姫路市立美術館

2012年9月30日 更新

 神戸市立博物館(2) の続きです。
平成10年9月26日(土)から開催された「有馬の名宝展」の会期中、展覧会を見に来られた姫路市立美術館の学芸員の方が、近年開催予定の展覧会に<森琴石の写真を使いたい>という情報をお聞きしました。

 

姫路市立美術館より“森琴石肖像写真”展示の申し込み
■平成11年1月17日、姫路市立美術館の写真展企画担当の高瀬晴之先生より
  「秋に開催予定の日本の写真18501945 幕末の志士から昭和前期の情景まで に、
  森琴石のガラス湿版写真を展示したい。神戸市立博物館の展覧会で写真を見たが、
  日本の写真史の中でも最初の頃のものと見られ、成澤勝嗣先生より紹介頂いた。
  当館予定の写真展に是非展示させて頂きたい」
 という趣旨の丁寧なお手紙を頂戴しました。
■我が家への連絡に先がけて、豊中の実家に連絡されたそうですが、高齢の母が「歳も取っているので息子に任せたい」と、我が家へ連絡されて来られたのです。

 実家より写真資料が届く
■その後、豊中市(曽根)の実家から、琴石の湿版写真の他、森琴石の賞状や記念賞(バッジ類)南画の小品等が届けられました。
■後になり分かった事ですが、賞状やバッジには美術界でも珍しいとされるものがあったようです。

 

 先生方が我が家に
■ゴールデンウィーク中の5月4日、姫路市立美術館より写真展の企画担当者の高瀬晴之先生と、友人の亀田正司先生が我が家に来られました。
両先生とはお電話ではお話させて頂いていましたが、まだ面識はありませんでした。
■森琴石を正式に調べ始めて半年余り経った頃で、それまでに取得した資料のコピー、森琴石の小伝や、簡単な年表、家族の系譜などを見ていただきました。
■亀田、高瀬両先生は、勿論森琴石の家族についてはご存知では有りませんでしたので、森家の身内の事等、私共の話に大変興味を持って耳を傾けられていたようです。
会話もはずみ、あっという間に
時間が経ってしまいました。

 協力を仰ぐ
先生方には森琴石のガラス湿版写真の解明、森琴石の調査、記念誌(当時は森琴石生誕160年記念誌と称し、2003年出版を希望していた)へのご協力等をお願い致しました。

 

展覧会開催
  「日本の写真1850~1945 -幕末の志士から昭和前期の情景まで-」
       平成11年10月2日(土)~11月7日(日)

■事前に案内状を頂戴していましたので、オープニングセレモニーに出席。
■展覧会は

1:写真の黎明期 …海外で撮影された日本人・来日して日本を撮影した外国人・蘭学と写真
1:営業写真の時代…肖像としての写真・風景・建築物・初期のスタジオ機材
1:絵画と写真  …下絵としての写真・着色写真の系譜
1:芸術写真の時代…初期芸術写真・印画法による絵画への接近・絵画的風景
1:写真とモダニズム…カメラが見つけた視覚・舞台写真・昭和初期の情景
1:郷土ゆかりの写真…郷土ゆかりの人物と風景
の、六部に構成され、250点以上の写真はいずれも見応えがあり興味深く観覧させて頂きました。

■森琴石の肖像写真は<営業写真の時代>として、ガラスケースの中に展示されていました。
幕末~明治初期の写真にはかなり面白い写真があったと記憶しています。
■翌朝の朝日新聞(美術館と共同企画)地方版には、夫隆太の姿が撮られていました。

 


 姫路城に隣接、赤レンガ造りの瀟洒な美術館
姫路市立美術館は、旧陸軍の倉庫であった赤レンガの建物を活用したもので、平成15年に国の登録有形文化財に指定された。
■企画展示室のほか、近代フランス絵画を展示する常設展示室、館蔵品を無料で公開するコレクションギャラリー、美術図書や雑誌を無料で閲覧できるアートライブラリーがある。
■収蔵品は国内外の近現代の作品を中心としており、中でもベルギー作家のコレクションが有名。
広大な芝生の前庭には13点もの彫刻が点在し、憩いの空間として市民にも親しまれているそうです。
■1983年、姫路市の芸術文化振興を目的として開館。
■姫路市がベルギーのシャルルロワ市と姉妹都市関係にあることから、ベルギー美術コレクションが充実しています。   
   以上=おでかけネットより引用させて頂きました。
★姫路市立美術館は、広い館内の各種企画を少ない学芸員の方々で担っておられるそうで、日本で最も忙な美術館という事らしくそのご苦労が覗えます。

 

 高瀬晴之先生
  -ベルギー美術の研究者-
■姫路市がベルギーのシャルルロワ市と姉妹都市関係にあることから、姫路市立美術館はベルギー美術コレクションが充実しているそうです。
高瀬先生は、ベルギー美術の研究者として研鑽尽力され、講演など活発されておられます。
神戸市内の女子大で講師を務められているともお聞きしました。
■『森琴石作品集』では「森琴石と西洋画」と題し独自の見解から論文を書いて頂きました。
当初、上記記述したように2003年(平成15年)晩秋頃に出版したいと考えていましたので、我が家の意をお汲み下さり、高瀬先生は妻鹿友弘先生と共に、当初予定していた期日迄にきっちりと原稿を頂いていたのです。
平成10年12月、予定より7年も大幅に遅れて『森琴石作品集』が完成しました。


 多数の貴重な資料を頂く
 銅版で商社株券を出品した事を初めて知った!!
 森琴石の清廉で無欲な性格を知る
 近藤翠石の記事に、舩田舩岳の弟子も載っていた
■「写真展」開催前より、森琴石に関する貴重な資料を多数送って頂きました。
貴重な資料も多く、森琴石HPにも幾つか紹介させて頂いています。
■美術界の資料は、復刻版での大型本が発行されていますが、高価で且つ大きすぎて我が家では手に負えません。最寄りの図書館には蔵書が無いので、資料を頂くのは大変有難かったです。
中でも
  ㊻商社の株券を銅版で作り出品していた事、
  ㊻絵画叢誌の記事で、森琴石の清廉無欲な性格を知った事は、 
   
かなり衝撃を受け感動を受けました。
  ㊻室伏哲郎著『版画事典』では、森琴石を銅版画家とし、
  松田緑山に師事した と断言しているのに興味を覚えます。

頂いた資料
平成11年4月
㊻室伏哲郎著『版画事典』より 森琴石の分
  
(森琴石を銅版画家とし、松田緑山に師事したと記述)
 ■森琴石の銅版画師<響泉堂>としての研究は、森琴石調査開始当時は、まだ研究され始めたばか
 りでしたので、この資料のHPでの紹介は差し控えていました。
 ■『森琴石作品集』での熊田司先生の論文で、森琴石の銅版画師としての部分が大方のところ解明   
 出来たとして、今回森琴石HP、文献紹介:銅版画編で紹介させて頂きました。

平成12年以降
㊻絵画叢誌の記事
  
(18巻=明治21年9月、237号=40年1月、314号=大正28        
㊻東洋絵画叢誌の記事及び絵画写真(11集=明治18年8月)
㊻日本美術の絵画写真(53号=明治36年6月)          
㊻美術新報の絵画写真(6巻21号=明治41年2月)
㊻内国勧業博覧会出品目録・・・・第2回、第4回 出品作品、受賞作品
㊻パリ万博出品作品
㊻森琴石伝記・・・油井一人編『20世紀物故日本画家事典』
㊻近藤翠石の記事・・・金子一夫編『近代日本美術の教育の研究…明治時代』
㊻その他・・・
  森琴石の養子先の森家が「兵庫県出石の仙石家の家来で、森村という名前の村に住んでいたと聞 
  いた覚えがある」と、井上 保叔父さん(父寿太の異母弟=森琴石孫)から教えて頂いた事等をお伝
  えしたところ、後日FAXで「明治22年まで 出石の近くに森村という村があったそうです」という連絡
  を頂きました。早速調べて下さったようです。

   (井上 保氏の伝聞は、後日「What’s New:森琴石の身内)で記述致します。

 思わぬ副産物
 舩田舩岳の弟子「中島重丸」の名が
■『近代日本美術の教育の研究…明治時代』の記事は、
  近藤翠石が現在の大阪府率三国ヶ丘鴻誥の図画教師を務めていたという内容ですが、
  近藤翠石が森琴石に学んだ後、教師資格を取り大阪の3つの学校で図画教師をした事は
  橋爪節也先生から頂戴した『近藤翠石伝』で既に知っていましたので、この資料については深く追 
  求しませんでした。
■What’s New:「お世話になった方々」に記述する為、過去の資料を再度見直したところ、
近藤翠石に続きに舩田舩岳の弟子「中島重丸」の名が出ているではありませんか!
■記事のコピーを頂いた時は、森琴石の門下に舩田舩岳がいた事すら知らなかったのです。
又知っていても、舩田舩岳の弟子の名前までは記憶しておらず、資料を見ても恐らく気が付かなかったでしょう。
中島重丸(号 仙石)については 後日森琴石HP:門人紹介で記述の予定です。

 
亀田正司先生
 
元神戸新聞記者-青木重雄氏の住所
 漫画活動
で青少年育成に尽力
■亀田先生は、上記にあるように平成11年5月4日森家に来て頂きました。
展覧会の初日に再びお会いしましたので、持参した森琴石の資料などをお渡し、再度調査のご協力をお願い致しました。
■そのようなきっかけで亀田先生とも知己の間柄となりました。
写真展後、お会いする機会もあり いろいろお話させて頂きました。      
■その折に、森琴石が載っている「兵庫県人物事典 中巻』等の資料をお渡ししました。
 人物事典の内容には
  
森琴石の諸国名所図の銅版画家としての技術を誉め称え
   「名所図を描く為に森琴石は諸国を行脚した」と、筆者の青木重雄氏が書いておられましたので、
青木記者は、余程何かご存知なのだろう!と、
  「この方に記事の由来をお聞きしたいみたい」と、亀田先生にお話したのだと思います。

しばらく経った頃
 「青木重雄記者の住所がわかりました!」と、FAXで住所等を送って下さいました。

ご先祖はキリシタンのお姫様 
■ご先祖様は筑前の生まれで「本多やや」というキリシタンだったそうです。
立花宗茂の養女となり、東海の武将「本多俊次(西尾藩主世継)」と結婚。
■2012年8月
マンガ(イラスト)入りの、本多ややの生涯を『お姫様はキリシタン 神の花嫁本多やや』というタイトルで、亀田先生が描く“夢いっぱいの愛らしい表紙のエッセイ集”を出版されました。
エッセイ集は、少女漫画やイラストを亀田先生の指導を仰ごうと
集まった青少年たちも協力したのだそうです。

★今の子共達は、いじめが横行する等、純真さ、おおらかさに欠けているように思います。
どのような事でも良いから、子供達が自分の得意な事、好きな事に熱中出来るよう、周囲の大人達が
手助け出来る環境が欲しいものです。
亀田先生のようなユニークな活動で<子供達を守り育てる>大人が増えれば良いのになあ!!と、つくづく願う昨今です。

  
亀田先生より 
  
『森琴石作品集』へのコメントを頂きました

     「永年の夢が叶いおめでとうございます。
     
これは森夫妻の”祈り”の本ですね。
      お二人の画伯への愛情を強く感じました。
        天国の先生も大喜びでしょう。」

 

 

 

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