森琴石次兄の養子先=宝塚市安倉の大地主だった!

2015年7月9日 更新

 

6月18日更新の「森琴石の実母=宝塚市安倉の名家の娘だった」 に続きます

●阪西家訪問より1カ月経ってしまいました。
●その間体調不良や身内の葬儀等が重なりました。
●森琴石の実母の生地等については、順を追ってご紹介して行きたいと思います。

2015年6月12
兵庫県宝塚市
・・阪西家(分家)訪問

■6月14日(日曜日)、2日前に約束を交わした阪西家訪問の当日となりました。
■思いもよらぬ展開に、私共夫婦は興奮を抑えきれませんでした。
■当日阪西家分家では、阪西義隆・節子ご夫妻、阪西家本家の奥様、仲介して頂いた田中稔氏が、私共夫婦を歓待してお迎えして下さいました。
■阪西家(分家)は、江戸末期の頃本家より分家したそうですが、分家も又庄屋職を務めておられたのだそうです。
■本家、分家共、川辺郡安倉村(現宝塚市安倉)の由緒あるお家柄なのです。
■阪西家分家ご紹介に先んじて「阪西家本家」の事を触れておく必要があります。

 

阪西家 本家=宝塚市安倉の旧家
・・・・・・・・・・・  =代々庄屋職
・・・・・・・・・・・  =安倉の大地主
・・・・・・・・・・・  森琴石次兄「梶木治三郎」の養子先
・・・・・・・・・・・・・

■当日阪西家では本家の奥様もご一緒にお迎えして下さいました。
■阪西本家は、川辺郡安倉村での中心的な存在で、代々庄屋職を務め、現在に至るまで地域の大地主として地域経営に貢献されておられます。
■森琴石紹介「生家と森家―森琴石実父 梶木源次郎」の後方
<梶木家略系譜:梶木源次郎の次男>として
【(源次郎二男)治三郎=川辺郡安倉(現宝塚市)の※庄屋家の養子となる】
ご紹介しています。
■この情報は、森琴石調査開始当時、現有馬グランドホテル代表取締役社長梶木雅夫氏との会話(電話)を書き留めていたものです。
■その後、宝塚市教育委員会に問い合わせ、宝塚市に於ける「阪西治三郎氏の存在」をお尋ねしたところ
「宝塚市史に庄屋をしていたという記録があります」と、返答を頂きましたので、森琴石HPに記述した次第です。
■当時から10数年経った現在、森琴石の<次兄の養子先>の方にお会い出来た事実に改めて感激感謝しています。

 

・・・つづく・・・

 

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