10月25日 第53回泊園記念講演:講座と七絃琴の演奏があります

 

2013年10月14日 更新

 

●関西大学「第53回 泊園記念講座」で講座と七絃琴の演奏があります
お近くの方は是非この機会に七絃琴の生演奏をご体験頂ければと存じます
下に講座の内容を案内パンフレットを写させて頂きました。
泊園書院にまつわる事をとりとめもなく記述致しました。

 

53回 泊園記念講座
泊園書院の学芸
 ―漢詩と琴楽―

日時:平成25年10月25日(金)13:00~
場所:関西大学以文館  セミナースペース

本講座は、江戸末期浪華の地に 
漢学者藤澤先生によって創設された
大阪町人のための漢学塾「泊園書院」の伝統を
現代に活かすことを目的とし
毎年1回開講しています

講座内容
【講演】
長谷部 剛(関西大学文学部教授)
泊園書院と漢詩

山寺美紀子(中国音楽研究者・第三十回田邉尚雄賞受賞者)
 琴曲『幽蘭』の解説と演奏

【報告】
田山 泰三(泊園記念会会員)
高松における泊園書院の顕彰事業について
~藤澤東畡没後150周年記念展によせて~

◍申し込み方法
ハガキ・FAXまたはメールにて
[住所・氏名・ふりがな]・電話番号・参加人数]を明記してお申込みください。

◍申し込み先
〒564-8680 吹田市山手町3-3-35
関西大学東西学術研究所内 泊園記念会
TEL:06-6368-0653(ダイヤルイン)  
FAX:06-6339-7721

Pdf版はこちらからご覧下さい

 

演奏者:山寺美紀子先生
柔和な才媛美人
七絃琴に新境地を開く
●9月23日、大阪市立美術館での七絃琴の演奏会に行きました。
●美紀子氏の夫の山寺三知氏が、各演奏曲目に対しての解説があり、その後に4~7分くらいの演奏がありました。
解説の後なのでより分かりやすく、演奏時間が短いのも良かったと思いました。
レトロな雰囲気の会場、天井が非常に高いので、音響効果が七絃琴の魅力をたっぷりと伝えてくれました。
●初めて聴く七絃琴の生演奏でしたが、優雅なドレスをまとい、笑顔の素敵な若い女性の演奏者から奏でる七絃琴の音色は、聴く人たちを魅了しました。
●七絃琴=「琴・碁・書・画」と言い、文人が筆頭に嗜むべきものが七絃琴…という事で、南画に出る「髭を生やし杖をつく老人」をイメージしてしまいますが、ドレス姿の若い女性という意外性が、七絃琴に対する堅苦しい地味なイメージを変えてしまったように思いました。
●私はふと一世を風靡した「女子十二楽坊」を思い出し、他の古琴或いは古楽器と合奏すれば、今どきの若者にも七絃琴の魅力を伝えられるのでは?と、昔の文人様からひんしゅくを買うような発想をしてしまいました。
●文人趣味の地味な楽器では無く、神秘的でしかもチャーミングな楽器であると、広く世間の方々に知って頂きたいとも感じました。

 

山寺美紀子先生の著書
『国宝『碣石調幽蘭第五』の研究
第30回田邉尚雄賞受賞、第2回三島海雲学術賞受賞
●大阪市立美術館での講演の後日、山寺美紀子氏より『国宝『碣石調幽蘭第五』の研究』をご送付頂きました。
山寺先生のち密さ、粘り強さ、才媛さが伺える”超労作の本”です。

●琴の楽譜について長年研究に務められて、中国の古い論文をもとに「原曲の復元」等、他の追随を許さない研究に励まれています。柔和な風貌の才女の方です。
●「まほろばというホームページ、「まほろばだより:折々の書」という項目の中で、まほろば主人が、”古琴”について触れ、「友蘭」という七絃琴の楽譜について述べておられます。

そして
山寺美紀子先生について
山寺美紀子さんは、香港の大学図書館で誰も注目されず埋もれていたその論文を入手され、こ
れを繙きながら原曲の真相を復元しようと志を立てられたのであった。

 その一端が、日本での琴の先人、儒学者・荻生徂徠の論文などで、今その新解釈を打ち立てよ   
とされていたのだ。      (中略)
おそらく、世界でもこの研究をされている数少ない研究者として彼女は貴重な存在と言える
そういう意味では、古典音楽史上、新たな足跡を残すであろうと期待される。
是非、結実させて戴きたいと願っている。そして、初めて復元された最初の一段の試奏を聴か
せて頂いたが、その古拙で典雅な響きが、深く心に染みた。
と評価されています。

お断り:古琴について又琴譜についての知識が殆どありませんので、山寺先生の<人となり>をお伝えしたく、まほろば主人の文章を引用させて頂きました。

 

関西大学「東西学術研究所
昭和26年4月「東西両洋文化の学術研究、殊に比較研究を行い世界文化の融合に貢献することを目的」として設立されました。本学の専任教員を核に、学外の委嘱研究員を含む50余名が共同研究に重点を置いた活動を進めており、その成果は、刊行物に発表しています。また、研究テーマに応じて、中国をはじめとした海外の研究所および研究者とも活発な研究交流を行っており、国際的なシンポジウムなども多数開催しております。(研究所HPより転載させて頂きました)

泊園記念会
泊園記念会は昭和36年(1961)、泊園書院を記念して本学東西学術研究所内に設けられ ました。初代会長は石濱純太郎(藤澤南岳の弟子) がつとめました。・・・以下文章はHPでの文章をご覧ください。

 

泊園書院とは
泊園書院(はくえん しょいん)は江戸時代後期、藤澤東畡(とうがい)により大阪に開かれた漢学塾で、その子の南岳、さらに南岳の長子黄鵠(こうこく)、次子黄坡(こうは)によって受け継がれ、隆盛をみました。

この「三世四代」の学統はさらに黄坡義弟の石濱純太郎によって新たな発展を遂げます。
江戸から明治・大正・昭和前期という、近世・近代の120年あまりにわたる激動期を歩んだ漢学塾はまれです。
この間、泊園書院は政界・官界・実業界・教育界・ジャーナリズム・学術・文芸などの分野に多くの人材を輩出し、大阪の文化・教育の発展に大きな貢献を残しました。
そのぼう大な蔵書「泊園文庫」は戦後、関西大学図書館に寄贈され、「泊園記念会」も関西大学東西学術研究所内に置かれて毎年記念講座が開かれています。(東西学術研究所HP及び泊園書院HPより引用させて頂きました)

森琴石周辺には「泊園書院」出身者が多数
「登門録」の存在→泊園文庫に問い合わせ
●9年くらい前(?)、森琴石の周辺者には<岸田吟香>など、泊園書院出身者が多いことから、泊園文庫に「藤澤東畡」の門人録「登門録?の存在」について問い合わせをした事がありました。
●応対して下さった方が「門人録の存在は知っています。探しておきます」と約束して下さいました。
●その後、日が経たないうちに電話があり、「確かあったはずなのですが、誰か持って行ったようで現在は見当たりません」というお返事を頂きました。かなりがっかりしましたが、その後再問合わせする事もなく年月を重ねてしまいました。

記憶の風化
ノートで記録しておくべきだった
森琴石調査開始以来、5年間の調査内容は、ノートにメモ書きをしていました。
●メモノートは10冊くらいになり、集めた資料ファイルは35,6冊になりました。
それらに基づいて、10年前森琴石HPを立ち上げたのですが、HPを公表して以来は少々おおまかな性格の為、ノートに記録しなくなり「問い合わせ記録」なる名称でで<エクセル>で記録するようになりました。

パソコンに頼った事が裏目に
●ところが「平成21年11月」でお知らせしたように、記録していたデータの殆どを損失し、問い合わせの内容、年月日、対応して下さった方の氏名、対応内容(資料名含める)など、細かい事は分からなくなってしまい、おぼつかない記憶をたどって書いているわけです。
●当時、何かの資料に「東畡の門人録が泊園文庫に所蔵されている」という内容の記述があったので問い合わせをしたのだと思います。
インターネットで<泊園書院に関する論文>が出て参ります。
●その中、森琴石の絵画所有者の一人<永田仁助>が泊園出身者という事を最近知りました。
以前は情報が殆ど無かった事柄が、インターネットの普及に伴い加速度的に情報を得ることが出来るようになりました。

永らく続けていると、何らかの利点があるのだなと実感しています。

泊園文庫
森琴石の書物も所蔵
泊園文庫には『森琴石先生薦事録』・『森琴石翁遺墨帖 乾坤』・『森琴石翁遺墨帖 1.2』が所蔵されています。

関西大学図書館
森琴石の著書蔵書数
平成11年5月、森琴石調査開始7か月目の頃、当時関西大学で講師をされていた関係もあり、神戸市立博物館の成澤勝嗣先生にご同行頂き、書誌の閲覧並びに作品の撮影をさせて頂きました。
平成11年5月
時点での図書館での森琴石の蔵書類は、絵画2点、書誌・地図など10点でした。
現在、図書館には森琴石の絵画2点・著書・地図等が18点所蔵されています。
14年前の当時、図書館の電子データ化は途上期であった為、他の文庫での蔵書がまだ電子化されていなかったのかも知れません。

藤澤家と妻鹿友樵、森琴石は共に親密な関係
 森琴石HPで
多数記述
「漢学・七絃琴」が繋ぐ「藤澤家・妻鹿家と森琴石」
「藤澤東畡」、「妻鹿友樵」は共に七絃琴の名手
森琴石…大阪の琴士調査情報「平成19年8月]

●森琴石HP内「師匠先輩たち:藤澤家3世代」にあるように、森琴石は「藤澤東畡(とうがい)・南岳・黄鵠(こうこく)・黄坡(こうは・黄鵠の弟))」ら、藤澤家3世代とは非常に親密な関係にありました。
●森琴石HPでは泊園書院について「「平成11年5月」をはじめ多数取り上げています。
森琴石の儒学の師匠「妻鹿友樵」と藤澤家、七絃琴との関係など森琴石HPでも多数取り上げていますので、是非ご覧頂ければと思います。
●しかし乍ら、森琴石HP「索引」は多少不備があり、藤澤を藤沢としか記述しておらず、「黄鵠」氏が抜けています。
徐々に改善して参りますが、当面はHPトップ頁中央下のgoogleカスタム検索機能で「藤澤東がい」・「藤澤南岳」「藤澤黄坡」「藤澤黄鵠」等と、氏名を打ち込んでご検索頂きますようお願い致します。
●尚、記述当時東畡の<畡>が漢字変換出来ませんでしたので「東がい(田+亥)としていました。後日修正致しますので暫らくお待ちください。

 

余話・追悼

東西学術研究所歴代所長、
お二方とのご縁
堀正人先生⇒ご長男 堀浩雄氏
 安川昱先生
●東西学術研究所の歴代所長 の一人「(故)堀 正人」
氏は「堀 浩雄」氏のご尊父様です。
「堀 浩雄」氏は森琴石調査で大変お世話になった方です。
●堀浩雄氏
とは「平成15年3月」を含め5回お会いしました。
●最後にお会いした時には、ご近所の医師ご夫妻、ご友人の安川 昱先生をお誘いされ、皆で楽しく歓談させて
頂きました。後で知ったのですが、安川 昱先生も同じく歴代所長のお一人だったのです。
●その後安川先生とは、堀浩雄氏の急逝、その後奥様のご逝去の事などで何度か連絡させて頂きました。
●堀浩雄氏に最後にお会いしたのは平成19年の秋くらいだったと思います。
●3年前の平成22年のお正月過ぎ、安川先生からお電話を頂戴しました。
 「堀浩雄氏が昨年の12月に亡くなられました。秋に緊急入院されたそうです。私も最近知ったば
かで大変
驚いています。奥様はその前から入院されており、ご自宅には時々家政婦さんが来て
いるようですが、皆
目様子が分からない」と、いう内容でした。
堀浩雄氏は平素大変お元気そうに見えましたので、それはもう
非常に驚きました。
ご夫妻は子に恵まれなかったので、世話になる身寄りが無いとか、そのため私共はお悔やの方法が分からず、せめてもと思い、2か月後の3月のお彼岸に、堀家訪問や、胡鉄梅の墓参や堀氏の祖父「堀 春潭」様ご所蔵の書誌類の拝見(「平成17年9月」)などで何度かご一緒した、「蒋 海波」先生(現神戸学院大学法学部と武庫川女子共通教育部非常勤講師)とお墓参りに行きました。

●堀家の墓所は、神戸市 中央区の「追谷墓地」にあり、近くには「胡鉄梅」のお墓があります。
堀 浩雄氏に出会えたのは『歴史と神戸第9巻 第2号』で中野理氏が書かれた『胡鉄梅と中野雪という文章が事の始まりでした。
●その後の経緯はかなり長くなりますので省略させて頂きますが、堀浩雄氏は祖父堀春譚(百千)や父堀正人氏らが歩んだ漢学者としてでは無く、大手電機メーカーに勤務されていたとお聞きしました。
●曽祖父井上春洋の実兄「井上勤」の血筋もあり、英語が非常に堪能だったそうです。温和で明るい気さくなお人柄が大好きな方でした。奥様も本当に優しいお方でした。
安川 昱先生も温和なお人柄の方で、私などが気楽にお喋りできるような立場の方では無いのですが、堀様とのご縁でお近づきになれたのでした。

●森琴石調査を通じて、普通なら一介の主婦が到底出来ないような事を数かず経験せて頂けたのです。
●堀様は私に、「春潭の蔵書類の目録作成を貴女にして貰えたらなあ・・・」と、何度か冗談めかしておっしゃった事が非常に印象に残っています。

 余りにもあっけない堀様との今生のお別れに、つくづく人の世の儚さを感じたのでした。
私共に寄せて頂いた生前のご厚意に深く感謝申し上げ、ご夫妻様のご冥福をお祈り申し上げます。
 

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