2014年7月21日 更新
森琴石:題字に代わり題画…門下近藤翠石の画冊へ
前回
大ヒット! 森琴石の『墨場必携 題画詩集』の続きです
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森琴石は本当に「題字・序文・跋文・碑文の撰文」は行わなかったか?
門弟の著書検証
■前々回 の 門弟「山名友石」の著書の序文:なぜ富岡鉄斎だったか?では、森琴石は、掛け軸(文人画の)への<為書きや箱書き>は書くが、「題字・序文・跋文・碑文の撰文」は行わなかったと書きましたが、本当にそうであったかどうか再度調べてみることにしました。
■以前門下「近藤翠石」のご子孫宅に調査訪問させて頂いた折、とてつもなく大きな画帖に師匠である森琴石の他、犬養毅氏などの著名人が画帖の冒頭に題字などが揮毫していたと記憶しています。中国に行った折のスケッチ画でした。
■何年後だったか、『支那名勝画冊』という画帖を刊行本にした書物が古書サイトで売りに出されていました。「これは是非買った置かなくては!」と、比較的入手しやすい金額であった事も幸いし同著を手に入れる事が出来ました。
■書物となった『支那名勝画冊』は、実物と違いかなり小さい。
しかし著書が手元にある事により、近藤翠石と親交した人物その他が確認できるのです。
■我が家では門弟の著書や資料を収集する事にも努めて参りました。
■佐野琴岳(岱石)の『南画初歩(大正元年9月・狩野黄文著・菊の部が琴岳著)』、増田東洲著『支那漫遊図録(大正14年10月)』、氈受楽斎こと毛受小八郎編『摂河名家集(大正7年9月)』、嘉本周石筆/小原光雲選『南画謎語五十幅五十瓶 花形千瓶集 第5巻 (昭和6年12月)』、森琴石の門弟「長阪翠雲」の養父長阪雲在著『寒霞渓十二勝(明治28年6月・石橋雲来等が題字)』を揃える事が出来ました。
■森家が入手できなかったのは、藤井新助の著書、地図類、舩田舩岳の画帖(教材)・山名友石の『珍花図譜』、銅版画の門下だった可能性がある米津菱江の教科書類等です。
■増田東洲、嘉本周石の著書は森琴石が他界してからのものなので、検証の対象外です。
■門弟たちはもしかすると<私家版>の著書を刊行していたかも知れません。
注:森琴石HPでは「長坂翠雲」を森琴石門下としていますが、「門人紹介」では門下として取り上げていません。門人紹介:その他「日誌に名が良く出る人物」として加えたいと思います。
※その他、当ブログ内の文中に出る門下名については 索引その他でご検索下さい。
近藤翠石著『支那名勝画冊』
・森琴石の題画・・・<題字の代わりとする>とあり
・・枯木竹石図=近藤翠石の不老長寿を願う画
■以前の記憶を確かめる為、久しぶりに近藤翠石の『支那名勝画冊』を見たところ、五爵の方々や政治家、儒学者らと共に師匠森琴石が題画を揮毫している。落款には「題字の代わりに枯木竹石図を贈る」と書いている
<戊午朔月上浣>とある事から<大正7年1月上旬>に描いたものである。
下に『支那名勝画冊』の概要をご紹介します。
『支那名勝画冊』
縦14,5cmx横22.5cm
目次
森琴石題画の落款
支那名勝画冊刻成 予写枯木竹石図以代題字贈之
戊午朔月上浣 琴石
■大正7年1月といえば、孫「加津の日誌」にあるように、当時森琴石は体調を崩しており、その後も病状がかなり深刻な状態になっていた。そのような中で近藤翠石の画冊に「題画」を描いたのだ。
■その頃には、森琴石の門下で優秀とされた「舩田舩岳」をはじめ鬼籍に入った者が少なからずあったはずである。森琴石長女「昇」は末娘の「志げ」出産直後から病気勝ちとなり大正8年10月に亡くなっている。この頃の森琴石は心身共に一番辛い時期だったのだ。
■大正8年の「喜寿祝賀記念目録」の贈呈者氏名には「鎌田梅石」や「山名友石」の氏名が無い事から、森琴石が期待を寄せた両者は亡くなっていた可能性がある。
■森琴石は自身の信条により、例え門弟の力著であっても「題字」などは贈らなかったようですが、大正7年9月刊の近藤翠石の画冊への<古木竹石図>は、死を間近に感じた森琴石が、一番身近な門弟近藤翠石の<不老長寿を願い>描いたと思われます。
因みに近藤翠石が中国紀行をしたのは50歳の頃だったようです
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『絵画清談』第5巻9月号(大正6年9月)に種々情報
・森琴石の病名
・森琴石らの画会
・近藤翠石の支那スケッチの浄書
森琴石の病名について
■『絵画清談』第5巻9月号に、森琴石が「国家の盛衰と美術」と題して小論を記述しているが、その頁の末尾の「附記」に記されている。
■9月号の最後の方の「関西通信には森琴石らの画会の情報がある。 9月号の末尾の関西消息に「近藤翠石の支那スケッチ浄書」についての情報が記されている。支那スケッチの浄書とは即ち上記「支那名勝画冊」の事でしょう。
■絵画清談第5巻9月号の記事は、関連資料:絵画清談第5巻10月号 に次いでご紹介する予定でしたが、 森琴石の文章中の人物がどの資料にも無かった事からホームページに載せるのは時期尚早とみなしました。
今回森琴石の晩年の事を書くに当たり「森琴石の病名」がこの記事に書かれていた事を思い出しました。
近月中に「絵画清談第5巻9月号」の記事をご紹介しますが、相変わらず人物の特定が出来ていません。