What’s New?  について

[森琴石]のホームページをCD化するに当り、最後のまとめにとりかかりたいと思います。

索引の充実及び画家系図のやり直しと並行し、諸情報のお知らせについては、平成23年12月より[What's New?]からご覧頂きたいと思います。

 [森琴石]の調査を開始してから13年経ちましたが、その過程に於けるさまざまなエピソードや苦労話などを、記録として残す必要があるとのご意見を頂戴しています。
調査情報ではお伝え出来なかった内輪的な事にも少々触れてみたいと思います。

ブログ形式の操作に不慣れな為、画像やイラストの挿入などがまだ出来ません。
徐々に覚えていきますので気長にお付き合い下さい。       2011年12月5日  筆者

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森琴石の <きんぎょ>(木版、銅版)

2019年7月30日 更新

 

“ 暑 中 お 見 舞 い

・・・   申 し 上 げ ま す ”  

 

森琴石の代表著書の内
木版色刷『墨香画譜』及び銅版墨冊『南画独学揮毫自在』に、金魚を描いたものがあります。
人面魚のようにも見えます。
暑い折、森琴石のユーモラスな絵でしばしお楽しみください。

 

 

『墨香画譜 四』 19丁目
・・森琴石著・吉岡平助など出版・明治13年5月・木版色刷・18,3cm x 11,4cm

『墨香画譜 巻3』 金魚

 

 

『南画独学揮毫自在 四』 39丁目 右図
・・森琴石著・吉岡平助など出版・明治13年3月・銅版墨刷・13,3cm x㎝8,3 ㎝1

『南画独学 4』 右 金魚

 

 

近況ご報告

平素は森琴石の調査にご協力頂き 厚く感謝申し上げます。

まだ不安はありますが、背面の痛みや体調はかなり回復してきており、現在森琴石調査、再開しています。
貴重な情報がまだまだ増えています。
森琴石ホームページ調査情報で問題提起していた事柄(大阪画壇での出来事)を裏付ける資料など(森琴石日記)が現存しています。
面の平成21年7月 注2 森琴石→近藤翠石宛書簡中の人物

 

 尚、森琴石と中国絵画、森琴石と中国文人との交流 につきましては、研究者による論文等で順次ご報告出来る見込みです。(平成20年度中)


今後とも
森琴石調査に
ご教示及びご協力を賜りますよう
宜しくお願い申し上げます

 

 

 

 

 

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森琴石の「松溪読書図」が展示 (京都府八幡市立松花堂美術館)= 5月25日(土)~7月7日(日)

2019年5月18日 更新

 

 京都府八幡市立松花堂美術館
にて

「ご存知ですか? 大坂画壇 」展
・・・森琴石の「松溪読書図」が展示

 

 ●展覧会の概要は、八幡市立松花堂庭園・美術館 2019年初夏展
のホームページから転載させて頂きました。
http://www.yawata-bunka.jp/syokado/event/#ev494 )

 

ご存知ですか? 大坂画壇

江戸・京都と並んで、江戸時代の三大都市として栄えた大坂の町。
大坂の繁栄を支えた町人たちは、経済面だけでなく、文化面においても主な支持基盤となりました。
個性的な戯画で知られる耳鳥齋、上京して松村景文に学び、大坂に四条派の写生を広めた西山芳園、琳派絵師の中村芳中など、大坂の町に生まれ、また集った絵師たちを総称して「大坂画壇」と呼びます。大坂を舞台として活躍をした絵師たちの画風は狩野派から戯画まで幅広く、個性に満ちています。
この度の展覧会では、バラエティに富んだ大坂画壇の作品約40点を、個人コレクションよりご紹介いたします。

会期 : 2019年525日(土)~77日(日)

・開館時間 : 午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)

・休館日  : 月曜日

・入館料  : 一般400円・学生300円・18歳以下無料(大学生除く)
(20名様以上団体割引)

 

 ☆展覧会プレミアムトーク <お抹茶とお菓子付き!>
 5月26日(日)、6月9日(日) 各日午後2時より、約50分

◎講習室で抹茶とお菓子をいただきながら、展覧会の見どころを
聴いてみませんか(約20分)。
その後は展示室に移動して、作品を見ながらポイント解説を
おこないます(約約30分)。

◎講 師 : 影山 純夫 (当館学芸顧問)
◎参加費 : 1,000円(観覧料・抹茶・お菓子代込み)
◎定 員 : 各回10名
◎申込方法: 事前にお電話、FAXまたはご来館にて受付
*展示室での解説(各日午後2時30分頃より)は申込不要・要観覧料

展覧会の詳細については、「主要な催し物」ページをご覧ください。

 

森琴石
「松溪読書図」は左下です

八幡市松花堂美術館展覧会 案内

■松花堂庭園は 国指定の 史跡・名勝です。絵画鑑賞と共に是非ご覧頂けたらと思います。

但し
平成30年6月ア8日に発生した”大阪北部地震”の被害のため、松花堂庭園は外園のみ開催。詳しくは電話にてお問合せ下さい。

・お問い合わせ : 八幡市立松花堂庭園・美術館
Tel:075-981-0010/Fax:075-981-0009

 

 

余談
★「松花堂昭乗」の4つ切り塗箱をヒントに松花堂弁当を考案した「吉兆」の創業者の湯木貞一氏が昭和52年に発行した豪華な料理書「吉兆」は、入江泰吉氏が写真を撮り、凝りに凝った製販を筆者の父(野村廣太郎)が手掛けた。当時 大卒社員の初任給が約9万円の時代、8万円するこの料理本は大きな反響を呼び、6000部たちまち売切れとなった。元船場吉兆の住所は、森琴石が若いころ住んでいた高麗橋の住所であるなど、少なからずご縁があります。
●森琴石の下絵に「松花堂猩々翁」の模写画が残されています。

 

 

 

 

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森琴石、天保14年の誕生日から176年を迎えました…3月19日

何処で撮った?

2019年3月19日  更新

 

森琴石は
~~~天保14年(1843)3月19日生まれです

な、な、なんとー
今年 2019年は 生誕176年になります

 

 

 

若年時の行動は謎のまま

若い…まだ10代の頃?

森琴石 幕末ひとりで

 琴石の背後は‥‥自画?  大きい作品のように見える…


絵筆姿


共に移っている人物は誰?  何故刀?  何処で撮った?

 

.

30代……銅版画に著書類、地図にと精を出した
来舶清人と交流し多々影響を受ける

琴石30くらい

    70歳頃…孫に囲まれて…バラを300種類栽培していた庭
       
調査情報 平成19年10月参照  https://www.morikinseki.com/chousa/h1910.htm


琴石庭大勢

森琴石の墓(大阪・四天王寺

墓碑の正面
上-先祖代々墓  中ほどー森琴石の名  下方ー森家の家紋


森家墓 正面
                      ・

墓石の裏面…明治39年建立(森琴石が生前に建立)
  森家の墓…明治39年7月建立

 

琴石の養子先の森家は安治川に家業を営んでいた為、
森家の墓所は、西九条墓地にあったが水害で流されたらしい。

四天王寺にある現在の森家の墓は、明治39年7月森琴石が生前に建立したもの。
墓は丈夫な鉄柵で囲われていたが、戦時中に供出させられたそうです。

 

 

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『墨香画譜』所蔵図書館の追加(ハーバード大学・アメリカ議会図書館 他3館)

2019年1月18日 更新

 

前回
お正月の飾り物「仏手柑」:森琴石著『墨香画譜 4』より で、
森琴石著(画)『墨香画譜』ですが、世界での所蔵館をご紹介しましたが、
新たに5カ所判明しましたのでご紹介させて頂きます。

前回分にも今回分を追加記述させて頂きました。

 

『墨香画譜』所蔵図書館の追加
新たに判明した分は茶色で表示しています

 

アメリカ
スタンフォード大学図書館
ハーバード大学図書館
オハイオ州立大学図書館
アメリカ議会図書館(ワシントン)

 

イギリス
大英博物館

 

オーストラリア
国立図書館

 

オランダ
ライデン大学図書館

 

韓国
国立中央図書館(ソウル)

 

中国
国家図書館(北京)
香港科技大学図書館
香港バブティスト大学図書館


※ world cat詳細検索  kw:Kinseki Mori  ti:Bokko Gafu‘   での検索結果 による

 

 

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お正月の飾りもの「仏手柑」:森琴石著『墨香画譜 四』より

2019年1月5日 更新

 

 

新年おめでとうございます
年もよろしくお願い申し上げます

 ◆お正月の飾りもの「仏手柑」ご紹介

森琴石著『墨香画譜 四』に森琴石が描いた「仏手柑」が取り上げられています

◆『墨香画譜』は、森琴石の3大著書の1つ

◆『墨香画譜』は世界でもされて評価されている

情報元
『住ムフムラボ』 
http://www.sumufumulab.jp/
2017年12月21日
 コラムニスト               橋爪節也氏
タイトル
第14回 年末年始、祝祭的な色彩を求めて〜日本のガウディから
仏手柑(ぶっしゅかん)そしてネオンアートからゴッサム三題噺」

 

『墨香画譜 四』  第4図目

※お断り 版画の色調が薄くなっています

仏手柑(墨香画譜4)

仏手柑(ぶっしゅかん)香酸柑橘

仏手柑の特徴

先端が指先のように分かれている「仏手柑(ぶっしゅかん)」。「手仏手柑(てぶしゅかん)」とも呼ばれ、鮮やかな黄色い皮はゴツゴツとして、柑橘の仲間なのに果肉がほとんどないというユニークな果物です。

仏手柑は主に観賞用として栽培されることが多く、お正月飾りやお茶席の生け花などにも使われています。食べる場合は、皮をマーマレードに利用したり、砂糖漬けにするのが一般的です。

原産地はインド北東部で、「シトロン」の変種だと考えられています。仏様の手のように見えることからこの名前になったそうで、英名は「フィンガード・シトロン(fingered citron)」といいます。またシトロンは実が割れておらず丸いことから、別名「丸仏手柑」とも呼ばれます。

日本へは室町時代~江戸時代に伝わりました。当時いくつかの書物に登場していますが、江戸時代に書かれた「大和本草」(1709年)には「近年渡来したもの」「果物とは言い難い」「香りがよい」などの特徴が記されています。また「大和本草批正」(1780年)では、仏手柑の項目に「テブシュカン」との記述があり、マルブシュカンのことを「枸櫞(くえん:シトロン)」と記しています。

果物ナビ(https://www.kudamononavi.com/zukan/kousan/busshukan)より転載させて頂きました

 

『墨香画譜 1,2,3,4』

●明治13年5月20日/森琴石著/吉岡平助等出版

●森琴石の三大名著のひとつ のみならず 明治期の名著でもある

●各国の名だたる図書館などで所蔵

アメリカ
スタンフォード大学図書館
ハーバード大学図書館
オハイオ州立大学図書館
アメリカ議会図書館(ワシントン)

イギリス
大英博物館

オーストラリア
国立図書館

オランダ
ライデン大学図書館

韓国
国立中央図書館(ソウル)

中国
国家図書館(北京)
香港科技大学図書館
香港バブティスト大学図書館



●中国では『墨香画譜』の影印版(復刻版)が出版されています

日本人では森琴石のみ取り上げられている
森琴石の清国文人との関係…今後の更なる調査が期待されます

平成12年、中国山東省済南市の”山東美術出版社”より『中国古画譜集成・第22巻』ので復刻出版されています。
⇒尹痩石 等輯 /二〇〇〇年/ 濟南山東美術出版社 景印本/墨香畫譜不分卷・日本 森熊 繪1/明治十三年刊本 とあり
全国漢籍データべース協議会・日本所藏中文古籍數據庫(京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センターが管理、運営)

 

◆森琴石ホームページでは『墨香画譜』について多数取り上げています。
リンク&所蔵情報 著書『墨香画譜』など
 森琴石HP,トップ頁のgoogleカスタム検索機能にてご覧下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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呉 孟晋氏の論文…『野崎家における王冶梅の画業』に、森琴石が掲載

2018年9月2日 更新

 

呉 孟晋氏の論
『野﨑家における王冶梅の画業』に、森琴石が掲載

 

呉孟晋氏の論文
…野崎家(岡山県児島の塩業主)所蔵書画の調査に基づく
……野崎家=王冶梅の書画が纏まって所蔵
……野崎家に森琴石の書簡が存在

 

呉孟晋(くれ もとゆき)氏
独立行政法人国立文化財機構京都国立博物館, 学芸部列品管理室, 主任研究員
2018年より<来舶清人の研究>に取り組んでおられます

呉先生の業績及び過去の執筆類は
―京都国立博物館ホームページ、研究員紹介- をご覧ください
https://www.kyohaku.go.jp/jp/gaiyou/research/t-kure.html

 

論文の概要
タイトル  :野﨑家における王冶梅の画業.
執筆者   :呉 孟晋 (京都国立博物館 )
発行年月日 :2018年3月28日
目次
 はじめに
 一 . 王冶梅について
 二 . 野﨑家来訪の経過
 三 . 野﨑家に伝わる書画作品
 四 「四季山水図」(十二幅. )について.
 おわりに
森琴石掲載箇所
文章・写真・注釈=3、4、7、8、9頁

野上家及び、王冶梅との関係は、
呉孟晋氏の論文の ‐はじめに‐、と ‐一・王冶梅について‐ の一部を
転載させて頂きました。
興味深い内容です
是非お読みください

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

岡山大学大学院社会研究科『文化共生学研究』第17号 2018年 抜刷

野崎家における王冶梅の画業

呉 孟晋

はじめに
 江戸時代以降の近世日本に渡来した中国・清朝の文人は「来舶清人」といい、明朝末期から清朝初期の黄檗僧につづいて当時先端の文人文化を日本に持ち込み、日本の文人たちを大いに魅了した。とくに画事においては、享保(一七一六~一七三六)から文化・文政年間(一八〇四~一八三〇)あたりにかけて、「来舶四大家」に数えられる伊孚九、張秋谷、費漢源、江稼圃が来泊地の長崎にて当地の文人たちとかかわりをもち、池大雅や田能村竹田ら江戸の南画壇に大きな影響を与えたことはよく知られている。その掉尾を飾るのが、清朝末期の光緒年間(一八七五~一九〇八)、すなわち明治時代の日本に渡来してきた文人たちである。①
アーネスト・フェノロサや岡倉天心らによる西洋の視座からの日本画改革が模索された時代において、従来の南画は「つくね芋山水」と批判されることとなった。しかし京阪神を中心にして長崎にいたるまでの西日本地域では、東京を中心としたフェノロサたちの動きとは関係なく、詩・書・画の三芸壇すべてにおいて来舶清人の需要は依然として高いものがあった。彼らは各地の書画家や漢学者たちの手引きで雅会を開催し、詩書画の応酬をとおして生計を立てた。本稿でとりあげる王冶梅(一八三一~一八九一~?)もそうした需要に応えるべく、光緒三年(明治一〇年・一八七七)に初めて長崎の地に降り立った来舶清人のひとりである。

明治一六年(一八八三)の春、王冶梅は何度目かの来日にあたって、岡山県児島郡味野村(現倉敷市児島味野)にて製塩業をいとなむ野崎家に約一月半滞在して、三〇件弱の書画作品を製作した。②   茶事につうじて、煎茶道も嗜んでいた野崎家にとって、来舶清人は喫茶をとおしてた明清の文人文化を体現した存在として歓迎すべき賓客であり、王冶梅の来訪は、彼に前後して滞在した胡鉄梅(一八四八~一八九九)や陳曼寿(一八二五~一八八四)、衛鋳生(生卒年未詳)、王冶本(一八三五~一九〇八)らとともに大きな足跡を残すこととなった。

なかでも、長期滞在した王冶梅については作品の数が抜きん出て多く、彼の在日期の代表作ともいうべき四季折々の景観を十二幅の山水図に描き分けた「四季山水図」(一八八三・野崎家延慶歴史館蔵)を含んでいる。そのため、王冶梅は野崎家を訪ねた来舶清人のなかでも象徴的な存在といえよう。
本稿は、野崎家塩業歴史館が所蔵する王冶梅の書画作品を概観することで、野崎家と王冶梅のかかわりを明らかにするものである。作品に描かれた主題や題識はもちろん、野崎家の業務日誌に相当する『売用日記』や当時の新聞・雑誌に残る王冶梅の関連記事を紐解くことによって、野崎家における王冶梅の画業を整理してみたい。これまで来舶清人の活動の実態については、博物館や美術館などにおいてもまとまった収集がなく、散在する作品をとおして断片的にうかがうことしかできなかった。野崎家における王冶梅作品は、そうした空白域を埋める貴重な手がかりとなるものであり、明治期の日本においても衰えることになかった詩書画にたいする尊崇と憧憬の様相を明らかにするものである。

一・王冶梅について
 王冶梅は名が寅で、江蘇江寧(現南京)の人。③  詩書画に秀でた職業文人である。咸豊三年(一八五三)以降は太平天国による動乱のため、六合、棲霞山、興化など江南地方の各地を転々とし、画を鬻ぎながら糊口を凌いだ。上海に客寓してからは、とくに現地の日本人の間で画名が高まった。光緒三年(明治十年・一八七七)、日本人有志に請われて長崎を訪れたことを端緒にして、以後、日中間を頻繁に往復する。とくに京阪神を拠点とし日本各地を旅して雅会を開催したり、有力な顧客のもとに滞在したりして潤筆料を得た。野崎家での画作もそうしたなかでのことである。出版事業にも深く関わり、『歴代名公真蹟縮本』(一八七九)や『冶梅石譜』(一八八一)、『冶梅蘭竹譜』(一八八二)などの画譜を編み、明治初期の日本の南画界に大きな影響を及ぼした。
野崎家における王冶梅の画業をみる前に、彼が日本滞在時に描いた典型的な作品のいくつかにふれておきたい。
王冶梅は明治一〇年(一八七七)に初来日した後、翌十一年四月に病を得ていったん帰国するが、七月に再来日し、京都の老舗の調香・文具店である鳩居堂に寄寓する。明治十二年(一八七九)五月に再び帰国。同年夏、三度目の来日したのちはしばらく日本にとどまり、明治一八年(一八八五)に帰国した。④ おもに京阪神にいた王冶梅は、儒学者の藤沢南岳(一八四二~一九二〇)や南画家の森琴石(一八四三~一九二一)をはじめとする京阪神の文人と交流したりしていた。数多くの画譜出版は森琴石らとの協業による成果であり、明治期の来舶清人のなかでも、最も深く日本の文人社会に溶け込んだひとりであったといえる。⑤
以下省略します

注釈
① 明治期の来舶清人の概略については、陳捷「一八七〇~八〇年代における中国書画家の日本遊歴について」『中国:社会と文化』二四号、二〇〇九年七月を参照のこと。

② 野崎家にゆかりのある美術工芸品については、岡山県立美術館学芸課編『塩田王野崎家:ゆかりの人と作品』公益財団法人竜王会館、二〇一二年と同館編『塩田王野崎家:個性集う地方サロン』二〇一三年にて紹介されている。
③ 王冶梅の伝記については、次の先駆的な研究に詳しい。鶴田武良「王寅について:来舶画人研究」『美術研究』三一九号、一九八二年三月。
④ 「画人・書人略伝」『橋本コレクション 中国の絵画:来舶画人』展図録、渋谷区立松濤美術館、一九八六年、一〇八頁。
西上実「王冶梅と森琴石:近代文人画家と銅板出版事業の関わりについて」『中国近代絵画と日本』展図録、京都国立博物館、二〇一二年

 

※『野﨑家における王冶梅の画業』の内容は、全文インターネットでご覧頂きます
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/5/55794/20180328142543578677/scs_017_(1)_(21).pdf

 

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森琴石と王冶梅の関係
●日中交流、日中書画研究者の研究対象となる
・・陳捷氏・西上実氏・呉孟晋氏・・
●王冶梅は森琴石と親密交際していた
 ・・・書簡&筆談記録が残る
・・・・・…<多くの清人が地方の名家を訪問したのは、皆自分が
紹介した…>と、記している
 ・・・多数の森琴石著<銅版袖珍本>への揮毫・、銅版書誌を共同出版
●野崎家への紹介は森琴石の可能性あり

今後の予定
●陳捷氏(現東京大学大学院人文社会系研究科 教授)は、
<明治時代の銅版印刷について>調査中で、今後論文などで発表予定。
呉孟晋氏
<来舶清人の研究>を深められるそうです。

日中文化交流の第一人者により、森琴石と来舶清人は研究対象となり続けています。
今後の成果が待ち遠しいものです

§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§

 

森琴石と王冶梅

森琴石HP 掲載カ所

清国人の書簡
https://www.morikinseki.com/shiryou/syokan.htm#sinkoku)に略紹介

2016年4月12日
森琴石属 「胡鉄梅・王冶梅 牡丹蛺蝶図」:2月8日 日経朝刊に掲載
https://blog.morikinseki.com/?p=2440

2015年5月8日
森琴石らの交流を記述した論文・・・中国で出版 でご紹介
( https://blog.morikinseki.com/?p=497 )

2013年4月12日
陳 捷氏の論文(森琴石と胡鉄梅などの交流を記述)が英語版で出版
https://blog.morikinseki.com/?p=497

2012年1月13日
「中国近代絵画と日本」展、解説付総目録
https://blog.morikinseki.com/?p=240

 

その他、森琴石HPトップ頁
下方 google 検索機能 「王冶梅」でご検索下さい。多数出てきます。

 

 

 

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西日本豪雨のお見舞いを申し上げます

2018年7月16日  更新

 

この度の西日本豪雨により
被災された
皆様ならびにそのご家族の皆様に
心よ
りお見舞い申し上げます。

皆様の安全と被災地の一日も早い復旧
心よりお祈り申し上げます。

 

被災された皆様が
一日も早く平穏な生活に戻れますよう
お祈り申し上げます。

 

 

 

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森琴石の地球儀出現!(明治8年製)、同年実父は紙風船折り畳み地球儀を制作か?

 

2018年6月25日 更新

 

明治8年製、
森琴石の地球儀現れる!!

【小型地球儀(木製)】
明治7年11月官許
同 8年3月刻成
森琴石校正蔵版
岡田茂兵衛発兌

同 8年、森琴石実父「梶木源次郎」・・・
・・・<紙風船折りたたみ地球儀>を作成?

 

Yオークションに非常に珍しいものが出てきました

森琴石地球儀

森琴作成作成の小型地球儀
【サイズ】高さ約19cm  幅約10.5cm ・
・・・時代箱入り

 

★オークションはあと1日で終了のようです。
終了後間もなく情報は削除されると思いますが、地球儀の画像は下のアドレスでご覧ください。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e284151040

 

★森琴石の実父梶木源次郎も同年紙風船折りたたみ地球儀を作成しています

●土浦市の山岡光信先生のサイト「地図測量の300人」の中、78番目にその情報が記述されています。

紙風船折りたたみ地球儀は、地図属領の300人の中
239.沼尻墨僊(ぬまじり ぼくせん 17751856
220.長島尉信(ながしま やすのぶ 17811867)という人が
傘式地球儀を作っており、それに近いものらしいです。
(山岡先生からご教示頂きました)

★以前から森琴石実父と思われる<梶木源次郎の地球儀>には目をつけていましたので、「とうとう森琴石の地球儀が現れたか!」というのが実感です。
●もしかすると、森琴石が作成した最も早い時期の銅版地図かもしれません。(明治8年には『永田改正暗射地球訳図』作成)

●小型地球儀は、茨城県土浦市の美術商からの出品です。

1:沼尻墨僊が、土浦藩の方であること、https://www.city.tsuchiura.lg.jp/data/doc/1236042111_doc_147.pdf

 ※沼尻墨僊(ぬまじりぼくせん)は茨城県土浦の人で、地理学を研究し、「地理書」を書き、世界地図の模写と傘式の地球儀を作成したことで知られています。
26歳の年には、世界各地について書いた地理学の研究書、「地球万国図説」を書きました。彼が作った傘式地球儀は、12本の骨と長さが40センチメートルほどの棒を持つもので、傘を開くように片方を押し上げると地図が開く仕掛けになっています。現在残っているのは、安政 2年(1855)に作られたもので、土浦市博物館に展示されています
出典=「傘式地球儀」(土浦市博物館パンフレットより)

2:地図測量研究第一人者の山岡光信先生が、土浦市の方であるなど、不思議なご縁を感じています

 

★今後更なる
森琴石の銅版画についての解明
・・・期待致します

今回の茨城県土浦から地球儀が出たことは、
明治6年、森琴石は東京に遊学し、高橋由一から洋画法を学んだ。
関東での交流者から森琴石の解明が深まる可能性があります

 

 

 

 

 

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泉屋博古館「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」に、森琴石の作品「山水図」が展示

 

 

 

 

5月19日 更新

 

泉屋博古館
「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」に、森琴石の作品「山水図」が展示
・・ 明治30年(1897)   絹本着色・軸 171.2×87.5㎝
西洋画法も取り込んだ人工楽園のような風景画・・と紹介

 

企画展の概要

「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ
―住友コレクションの近代日本画」

開催期間
2018年5月26日(土)~7月8日(日)

時間
午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

会場
住友コレクション 泉屋博古館
・・・・・京都市左京区鹿ヶ谷下宮ノ前町24
料金
一般800円、高・大学生600円、中学生350円(小学生以下無料)    ※20名以上は団体割引20%、障害者手帳ご提示の方は無料
※企画展・青銅器館両方ご覧いただけます

休館日
月曜日

お問い合わせ
泉屋博古館  電話:075-771-6411
ホームページ http://www.sen-oku.or.jp/

主催、後援など
主催:公益財団法人 泉屋博古館、京都新聞後援:京都市、京都市教育委員会、京都市内博物館施設連絡協議会、公益社団法人京都市観光協会

主な展示品
菊池容斎・森琴石・富岡鉄斎・竹内栖鳳・山田秋坪・上島鳳山・東山魁夷・山口逢春・小林古途など

 

関連イベント(※入館料が必要です)
ギャラリートーク
5/26(土)14:00~ ナビゲーター:野地耕一郎(泉屋博古館分館長)
ゲストトーク
6/9(土)14:30~ ゲスト:大野俊明(日本画家・京都市立芸術大学特任教授)
6/30(土)14:30~ ゲスト:竹内浩一(日本画家)

 

 

連載記事
泉屋博古館ホームページの内容を転載させて頂きました。
・・野地耕一郎館長による画家の筆ぐせ紹介は随時追加させて頂きます

5月26日(土)から7月8日(日)まで、泉屋博古館にて開催される「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」に関わる情報を紹介します。

本展は、住友家に伝わった近代日本画の名品を、画家の筆ぐせからご鑑賞いただく展覧会です。明治後期から昭和にかけて、大阪や京都、東京にあった住友家では、それぞれの地域の画壇に所属する日本画家たちの作品がかけられ、鑑賞されていました。東山魁夷、菊池容斎、富岡鉄斎、竹内栖鳳など近代ならではの表現を求めた日本画家たちの名品をご紹介します。



「この筆ぐせがすごい!近代日本画家たちの競演!」

泉屋博古館で開催される「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」。住友邸を飾った日本画家たちのくせのある名画が勢揃いの見逃せない展覧会です。近代日本画の名品を画家の筆ぐせからご鑑賞いただきます。本特集では、住友コレクションの近代日本画から6名の画家を選出し、泉屋博古館分館長の野地耕一郎先生に彼らの「筆ぐせ」の魅力をご紹介いただきます!!泉屋博古館で開催される「絵描きの筆ぐせ、腕くらべ ―住友コレクションの近代日本画」。住友邸を飾った日本画家たちのくせのある名画が勢揃いの見逃せない展覧会です。近代日本画の名品を画家の筆ぐせからご鑑賞いただきます。本特集では、住友コレクションの近代日本画から6名の画家を選出し、泉屋博古館分館長の野地耕一郎先生に彼らの「筆ぐせ」の魅力をご紹介いただきます!!

特集vol.1
<菊池容斎編>
◆手塚治虫のご先祖様とも交友。和洋をハイブリッド化した近代画家の先駆け。

菊池容斎 桜図 弘化4年(1847) 絹本着色・軸 86.0×175.2㎝

菊池容斎(1788-1878)は江戸の幕臣だったが、18歳頃から狩野派と沈南蘋の長崎系写実画を学んだ。脱サラ(脱幕)して京阪に滞在し、円山四条派や土佐派、浮世絵などをさらに習得。西洋の絵手本や石版画も収集して西洋画法も研究した。偉大な漫画家手塚治虫のご先祖様手塚良仙という蘭方医と交友して、いまでいう美術解剖学のような指導も受けた気味がある。和洋の多様な絵画の筆法をハイブリッド化して、容斎は独自の覇気のある作風を築いた。この図の桜の花びらの装飾的なあしらいや遠山に効かせた群青や緑青の施色はやまと絵風であり、雄渾な樹幹の表現は狩野派を思わせながら四条派あたりに学んだ点苔表現を変容させたハッチングのような筆致がみえる。梢まで何度もねじ曲がった枝の広がりを太く長い走るような墨線で冷静に合理的に描くのが容斎の筆ぐせ。樹木全体がまるで複雑にのびた脳内の血管のように見えてくる。

特集vol.2
<森琴石編
◆西洋画法も取り込んだ人工楽園のような風景画。
 森琴石 山水図 
明治30年(1897)   絹本着色・軸 171.2×87.5㎝

森琴石(1843-1921)は、
摂津国有馬郡湯元(現・兵庫県神戸市)の商家の生まれ。14歳前後から地元の絵師に南画を学んだ。
明治維新後には上京して写実的な「鮭」の絵で知られた高橋由一に洋画を習い、さらに諸国を歴遊して清国画人とも交流。
細密な銅版画でも知られるマルチな文人画家だった。
画面の中央あたり、重畳とした山水画のなか、うねりながら山奥にのびる山道を二人の文人が歩みゆく。
画中の賛には、胸中山水の理想郷に精神を自由に遊ばせることを喜びとする文人の気持ちが詠われている。
緑青や群青を多用した山容や樹木、岩石の皴法など丹念な描き込みは来舶した清国画人からの感化を感じさせるが、合理的な空間の奥行きには西洋画法が生かされている。
琴石の線質は、銅版画も試みた硬質で明快なところに「くせ」がある。それによって練り上げられた山水画は、人工楽園の趣がただよう近代的な「風景画」への指向も透けて見えるようだ。
(注:行間文字の色は森が少し変更させて頂きました)

 

特集vol.3<富岡鉄斎編>
◆和漢の画法を徹底的にカスタマイズした鉄斎の我法

富岡鉄斎 古柯頑石図 明治45年(1912)  紙本着色・軸 121.5×40.3㎝

近代の文人画家で、もっとも個性的なのが富岡鉄斎(1836-1924)だ。鉄斎は、京都三条衣棚の生まれ。諸学を修め高潔な人格を尊び、画もまた人間性を高める一つの遊戯であるという姿勢を貫いて、和漢の様々な書画に触れた。多様な画法を学びながら、そこから逸脱した独自な筆法を編み出すが、それは結果的にセザンヌやフォービスム(野獣派)の粗放な描法とも重ねられて、のちに世界的に評価された。古柯は古びた枝、頑石はてごわい岩の意。枯木竹石のモチーフは、孤高な様が文人に好まれ、さかんに描かれた。鉄斎は、勢いにまかせた筆遣いで描き切ったように見せながら、岩肌にはかすかに群青を施し、枯淡ななかに気韻を点じている。その手口がただ者ではない。賛文には明の文人李日華の画法に倣ったとしているが、むしろ我儘な筆ぐせによる徹底した自由さが、結果的にモダニティーに通じてしまっている。我儘とは「われのまま」なのだ、と77歳喜寿の鉄斎の筆が主張している。

 

特集vol.4<竹内栖鳳編>
◆四条派の筆法をターナー風にアレンジ。

竹内栖鳳 禁城松翠 昭和3年(1928)  絹本着色・軸 62.2×72.2㎝

竹内栖鳳(1864-1942)は、京都御池通油小路の料亭の長男として生まれたが家業を継がず、好きな絵の道に進んだ。四条派の筆技を基礎に、幅広い古画研究によって諸流派の様式を折衷して「鵺(ぬえ)派」と悪評された。明治33年(1900)パリ万博の際に渡欧して、彼の地でコローやターナーに共鳴。帰国後はそれらも融合した風景画に新風を吹き込んで京都画壇の花形となった日本画家だ。禁城とは、戦前まで皇居のことをさした。近景のお濠の輝く水面から遠景の櫓までを捉えた奥深い空間に溶けつつも浮き上がる樹木のシルエットは、コローやターナーの絵から学んだ方法だ。その松の枝振りは、濃墨で形を整えた上に群青や緑青の淡彩をわずかに差して滲ませた透明水彩のようにも見える。栖鳳は、俳句も深くたしなんで軽妙洒脱な筆技を根本とする四条派の系譜にありながら、そのローカリティを武器にグローバルな絵画に通暁しえた希有な画家なのだ。鵺だった青年画家は、雅号の通り鳳に変身したのである。

 

特集vol.5<小林古径編>
◆鉄線描+似絵+琳派で出来たフランス人形。

小林古径 人形 昭和14年(1939)  紙本墨画淡彩・額 66.0×75.0㎝

小林古径(1883-1957)は現在の新潟県上越市の生まれ。青年時代は安田靫彦らと共にやまと絵による歴史人物画の研鑽を積んだ。大正期に再興された日本美術院の同人となり、大正11年より一年間欧州に留学。その時、大英博物館での中国古典絵画の模写によって絹糸のような美しい「鉄線描」を修得した。そして、余白を生かした無駄のない構成による古径の謹厳な作風は、のちに「新古典主義」と称され、昭和戦前期の日本画に大きな影響を与えている。このフランス人形は、渡欧の記念に愛娘への土産として手に入れた古様ながら典雅なもの。顔や手は肥痩のない鉄線描で形を整え、黒い服は水墨のたらし込みと部分的に堀塗りなど琳派的技法による濃淡を効かせて立体感を表わしている。濃墨による柄の浮き出し法は鎌倉期の似絵などの衣の表現にも通じている。謹厳な作風ゆえに逆に筆ぐせを感じさせないのが、古典絵画に精通した古径ならではの技量ともいえそうだ。

特集vol.6<東山魁夷編>
◆円山派系現代画家、筆ぐせを見せないのが「癖」。

東山魁夷 スオミ 昭和38年(1963)  紙本着色・額 88.0×129.0㎝

東山魁夷(1908-1999)は横浜に生まれ、神戸で育った。東京美術学校で円山派系の日本画家結城素明に学び、昭和10年(1935)まで約2年間ドイツに留学。西洋絵画研究の一方で日本美術の特質を深く自覚した。そうした特異な体験から戦後日本画を代表する《残照》や《道》などの名作が生まれた。スオミとは、フィンランド語で「湖沼」という意味。この絵は、昭和37年(1962)の北欧をめぐる白夜の旅の成果である。地平線の彼方のかすかな光が幾重にも湖面を照らし出し、白夜の張りつめた空気が風景の荘厳を伝える。その深遠な表現は、元をただせば円山派の没骨法の変容ともいえる絵筆の洋画風タッチによる重厚感と、自然の神々しい光を取り込むことで成立している。戦後の日本画に求められたのは、油彩画の絵肌にも負けない重厚さだったから、魁夷の表現はそれに適うものだった。線描主体の「描く」絵から「塗る」絵画への転換は、おのずと筆ぐせを抑制することになったのである。

 

 

 

 

 

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鑑定・箱書(文徴明・立原杏所)、箱書(中西耕石・福原五岳)、菅井春山、李流芳など(森琴石日記:明治45年5月13日‐16日)

2017年12月29日 更新

 

鑑定(文徴明・立原杏所)、箱書き(忍頂寺静村・中西耕石・福原五岳)
借りている作品=李流芳
菅井春山・久保井翠堂・平野晃岳・佐竹藍川
当麻寺練供養、昌隆社など
(森琴石日記:明治45年5月13日‐16日)

 

日記に出る事柄、人物
鑑定=文徴明、立原杏所
●箱書き=忍頂寺静村、福原五岳、中西耕石、森琴石・小田海僲
●揮毫依頼=小林直次郎、阿部清太郎、坂上力松、岡村雄徳
●寄贈画依頼=博愛職工学会(井上作次郎)、熊谷直一
●お借りしていた作品=李流芳の作品(和田十宜氏より)
●行事=当麻練供養、昌隆社献茶式(天満天神)
●画家=菅井青山、平井直水、久保井翠桐、平野晃岳、佐竹藍川
●美術関係者=芝田浅次郎
●出版関係者=中島文教社(脇恕嘉)
●展覧会=研精会展覧会、生産博覧会(天王寺公園)、南宋画会
●門人=井出寿石・近藤翠石・鎌田梅石・吉村清琴・佐野翠岳
●身内=ヤス、カツ、壽太、山田かし子
●到来物

 

明治45年5月12日~13日(一部) 明治45年5月12日

明治45年5月13日

明治45年5月13日

翻刻者=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館・現早稲田大学文学術院教授、美術史大学)

 

五月十三日 晴

○朝、井手寿石来ル、菓子到来ス、

●昨日、堀尾ヨリ依頼之自画幅箱書出来、受取ニ来ルニ付、相渡ス、謝儀領収

○午後、久保井翠桐、并平野晃岳罷越シ、研精会展覧会之義ニ付依頼罷越ス、

○名古屋菅井春山罷越シ、同地ニ而絵画展覧会開催ニ付、出品誘導致シ呉候

様依頼罷越ス

近藤翠石南宗画会展覧之義ニ付、罷越ス、

中森来ル

○同夜、鎌田梅石、新町姉知己先ヨリ尺八*梅林山水揮毫願呉候被頼候付、承諾致呉候様申越候処、謝儀之件ニ付相答、先方ヘ照会、猶依頼ニ罷越候様申之、引取、

○早朝、平井直水氏ヲ訪フ、

○朝大和御所奈良罷越、明日兼テ咄有シタイ麻(当麻)ネリ供養ニ付、見物誘引罷越シ、ヤス小児召連罷越ス約ヲ致ス

●久宝寺町、前田ヨリ依頼之耕石五岳静村*之幅箱書受取ニ来ル、耕石五岳出来有之相渡ス、静村之分ハ調子有之不出来右謝儀領収

○午後、佐竹藍川来ル、近々東京ヘ罷越し、同地居住之準備可致旨申之

 ※井出寿石=森琴石門下
※久保井翠桐=大阪の画家
※平野晃岳=大阪の画家・四条派
※菅井春山=明治10年名古屋に生まれる。浮世派。
※中森=森琴石画の斡旋者・日誌には頻繁に名が出る
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下・森琴石と親交
※尺八=幅一尺八寸の画
※中西・五岳=中西耕石、福原五岳
※静村=忍頂寺静村
※佐竹藍川=香川出身の画家

 

五月十四日 曇折〃晴

○早朝大和御所奈良家内、今日大和タイマ(当麻)ネリ供養見物迎トシテ罷越ス

ヤス、カツ、寿太、下婢召連、早朝ヨリ奈良迎ト同道、大和ネリ供養見物ニ罷越シ、夕過帰宅、

○午前、坂上力松罷越ス、吉村清琴ヘ属之画帖潤筆持参ニ付、預リ置、早速、右吉村通知ス、

○午前、天下茶屋山田(可祝子)氏*来訪有之、昼飯饗応ス、

○午後、博愛職工学会井上作次郎他一人罷越し、寄送画請求有之、紀念品到来、

岡村雄徳氏来訪、小切揮毫依頼有之、物品到来ス、

◎午後、井手寿石外一人来訪有之、立原杏所・桃源図幅、文徴明画幅持参、鑑定箱書依頼有之、

坂上力松并同人弟罷越し、自画五十四年前画山水幅四十一年前画幅、右ニ持参、鑑定ヲ乞、真物、箱書依頼有之、謝儀領収ス、

◎西京芝田浅次郎来ル、小切画一枚揮毫属托有之、

 

※当麻練供養(とうま ねりくよう)
當麻寺春の大祭で、中将姫の現身往生を再現する行事。観音菩薩、勢至菩薩ら二十五菩薩が、現世に里帰りした中将姫を迎えて、極楽へ導くという儀式1000年を越える伝統を持つこの行事は我が国の練供養の発祥となる(コトバンクより)
山田可祝子=ヤス身内の娘
※岡村雄徳=著書に 『陸軍兵事参考』(明治30)あり

※立原杏所江戸後期の画家・水戸藩士。初め僧月僊に学び、のち谷文晁の門下となる。渡辺崋山椿椿山らと交友があった。元・明画を研究し、山水・花鳥を得意とした。天保11年(1840)歿、55才(コトバンクによる)
※芝田浅次郎=京都の美術商、芝田堂。

 

 

五月十五日 晴

昌隆社天満天神献茶式挙行、有之、古画陳列有之、案内ヲ請ニ付、早朝ヨリ罷越ス、其途、松本一鳳氏ヲ訪、十一時前帰宅、

●昨日依頼有し井手取次、村上属、文徴明 立原杏所之幅、箱書出来ニ付、井手ヲ受取ニ

来ルニ付相渡、午後村上鉄太郎右謝儀持参、礼ニ来ルニ付領収ス、菓子到来

中島文教社脇恕嘉大雅蕪村十便十冝*之画帖発刊、持参ニ付、一部買求、代金拂渡ス、

○午後、岐阜施薬院伊藤定蔵罷越シ、依頼寄送之画、揮毫督促有之

○過日写真撮影致候、右取ニ遣シ、受取帰ル、

●伏見町阿部ヨリ依頼之海僲*老松孔雀之幅箱書出来、受取ニ来ルニ付、相渡ス

※大雅 蕪村=池大雅、与謝野蕪村
※小田海僲=画家
※十便十冝帖=(現在 国宝)の複製

 

五月十六日 曇

○午前、京都本町十二丁目、小林直次郎ト申人罷越シ、紙本持参一枚持参、揮毫ヲ乞ニ付承諾致遣ス

●伏見町表具師阿部清太郎ヨリ依頼之海僲*老松孔雀幅箱書出来、受取ニ来ルニ付相渡ス …注内容が前日と重複

○午後、伊良湖来ル、明日ヨリ画会開催、依頼之寄送画受取ニ来候ヘ共、未成、明日迄ニ揮毫可致旨答

天王寺公園生産博覧会ヘ出品之画、引取持越呉候付、受取

○夕過、近藤翠石来ル、過般譲ル印代金持参ニ付受取ル

○同夜、佐野翠岳来ル、画稿構成致シ、遣ス、

○午後、ヤス和田十冝病気見舞ニ罷越シ、品物贈ル、過日借リ来ル李流芳枯木図幅、返却

※伊良湖=画家 伊良湖晴洲
※李流芳=1575‐1629中国,明代の画家

 

 

 お詫び申し上げます
二年前からの背面痛は、治療の効果により かなり改善してきておりました。
10月末に体力をつけるために入会した健康体操教室で12月初めに肋骨筋挫傷などを負ってしましました。
今年6月には、長兄が亡くなった事もあり、皆様方には近況のご報告や季節のご挨拶も出来ずにおります。
お詫びを申し上げますと共に、今後とも宜しくご指導を賜りますようお願い申し上げます。

 

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