墨香画譜】見出し頁    目次

 表紙 比較  目次 墨香画譜 見出し

 

歴代画譜類編-清供(2)

最初の頁                     序文(日下部鳴鶴)    森琴石の略歴紹

中国 最初の頁(森琴石 墨香画譜)  右 森琴石略伝 左 谷鐵心書

 

 

歴代画譜類編-清供(2)         森琴石『墨香画譜』最初の図…霊芝
最初の図  霊芝

中国 最初の図  霊芝 石(墨香 最初の図)

 

歴代画譜類編-清供(2) と 森琴石著『墨香画譜』

         <西瓜図> サイズと色の比較

西瓜図 大きさ比較

 

歴代画譜類編-清供(2)

森琴石画…最後の頁          奥付

中国 最後2図    奥付

 

森琴石著『墨香画譜』 奥付

墨香 最後(琴石自跋 奥付)

 

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清供

下絵・スケッチ

<謎語画題有り 10枚> より

左下の図
百齢食禄鹿・栢(カシワ)・凌霄花(ノウゼンカズラ)の組み合わせをいう。
  (http://www.kotono8.com/wiki/%E8%AC%8E%E8%AA%9E%E7%94%BB%E9%A1%8C)  
鹿は長寿の動物で禄の意がある。不老長寿の図
                             縦 28㎝x横 31㎝
マクラガン(英国人)    ロベルト・マクラガン(英人)
  明治5年5月英国より来阪、 明治22年まで造幣局技師として勤務した。 

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左の図                  右の図(中央寄り)
物闘芳菲…草花・雑虫         金衣百子…石榴・黄鳥
  (かまきり・蝉など)  
物闘芳菲(虫・草花)他

金衣百子(解説. 画題辞典.)
金衣は黄鳥なり、百子は柘榴なり。柘榴実は百子を蔵するが故に斯く呼ぶ。柘榴に黄鳥を配して
金衣百子と題す、謎語画題の一なり、南画家の作多し。

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右下方の図
忠孝聯芳石・蜀葵(タチアオイ)・鶏
東洋画の画題。忠の象徴である葵、孝の象徴である萱草に石と鶏を配した図をいう。石は不老を表わし、鶏は慶に通じる。
祝賀の意味をもつ画題。(コトバンク)

【忠孝聯芳】石・蜀葵(タチアオイ)・鶏 他

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 忠孝聯芳

 

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歴代画譜類編 森琴石収録分(books.google.co.jp › その他)

歷代畫譜類編·蘭(㈢)
馮曉林 · 2018
墨香畫譜〔日〕森琴石繪〔日〕明治十三年墨香齋套色珂羅版《墨香畫譜》四卷,〔日〕森琴石,明治十三年(一八八〇)套色,日本浪華同盟會,本印采用單色影印。是書爲白紙珂羅版影印本,共收森琴石先生墨寶一百一十幅,圖印圖名,尺寸及收藏者。

歷代畫譜類編·菊(三)
馮曉林 · 2018
墨香畫譜〔日〕森琴石繪〔日〕明治十三年墨香齋套色珂羅版《墨香畫譜》四卷,〔日〕森琴石,明治十三年(一八八〇)套色,日本浪華同盟會,本印采用單色影印。是書爲白紙珂羅版影印本,共收森琴石先生墨寶一百一十幅,圖印圖名,尺寸及收藏者。

歷代畫譜類編·竹(四)
馮曉林 · 2018
墨香畫譜〔日〕明治十三年墨香齋套色珂羅版〔日〕森琴石繪《墨香畫譜》四卷,〔日〕森琴石,明治十三年(一八八〇)套色,日本:浪華同盟會,本印采用單色影印。是書爲白紙珂羅版影印本,共收森琴石先生墨寶一百一十幅,圖印圖名,尺寸及收藏者。

歷代畫譜類編·清供(二)
馮曉林 · 2018
墨香畫譜〔日〕明治十三年墨香齋套色珂羅版〔日〕森琴石繪《墨香畫譜》四卷,〔日〕森琴石,明治十三年(一八八〇)套色,日本浪華同盟會,本印采用單色影印。是書爲白紙珂羅版影印本,共收森琴石先生墨寶一百一十幅,圖印圖名,尺寸及收藏者。

歷代畫譜類編·竹(一) 
馮曉林 · 2018編輯民國丙辰上海江東書局石印版)《高等習畫臨本》(清·梅花館主人編繪民國乙西上海鴻文書局石印版)《萬古樓叢畫》(民·汪錄編訂民國丙寅大德書局版)
《墨香畫譜》( (日)森琴石繪(日)明治十三年墨香齋套色珂羅版) 餘編《墨香畫譜》((日)森琴石 …

 

 歷代畫譜類編:石()
出版社: 榮寶齋出版社
1版 (2016年11月1日)
平裝: 261頁
語種: 繁體中文
開本: 16ISBN: 9787500318514
商品尺寸: 28.4 x 19.6 x 1.2 cm
商品重量: 839 g
定價48元

目錄
《十竹齋書畫譜》(清·胡曰從摹古江寧張學畊重校校經山房版》原刻本》
張子祥先生課徒畫稿》(清·張熊繪撰民國十一年中華書局石印版》林氏
《素園石譜》(明·林有麟編繪明·萬曆
《南畫獨學揮毫自在》(清·林琴石編撰光緒辛巳石印中箱本》⇒ 森琴石の間違いと思われる
冶梅石譜》(清·王寅繪着清·光緒六年金陵王氏日本浪花社》
《畫譜採新》《清·楊伯潤等繪着清·光緒十二年畲經堂石印版》
《芥子園畫傳》花卉翎毛譜《清·巢勳臨本光緒戊子鴻文書局石印版》
《畫家三昧》(清·竹禪繪着光緒十八年安禪堂刊本》
《周棠石譜》(清·周棠繪着民國珂羅版》
《畊香館畫賸》(日·攏和亭編着明治十六年錦榮堂藏版》
《飛影閣叢畫》(民·周慕橋繪着民國石印版》
《三希堂石譜大觀》(民·葉九如輯選民國十三年大華書局石印版》
《馬胎畫寶》(民·馬駘繪着民國十七年世界書局石印版》
《當代名畫大觀正集》(民·王念慈編輯碧梧山莊一九三年石印版》
《當代名畫大觀續集》(民·王念慈編輯碧梧山莊一九三四年石印版》
《大觀樓叢畫》(辛未大德書局版》
《天下有山堂墨竹蘭石譜》(清·汪之元繪着民國六年學海圖書館印四明樵石山房藏版》
《高等自習畫臨本》(民·梅花館主人編繪民國乙酉上海鴻文書局石印版》
《現代名人畫稿(殘卷)》(民·黃俊編輯民國丙辰上海江東書局石印版》
《墨香畫譜》(日·森琴石繪日·明治十三年墨香齋套色珂羅版》

 

 

 

 

 

 

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寒中お見舞い申し上げます

2021年1月20日  更新

 

凧あげ 女子

一年で最も寒い時期を迎えました。

お変わりなくお過ごしでしょうか?

コロナ禍での自粛期間中、
不自由な生活を余儀なくされる毎日ですが、
より一層お気をつけてお過ごしください。

本年も変わらぬご支援をお願い申し上げます。

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良いお年をお迎えください

 2020年12月28日 更新

 

 

皆様の御健勝と御多幸をお祈り申し上げます。
よいお年をお迎えください。 

雪 列車

 

 

 

 

 

 

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袱紗の下絵が現存(森家)…完成作品=サンフランシスコ アジア美術館 ONLINECOLLECTION 

2010年12月18日 更新

 

 10月11日ご紹介 の

サンフランシスコ
 アジア美術館 ONLINECOLLECTION

森琴石の袱紗(ふくさ)・・・・下絵が残る(森家)


森琴石の下絵の中に「かぼちゃ」があった事を思い出し探してみると、10月11日にご紹介した、サンフランシスコアジア美術館,
オンラインコレクション 森琴石の作品「掛けふくさ」の下絵が残されていました。

♣サイズがかなり大きいので、まさか袱紗の下絵であるとは、一度も考えてみた事がありませんでした。寸法を測ってみると、作品の寸法と殆ど変わらない事もわかりました。

ラフな下絵  完成作品
・・・変化した様子がわかります。

1000枚は残っている森琴石の下絵類、丹念に調べるとまだまだ面白いものに出会えるかも知れません。(綴じた状態の画稿資料を合わせると2000枚ほどになる)

 

ふくさ「かぼちゃ・とんぼ・けし・菊」
・・・作画…明治28年12月28日(1895年)

 

 下絵

・・縦 57,0cm x 横 47.o cm

下絵(カボチャ とんぼ けし 菊)


完成作品

 縦 57,2cm  x  横 46,5cm

ふくさ 柄

 

 

 

 

 

 

 

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森琴石の「牛図」…下絵、『森琴石翁遺墨帖 坤』、『南画独学揮毫自在』より

2020年12月13日 更新

 

お知らせ
前回10月11日投稿の
森琴石のふくさ…サンフランシスコ・アジア美術館‐オンラインコレクション‐

作品の下絵(かぼちゃ・菊・ケシ・蜻蛉)が存在していました。ふくさよりかなり大きなラフな下絵です。後日または後月、前回の投稿文中に挿入させて頂きます。

 

森琴石の牛図
来年の干支「丑」に因み森琴石の「牛図」をご紹介します。

 

森琴石の牛図

A 模写下絵

(1)
「白衣観音と牛図 模写」

製作年…明治3年5月
寸法 縦48.0x 横33.5㎝
材質技法…紙本水墨
原作者は不明

 号名…金石 
落款=「明治三庚午薄月後念五日募 金石艸堂蔵
・・・・・・・※庚午薄月念後五日募=明治3年5月25日過ぎ=森琴石満年齢27歳の時

明治3年頃、森琴石の画室は「金石艸堂 きんせきそうどうと名付けていた
 

  

観音牛図(明治3年 金石艸堂)     観音牛図 (落款 明治3年 金石艸堂) 
      ➡  

      金石艸堂
    明治三庚午薄月後念五日摹

     (庚午薄月念後五日募=明治3年5月25日過ぎ)

備考
  森琴石 調査情報【平成20年 4月】 
慶応3年、「漁夫図」を写した習作の裏面には「緑塢所蔵の副也」と書かれて いる。
... 明治3年 号金石: 「白衣観音と牛図 模本」=紙本水墨: 落款=「明治三 庚薄月念五募 金石艸堂蔵」   ※庚薄月念五=明治3年5月25日; ○ 明治4年 「響泉 亭」


下絵

(1)

●牛(下絵 墨)27.5x38.7
27.6×38.7cm


(2) 朱墨で割付線

●牛(下絵右 朱線割付)
27.0×55.7(全体)

  牛下絵 6頭 朱線
  27.3×39.5cm

 


『 森琴石翁遺墨帖 坤』より

『森琴石翁遺墨帖 乾坤』について
森琴石遺作集(遺墨展出展作品を集めた遺墨画集。会場である大阪市北区正法寺に持ちこみやすい、比較的近場の所蔵者の作品が多いようだ。 *森琴石作品の集大成では無い)
20年ほど前に、作品名、所蔵者などの一覧をエクセルで作成したものがあります。
遺墨帖作品一覧 – pdf用

昭和2年(1927年)
編輯兼発行者:近藤翠石(門弟)

編集補助:佐野岱石、西尾雪江
乾 題字=内藤湖南  序文=藤澤黄坡  詩文=木蘇岐山
坤 森琴石小伝=近藤翠石
森琴石紹介 Mori Kinseki  をご覧ください

耕作図
材質 技法 寸法=絹本墨画・縦4尺5寸、横1尺5寸・
製作年=明治39年秋
所蔵者=奥野周造氏蔵

全体図                       ・・・・・    落款

 耕作図 落款(明治39年)

    

耕作図 下方(明治39年)

 

D『南画独学揮毫自在』 より
・・森森琴石の銅版画書誌琴石 調査情報【平成20年 12月】 (morikinseki.com)
森琴石の銅版書誌
明治13年3月24日 版権免許

編輯兼出版人=森琴石(大阪市東区南本町四丁目三十七番地 )
出版人=吉岡平助/北村宋助/中島徳兵衛/吉住音吉

(1)『南画独学揮毫自在  壱』

南画独学揮毫自在 壱 表紙
縦12.8横8.6㎝

 17丁 (左)               16丁裏(右)

17丁 牛(南画独学壱)
(2)『南画独学揮毫自在 四』

※注(1)とは若干サイズ等異なる

  41丁                  42丁      41丁裏
森琴石 識文 奧付 1

44丁
※この分の画像は森琴石 調査情報【平成20年 12月】 (morikinseki.com) のものを使用しています

牛 南画独学より実寸 縦 8,2cm/横 10.0cm


★『墨香画譜』や『南画独学揮毫自在』の画が、中国の出版書誌に収録されています。
(2018年、2020年)
玲和3年、一部ご紹介させて頂きます。

 

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※森琴石ホームページ
『南画独学揮毫自在』記載カ所

森琴石 調査情報【平成18年 12月】

https://www.morikinseki.com/chousa/h1812.htm
森琴石編輯兼出版の『南画独学揮毫自在 ◇』 が、北京の「故宮博物館」の「清 宮廷旧蔵品」として所蔵され、同院のホームページ、「故宮博物院 ネット博物苑 」で公開されている 注1。 □. 「故宮博物院」は、北京の中心部に位置し、明・ 清 …
https://www.morikinseki.com/tenji/link.htm
南画独学揮毫自在」は、古書市でも出回らない書物のようだ。 「書画題跋:落款 自在」. □行徳玉江編/森琴石画兼出版/明治13年9月. ◇「立命館大学図書館 西園寺 文庫」所蔵. ↓. 「国文学研究資料館・近代書誌データベース」で、著者”森琴石” …
https://www.morikinseki.com/chousa/h1802.htm
南画独学 揮毫自在」はじめ上記三著書は、清時代の中国でも発売され、岸田吟香 の「楽善堂書目 注4」の書目リストにも存在する。同リストには上記以外の響泉 堂刻による「書誌」が存在する。 □. これまでの調査で、森琴石と岸田吟香との …
https://www.morikinseki.com/chousa/h2108.htm
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その内「題画詩集」・「南画独学揮毫自在」・「墨香画譜」・「名家画帖」には 、僅かではあるが画稿が残っている。残された画稿からは、新たな事実が浮かび あがる。それらを下記に記述します。 その1; 「名家画帖 注1」は、はじめは「 墨 …
https://www.morikinseki.com/kankei/gayuu_ya.htm
皇国古今名誉大家書画一覧」 (出版=吉岡平助他), 明13.10, 中川利八郎. ◇「大 日本現在名誉諸大家独案内」, 明13.10, 中川利八郎. ◇「南画独学揮毫自在 」 ( 出版=吉岡平助等), 明13.3, 森琴石. ◇「墨香画譜」 (吉岡平助等, 明13.5, 森琴 石.
https://www.morikinseki.com/chousa/h2012.htm
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今月の話題. 【1】 情報ご提供2件; 1:大阪老舗表具師「井口古今堂」の<取引 先およびお出入り先住所録> に、森琴石の名; 2:画家番附表; 【2】 森琴石と パトロン; 【3】 「南画独学揮毫自在」より・・・・・・森琴石の「牛」の銅板 画.
https://www.morikinseki.com/chousa/h1811.htm
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墨香画譜」・「南画独学揮毫自在」・「題画詩集」の三つの書誌は、森琴石の 経歴には森琴石の代表する著書名として必ず書かれている 注2。 □. 森琴石は 地図や教科書、辞書類などの著編者・挿画者として、或いは銅版製作所「響泉堂 」の名 …
https://www.morikinseki.com/chousa/h2301.htm
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… 自在」、「墨場必携 題画詩集」、「南画独学揮毫自在」、「刷り物類」、「 有馬温冷両泉分析表」、「有馬温泉炭酸水改良建築市外写真絵図」、「月瀬勝景 真図」、「地図」などの項目に分類され、それら銅版画の数は、281点に及ぶ 。
https://www.morikinseki.com/chousa/h2210.htm
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【1】 森琴石旧蔵 「1隻2曲小屏風」 について: ○森琴石が枕屏風として使用: 揮毫者: 右曲:小原竹香・浅井柳塘・天野方壺・行徳玉江: 左曲:建部聴山・波部 竹 … 小原竹香は、森琴石著「墨香画譜」・「南画独学揮毫自在」への題字揮毫者 。
https://www.morikinseki.com/chousa/h1809.htm
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森琴石の自著「南画独学揮毫自在」や「墨場必携 増補題画詩集※」の出版人や、 販売書肆(発兌書肆)からは、森琴石の書籍関係のネットワークを知ることが 出来、岡山にも多数の発兌人がいる 注1。 □. 上記【1】で記述した「岡山県 …

 

https://www.morikinseki.com/chousa/h1904.htm
明治18年10月6日歿。著書「節庵遺稿」. II:「名家画帖」(森琴石編/吉岡 平助・吉住音吉/明治13年3月)の題字揮毫者(号潜叟使用)」・「南画独学揮毫 自在 ニ」の揮毫者など。雅友・知友:池田正信の交流者・跡見花渓の師匠。 注3 .
https://www.morikinseki.com/chousa/h2001.htm
南画独学揮毫自在=平成18年12月【1】&11月【1】□2番目&9月【2】 &2月【1】・平成19年10月【1】□7番目&1月【2】□2番目・平成15 年8月□2番目 など. ○下絵4点. ↓「琴学入門」の写し: 安絃背面 安絃正面.
https://www.morikinseki.com/chousa/h1910.htm
森琴石は残した下絵類には、「本草画」とおぼしきものが少なからずあり 注8、 森琴石の代表三著書「墨香画譜」・「題画詩集」・「南画独学揮毫自在」などに も、薔薇が描かれている 注9。「南画独学揮毫自在」の画稿が現存する。 □.
https://www.morikinseki.com/ryakuden/sakuin_a.htm
☆北京故宮博物院の、ネット博物苑「故宮所蔵の日本文物展:絵画」には、跡見 滝の 『花卉図』一冊(1871年/絹本着色)が、「清宮廷旧蔵」として所蔵されて いる。 ↓ 森琴石=書籍の部で「南画独学揮毫自在」が所蔵。・・・・・・ …
https://www.morikinseki.com/chousa/h1901.htm
長野県上田市にある、上田市立図書館・特殊コレクション「花月文庫」には、森 琴石著出版などによる「南画独学揮毫自在」・「題画詩集」が所蔵されている ※ 。花月文庫は、上田出身の銀行家「-第十九銀行の最後の頭取-」として活躍 …
https://www.morikinseki.com/chousa/h15.htm
森琴石の南画の師、「忍頂寺静村 にんちょうじ せいそん 注1」は、兵庫県津名 郡志筑(淡路島・しづき)の生れ。 … 明治13年、森琴石編著、響泉堂刻「南画 独学揮毫自在 なんがどくがく きごうじざい 四冊」の題字、序文、跋分の揮毫者 …
https://www.morikinseki.com/chousa/h1609.htm
森琴石は「南画独学揮毫自在 巻三、四」(森琴石著編纂兼出版・銅版袖珍本・明 13年3月)で、「花鳥昆虫類」を略図解しており、画稿や綴じ帖などにも図解の ものを残している。 注2, 森琴石書簡の表面 :東京市小石川区久堅町 岡不崩先生
https://www.morikinseki.com/kankei/gayuu_sa.htm
森琴石著「南画独学揮毫自在」・「墨場必携 題画詩集」などの売捌書肆。 〔岸田 吟香著「清国地誌」 (東京 楽善堂/明治15年)の売捌人でもある〕. (一) 柴原 宗助. 自由民権運動家・教育者・地方政治家。 幼名恭二。号は秋村。後月郡井原 …
https://www.morikinseki.com/chousa/h2109.htm
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当時日本画であれ南画であれ、朦朧体の絵が求められ、美術商は画家にそれを 強い、画家も挙ってこの作風で描いた。 … 藤井竹外=「平成16年11月 注6 山成家画帖」・「平成18年12月◇南画独学揮毫自在(四) 市村水香」 など
https://www.morikinseki.com/kankei/s_nanga.htm
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… 年12月【1】 注3 南画独学揮毫自在(ニ)」・「平成19年6月【1】□7 つ目」 ○森琴石より15歳年長の兄弟子。森琴石とは書誌出版でコンビを組んで いる。門弟「佐野琴岳(のち岱石に)」は、玉江歿後森琴石の門下となった。

 大村楊城

https://www.morikinseki.com/kankei/gayuu_a.htm
米沢藩外様外科医吾妻寿庵の三男として生まれ、明治6年1月17歳の時、独学 修業を志し上京した。 … 平成18年12月【1】◇南画独学揮毫自在(三)」・「 平成18年5月【4】」「平成13年1月□1番目」・雅友知友「大村楊城 交流者 」 …
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森琴石のふくさ…サンフランシスコ・アジア美術館‐オンラインコレクション‐

2020年10月11日 更新

 

サンフランシスコ 
アジア美術館 ONLINECOLLECTION 
森琴石の袱紗(ふくさ)

 掛け袱紗

表・・・丸に立ち沢潟(おもだか) 紋‐

裏・・・森琴石画「とんぼ、かぼちゃ、菊、けし」
    ‐画は明治28年12月28日(1895年)の作品


■ハロウィーンに因み ”かぼちゃ”を題材にした作品があります。

■アメリカカリフォルニア州にある サンフランシスコアジア美術館 オンラインコレクションに森琴石の「袱紗(ふくさ)」が紹介されています。

■“掛けふくさ“といわれ、贈り物や貴重品の上に被せるもので、上質の織物で仕立てたものです。

■表が家紋(丸に立ち沢潟)で、裏にはとんぼ・かぼちゃ・菊・けし」の図を森琴石が描いている。

■袱紗(ふくさ)は森家にも何種類かありますが、霊芝や松竹梅・果菜類などが殆どです。

■サンフランシスコアジア美術館 オンラインコレクションのものは<かぼちゃの上にトンボが止まっている>という、珍しい図柄なので紹介させて頂きます。
(但し、画像につきましては、不都合な場合がある場合は削除させて頂きます)

■家紋(丸に立ち沢潟)及び、 家紋の由来となる“勝ち虫=蜻蛉(とんぼ)”を描いている事などから、元の所蔵者のご家系が想像出来そうです。
備考1

サンフランシスコ アジア美術館

サンフランシスコアジア美術館は
アメリカ、カリフォルニア州にある美術館で、アジアの国々の貴重なコレクションを展示している美術館。17,768点の所蔵品の中心は、中国美術6,900点、次いで日本美術5,200点。常設展示のギャラリーは、南アジア、西アジア、ヒマラヤ、東南アジア、中国、韓国、日本の7地域に分かれている。

 

ウィキペディアより
(サンフランシスコアジア美術館チョン・ムーン・リー アジア芸術文化センター世界で最も包括的なアジアの美術コレクションの1つを収容し、その常設コレクションには18,000以上の芸術作品があり、6,000年前のものも含まれています。
 以下略




備考2
沢潟(おもだか)紋の由来
丸に立ち沢瀉
①   日本の家紋より https://kamondb.com/plant/422/
日本十大紋の一つ。オモダカは池や沢、田んぼなどに自生するクワイに似た水草で、可憐な花を咲かせます。古くは王朝時代に貴族の車や武具の文様として用いられ、やがて家紋に転じたものと云われています。

沢瀉は面高「面目が立つ」に通じるとか、葉の形が矢じりに似ている、別名「勝ち草」とも呼ばれるなどのことから、武人の家紋として普及しました。毛利元就が戦に臨む時に沢瀉に蜻蛉(トンボ)が止まったことを吉事として用いたという故事があります。

②   ウィキペディアもご覧くださいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%80%89%E7%B4%8B

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サンフランシスコ 
アジア美術館 ONLINECOLLECTION

Gift cover with design of dragonfly, pumpkin, chrysanthemums, and poppies

http://searchcollection.asianart.org/view/objects/asitem/subject@chrysanthemum/20?t:state:flow=0298ba58-0b91-4ab6-9335-51edbf4d8a33

 

原文
Gift cover with design of dragonfly, pumpkin, chrysanthemums, and poppies

Artist: Mori Kinseki (Japanese, 1843 – 1921)
Date: 1895
Historical Period: Meiji period (1868-1912)
Object Name: Gift cover
Materials: Ink, color, and gold on silk
Dimensions: H. 22 1/2 in x W. 18 5/16 in, H. 57.2 cm x W. 46.5 cm
Credit Line: Gift of Peter and Beverly Sinton
Department: Japanese Art

Collection: Textiles
Object Number: 2015.67
On Display: No


<…以下森流の書き方をしています>

サンフランシスコ アジア美術館 オンラインコレクション

掛け袱紗「とんぼ、かぼちゃ、菊、けし」

画者=森琴石
製作年=明治28年(1895年)
寸法=縦57.2 cm x 横 46.5 cm
材質,形状
袱紗
           家紋面…?織・紋(丸に立ち沢瀉<おもだか>)
   図柄面…絖本? 着色画(とんぼ・かぼちゃ・菊・けし)
   房  …金糸(4隅のうち1か所欠損)

クレジットライン=ピーター&ビバリーシントン(ご夫妻)の贈り物
部門=日本美術
コレクション=織物
オブジェクト番号: 2015.67

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

画像

袱紗 

・・・ 森琴石画  ~乙未季冬念八日 琴石寫~
・・・・・・・・・・・・・・明治28年12月28日
・・・・・・・・・・・・・・・・(1895年)
かぼちゃ 

 
ふくさ 柄                      

 

家紋面(丸に立ち沢潟紋)

袱紗 家紋         袱紗裏(家紋)

・・・・・・  ・

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2020年12月18日 追記 (

以前、森琴石の下絵の中に「かぼちゃ」があった事を思い出し探してみると、上にご紹介の「掛けふくさ」の下絵がありました。
かなり大きいので、まさか袱紗の下絵とは、一度も考えてみた事がありませんでした。
寸法を測ってみると、完成作品とほとんど変わらない事もわかりました。
ラフな下絵が作品に変化した様子がわかります。
1000枚は残っている森琴石の下絵類、丹念に調べると面白いものに出会えるかもしれません。(綴じた状態の画稿資料を合わせると2000枚ほどあると思われます)

 

下絵 縦57,0㎝ x 横47,0  cm                                作品 縦 57,2cm x 横46,5cm

下絵(カボチャ とんぼ けし 菊)  ふくさ 柄

 

 

 

 

 

 

 

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大阪 森響泉堂 銅刻『達爾頓氏生理書図式』(明治11年4月刊)扉の下方

2020年9月6日 更新

 

『達爾頓氏生理書図式』(明治11年4月刊)
扉下方の文字…大阪森響泉堂銅刻 とあり

 

●2020年7月後半、森琴石の資料をインターネットで探していたところ、某人気フリーマーケットサイトに、明治11年1月刊行の『爾頓氏生理学書図式』が出ていました。

●出品書誌の画像は扉の上部に2カ所蔵印がある以外、背表紙の上方と下方が経年で破損しているものの、中身の銅版印刷は極めて良好な状態で写っていました。

●某古書サイトでの販売価格は3万5,000円ですが、これは何と2000円なのです。何年か前には7・8万円、いや10万円以上の値がついた事もあり、到底買えないとあきらめていました。今回の価格は余りにも安く信じられない気持ちでしたが、これは “絶対に買わなければ!”と、躊躇せず<購入>にクリックしたのです。。

●届いた書物の手ざわりを確かめ、表紙を見、めくった瞬間、余りの嬉しさに気持ちの昂りをしばらく抑えきることが出来ませんでした。

なんと!!

●扉の飾り枠の下方にある「・・・・・・・刻」とあるところを見ると
<大阪森響泉堂刻>となっているではありませんか!

●扉の上方に押された<所蔵印>から推測すると、数々の戦火や災害を逃れ、場所を変えながらも、大事にされていた事が窺えます

●蔵印から察して出品者の方は “ゆかりのある人” かも知れず、“大事にしてくれる人に持って貰いたい!”と願って出品して下さったように思えてなりません。

●『達爾頓氏生理学書図』の翻訳者  物部誠一郎は、大阪病院の医師で、緒方惟準や緒方拙斎と同僚だった。

 

備考
生理学とは…
人体を構成する各要素(それは組織、器官であったり細胞であったりする)がどのような活動を行っているかを解き明かす学問。(
byウィキブックス)
2018年ノーベル賞生理学・医学賞を受賞した「本庶佑」先生のご研究もこの分野です。

※物部誠一郎は、森琴石の晩年の主治医だった可能性があり(森琴石日誌)、森琴石の周辺には、この分野で高名な 緒方惟準・緒方拙斎・堀内謙吉などがいます。

●森琴石ホームページ
森琴石門下 堀内謙吉 調査情報平成23年5月

●堀内謙吉は、緒方洪庵の外孫として誕生、
鼻咽喉科の名医として、
中江兆民の咽頭がん
を告知した事で有名

『らんだむ書籍館 86』 …小林昭夫氏(千葉県松戸市) 
らんだむ書籍館 (morikinseki.com)
中江兆民「[縮刷]正続 一年有半」


●堀内謙吉の父、堀内國利は、明治3年、陸軍軍事病院を緒方惟準と共に創設した。
脚気撲滅に貢献した人物。

●脚気論争については
「柏崎通信」で 梶谷恭巨氏が詳しく記述されていますhttp://kashwazakitushin.blog.shinobi.jp/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6/%E8%84%9A%E6%B0%97%E8%AB%96%E4%BA%89%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%EF%BC%88%E7%B6%9A%E3%81%8D%EF%BC%89_119

●その他
森琴石ホームページ
2013年1月17日記述
緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』に、森琴石周辺人物が登載

 

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『爾頓氏生理書図式』の概要

    明治11年4月刊行
 サイズ 縦24.7㎝x横17.5㎝

 

扉             背表紙

(広島県公立三次病院の蔵印)他     (上方欠損)

扉(全)      背表紙

 ↓ 枠外下方に ―大阪森響泉堂銅刻― とあり扉下方 大阪森響泉堂刻

 

識文=物部誠一郎

 概要 (間違っているかも知れませんが・・)
前文略

自分は(著者物部誠一郎)、最近(明治11年)大阪医学校の教授に任命をされた。教授するにあたり、アメリカの達爾頓氏(ダジトン)の生理学書を教材にする事とした。ダジトン氏は紀元1875年(明治6年)生理学書を著した、この本は議論が精確で論旨がはっきりしている。自分はこの本を(妥協を許さず)改良して使っている、特に図式は織微詳密にするため、木版で模写すべきで無いと考え、銅版で別に鐫刻した。斯道の学者に読んで頂き、研究の一助になる事を切に願う。

物部誠一郎 識文

 

第46図(膵臓・十二指腸)         第184図(交感神経 、神経節)

第46図(十二指腸・膵臓)第47図(十二指腸壁)  第184図(交感系統の神経及神経節)他

 

奥付 1

奥付 1

奥付 2

奥付 2 左下 大阪響泉堂刻

 

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~参考まで~

緒方惟準は医業を離れ隠居した際、有馬の別荘「翠紅庵」を良く訪れたという。
緒方拙斎著「南湫詩稿 第2集」には、森琴石が「翠紅庵」を描いています。
               調査情報 平成23年2月
現在「翠紅庵」は、森琴石の生家 有馬温泉「中之坊・有馬グランドホテル」が所有されているそうです。

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その他 森琴石ホームページでの記述カ所

森琴石 調査情報【平成16年 3月】

https://www.morikinseki.com/chousa/h1603.htm
… にしお きちたろう 注8」は、「山陽新報」の創設者である。 □. 明治9年、 文部省刊「馬耳蘇氏複式記簿法」(馬耳蘇マルソ 著)・明治11年、「達爾頓氏 生理学図」(達爾頓 ダルトン著)など、簿記や医学の翻訳教科書にも関与して いる。

 
https://www.morikinseki.com/chousa/h1808.htm
サムネイル画像
達爾頓著・物部誠一郎訳・大阪文海堂・明治11年刊) 10冊目図版=響泉堂& 水口龍之介との銅鐫共刻・・原本摸図長谷川(貞)信翁. 「達爾頓氏 生理書図」 奥附. 「達爾頓氏 生理書図」 奥附. ※本来奥附は2頁にまたがっているため、1枚  …
 
https://www.morikinseki.com/chousa/h1907.htm
サムネイル画像
「達爾頓式 生理書図」に携わるなど、多少の医学の知識も持ち合わせていたと 思われる 注3。江戸末期に撮影したとされる、ガラス湿版写真版が森家に残る 注 4。森琴石の儒学の …
 
https://www.morikinseki.com/kankei/gayuu_ka.htm
関連事項=平成18年8月【3】 a [達爾頓 生理学書」奥附 ○森琴石と同門= 儒学の師が高木退蔵(号翠風)、岡玄卿※も同門。 (一). 川上泊堂先生. 先生名 は愿 字は次恭 泊堂は其號なり 別に平心庵と號し其居を静修亭と名く 嘉永元年戌 申 …
 
https://www.morikinseki.com/kinseki/douhanga.htm
琴石所刻の銅鐫作品で万目したものに、明治十年刊の日本地誌略附図、同十一 年刊の達爾頓(ダジトン)氏生理学書図式があるが、前者は左海書肆双鶴堂、 鈴木久三郎の出版で、後者は大阪松村九兵衞の出版である。水口龍之助との合鐫 になる …
 
https://www.morikinseki.com/kanren/kanren_a.htm
山中篤衛・松本瑞・花岡義章: ※物部誠一郎=府立大阪病院医師 大阪病院=大阪 日日新聞《森琴石と歩くおおさかの町》内大阪病院に記載/明治期半ば以降、森家 の家庭医であったようだ(森琴石日誌)/響泉堂刻「達爾頓氏生理書図式.

 

 

 

 

 

 

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