文献抜粋;銅版画編に4:『南蛮美術総目録』を追加しました

2012年8月29日 更新

森琴石HP,文献抜粋:銅版画編に4:『南蛮美術総目録』を追加しました

 

 『森琴石作品集」…驚愕の銅版画数
★『森琴石作品集』には、森琴石【響泉堂】所鐫銅版書目は125種類が紹介され、
響泉堂刻作品に至っては実に281点もが載録されています。

★森琴石HP,文献抜粋:銅版画編で紹介されている西村 貞氏による『日本銅版画志』では森琴石の作品は約25点、この度の池長 孟編『南蛮美術総目録』では、地図、書誌類が9種類、銅版画作品が37点と、先の『日本銅版画志』より少し増えた程度です。

★先の西村・池長両氏に比すると『森琴石作品集』での<響泉堂刻銅版画>はまさに驚愕の(大げさな表現ですが)数字と言えましょう。

★『森琴石作品集』での銅版画作品類は、殆どが熊田 司先生(現在 和歌山県立近代美術館館長)のコレクションですが、森琴石画集の出版を思い立ってから約10年余り、多くの皆様方のご協力を得ながらも、森家と熊田司先生とが響泉堂刻の書物の情報を得るため、常にアンテナを張り巡らし手を携え探し求めてきた成果と思っています。
熊田司先生のコレクション、出版後も響泉堂刻書誌が増えているそうです。
『森琴石作品集』は、研究者の方々に《歴史的に価値のある資料》として高く評価されていますが、熊田先生のコレクションも、後世に評価され続けていくものと確信しています。

収集の基となった 『日本銅版画志』、『南蛮美術総目録』
★『森琴石作品集』の銅版画作品が驚愕の数字に至ったのは、西村貞・池長孟 両者の著述が発端になった事は事実です。
更に言えば『蛮美術総目録』は、西村貞著『日本銅版画志』が基になっているようです。

★『南蛮美術総目録』で、坂本満氏の解説の末尾には

     「私ども後進の研究者にとっては、コレクションの存在が何よりもありがたいものであったが、
     そのガ   イ ドとしてこの目録がどれほど役に立ってきたか。それを考えると、
      この偉大な先人にどれほどのものを負うてきたか改めて感謝の念を深めざるを得ないのでなる」
(国立歴史民俗博物館教授・情報資料研究部部長)

と、締めくくっていますが、まさにその通りと思います。    

                      画像は坂本満氏の解説(第1頁目)


未だに続く”池長コレクション”への高い評価
●西村・池長両氏は日本美術史において、そのコレクションとその著述が未だ高く評価され続けられています。1ヶ月ほど前、私は視聴出来ませんでしたが、テレビの再放送で、池長コレクションの屏風が紹介されていたようです。夫が「池長さんは大した人だ!!」と、感心して私に伝えてくれました。
西村・池長両氏が早くから森琴石に着目してくださった事は非常に光栄です。。

注目する情報
井上勤・堀春潭・岸田吟香
●『南蛮美術総目録』には、森琴石の響泉堂刻作品以外に、森琴石が挿画を担当した井上 勤の翻訳本「月世界旅行」の翻訳者井上 勤や、その弟堀 春潭の情報がある事、総目録の5頁後には岸田吟香の書誌中の画を「森 琴石?」とあるのにも注目したいと思います。
●池長氏が数多くの南蛮作品を収集する過程では、あらゆる方面での卓越した方と接触し情報を得られていたと思われます。
●それらの情報を基に、岸田吟香の書誌中の画が「森琴石?」と推測したのは、とりも直さず両者が森琴石と銅版書誌との繋がり等、両者の関係を池長氏が知っていたからに違いありません。

岸田吟香 ⇒森琴石HP,調査情報「平成18年2月【1】■4、5、6番目」等 に記述
         当項目「読画会に尽力した岸田氏宛…森琴石の書簡

森琴石愛用の『題画詩集』か?
『南蛮美術総目録』 に
   図64 ◇題画詩集 和豆本 四冊 明治12
琴石作山水花鳥図多数 琴石の手沢本。朱校を施せり
とあります。
?をつけず ”森琴石の手沢本” と、言い切っている事から、森家から譲り受けた可能性が高い。

 

森琴石HP、文献抜粋:銅版画編「4:南蛮美術総目録」と重なるものもありますが、下に池長孟 氏の『南蛮美術総目録』について補足させて頂きたいと思います。

 

 『南蛮美術総目録』について
●池長孟氏が、自身のコレクションのリスト及び作品解説をまとめたもの

 『南蛮美術総目録』池長孟氏の序文紹介(タイトルのみ)
◇    
戦火につつまれた美術館
◇     身上つぶして南蛮狂
◇     舌を巻いたか柳宗悦
◇     初めて世に出る総目録
◇     後世に残したい金字塔


南蛮美術とは
      『南蛮美術総目録』での 池長氏の”南蛮美術の定義”を画像でご紹介します
 

池長氏が収集した “南蛮美術コレクション” と その推移
◍教育者であり南蛮美術品収集家の「池長 孟(いけなが はじめ)」が
  “神戸を世界的な文化都市にしようという意図で、
莫大な私財を投じて南蛮美術を体系的に収集した。

◍池長氏が苦心の末収集した一流美術品は7000点以上に及ぶ。
それら美術品の為に美術館まで建て「池長美術館」として、一般公開した。
◍戦後の昭和26年、神戸市は池長氏からコレクションを美術館ごと譲り受け「市立神戸美術館」とし開設、
14年後の昭和40年4月「南蛮美術館」と改称。

◍17年後の昭和57年11月、京町筋に「神戸市立博物館」が新築され、その中に南蛮美術館」を設け、コレクションは全て移された。以前からあった考古館と統合し、あたらしい人文系の博物館として発足。

多彩な“神戸市立博物館の収蔵品”
◍「神戸市立博物館」には、国宝1件21点、重要文化財7件76点を含む約5万点の館蔵品がある。
◍収蔵品の内容は、国宝の銅鐸・銅戈、池長孟氏収集の南蛮・紅毛美術資料、南波松太郎氏・秋岡武次郎氏収集の古地図、<びいどろ史料庫>旧蔵のガラス資料をはじめとして非常に多彩。

池長氏の“南蛮美術コレクション”の価値
◍日本が広い世界の舞台に乗り出した事を象徴する
◍美術品に留まらず、宗教、風俗、地理、医学とも関連し、
日本の近世文化史の主要な部分で、日本史研究の多大な資料となる

〜神戸市立文書館・神戸市立博物館のHP、『南蛮美術総目録』等を参照にさせて頂きました〜

 

 

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