2014年4月5日 更新
『阿波人物志』に胡鉄梅の交流者がもう一人
「近松桂圃」
漢詩人。風流人。
旅宿を開業、書画、骨董商も兼ねる。…県外から多くの文人墨客が来遊。
伊藤聴秋の困窮を救う。
■前回の末尾、『阿波人物志』に収録された人物に、胡鉄梅に師事した「大津圭邨」という画家をご紹介しましたが、新たに胡鉄梅と交流した徳島の漢詩家で風流人の「近松桂圃」という人物の存在が判明しました。
■森琴石は、前回の大津圭邨、今回の近松桂圃とも交流があった可能性があり、森琴石が胡鉄梅に両者を紹介した可能性もあります。
■今後の調査に少しは役立つかも知れませんので、近松桂圃の伝記を下に記します。
近松桂圃
ちかまつ けいほ(1832~1908)
漢詩人。風流人。通称は九平。号は桂圃。悟心居主人。
徳島市寺島町の人。天保三年五月五日生れ。
蜂須賀信濃の臣和助の二男。
年十六、江戸にゆき、商業を十年学んだ。
後帰国し、安政二年、旅宿を新シ町で開き、「勝浦屋」と称し、書画、骨董商を兼ねた。
人と広く交わり、県外より来遊の文人、墨客の宿所となった。
素養はなかったが、騒壇の東道役を以て任じ、伊藤聴秋の困窮を救ったこともある。
又、進斎、秋邨、梅隠、茘墩れいとん、藍田、墨遷、星峰、逸峰、清人胡鉄梅らと交わり、或は来訪を受けた。明治十六年廃業し、蔵本蛇谷の山中で幽棲し、四十一年七月三十日歿、年七十七。(偉人=阿波偉人伝初編)
茘墩=熊谷茘斎 か?
?-1695 江戸時代前期の儒者
熊谷活水(かっすい)の子。尾張(おわり)名古屋藩儒。詩,和歌,俳諧(はいかい)をたしなみ,
※疑問・・・江戸前期の儒学者だが、年代が合わない