2022年4月28日 更新
大阪大学総合学術博物館第16回特別展
「モダン中之島コレクション」
森琴石の下絵・・・「難波橋渡り初め式図」が 展示
画の依頼者=竹原友三郎
・・・・・大阪 竹原財閥の初代
・・・・・・・・・・ー関西財閥の超大物ー
・・・・・・・・・・(相場界の元老)
・ / 会場入り口 難波橋コーナー
・・・・・・・・・(画像ご提供=波瀬山 祥子氏)
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下の内容は 大阪大学総合学術博物館 HP より転載させて頂きました
第16回特別展「モダン中之島コレクション “大大阪”時代の文化芸術発信センター」 – 大阪大学総合学術博物館 (osaka-u.ac.jp)
第16回特別展「モダン中之島コレクション
“大大阪”時代の文化芸術発信センター」
大阪大学総合学術博物館第16回特別展
モダン中之島コレクション
“大大阪”時代の文化芸術発信センター
大阪中之島は、江戸時代に蔵屋敷が並んだ「天下の台所」を象徴する土地であり、近代に入ると大正7年(1918)に大阪市中央公会堂(重要文化財)、同10年に華麗なステンドグラスが嵌め込まれた大阪市庁舎が完成し、金融機関、新聞社、図書館、ホール、ホテルが集積したシビックセンター (Civic Center) として発展しました。昭和37年(1962)には具体美術協会の美術館「グタイピナコテカ」が開館、昭和45年(1970)の大阪万博で「具体」メンバーはアートパフォーマンスも行っています。現代も中之島は、パブリックアートが集積し、都市全体を美術館に見立てた“エコ・ミュージアム”として機能しています。
そして、2022年の大阪中之島美術館の開館は世界的にもユニークな“美術館島”として、この地域をさらに新しい文化ゾーンへと変貌させようとしており、大阪大学も大阪大学中之島センターを改修し美学、美術史、演劇学、音楽学、文芸学など芸術系の拠点として「大阪大学中之島芸術センター(仮称)」の2023年の開設を目指しています。
こうした動きを眺めつつ、当館では、大正14年(1925)の第2次市域拡張で東京市を抜いて日本最大、世界第六位となった“大大阪”時代を中心に、中之島が文化芸術に果した役割を、文化施設関係のパンフレットや絵画、写真、地図、刊行物など、日常生活や社会に氾濫した“イマジュリィ”(イメージ図像)を中心に再検証します。
展覧会概要
会 期:2022年4月28日(木)~7月30日(土)
会 場:大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館 ※入館無料
開館時間:10時30分~16時30分(入館は16時まで)
日曜日・祝日休館
ただし 5月2日・5月3日は 特別開館 されます
主 催:大阪大学総合学術博物館
共 催:大阪大学大学院人文学研究科、大阪大学大学院工学研究科
協 力:大阪市中央公会堂、大阪歴史博物館、大阪くらしの今昔館
株式会社竹中工務店、株式会社ロイヤルホテル
大阪大学医学部医学史料展示室
後 援: 関西経済同友会
チラシPDF をご覧ください
展示構成 第1章 大阪中之島大パノラマ ー江戸・明治・大正から「大大阪」へー 第2章 シビックセンター遊覧 ーモダン・ライフと都市施設ー 第3章 深化する“アートアイランド” ー新しい文化芸術の発信拠点ー
主な展示品 ・初代長谷川貞信「浪花百景」より「たこの松」紙本多色摺 大阪大学総合学術博物館蔵 ・「大阪市パノラマ地図」印刷 1923年 個人蔵 ・『会館芸術』V0l.2,No.4 朝日会館発行 1933年 個人蔵 ・武田五一「大阪市公会堂新築設計図 透視図」原画 紙本・インク・1921年 大阪市蔵 ・森琴石「難波橋渡り初め式図(下絵)」 紙本・墨画 1915年 個人蔵 ・安井曾太郎「薔薇」油彩・カンヴァス 1934年 株式会社ロイヤルホテル蔵 ・「旧大阪市庁舎楣(まぐさ)・ステンドグラス(扇形)」1921年 大阪くらしの今昔館蔵
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この度の展覧会で、大阪大学総合学術博物館の先生方には大変お世話になりました
橋爪節也氏(教授)・・・ご所蔵コレクションが多数展示されています
辻野博文氏(准教授)・・・薬学科の研究者、准教授
波瀬山祥子氏(研究支援推進員)・・・チラシも担当されました
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森琴石の
難波橋渡り初め式図
下絵
(40.0×124.2cm)
竹原友三郎、とく子夫妻 (各39.5×27.2cm)
記念ハガキ (14.0×9.1cm)
大正四年五月廾弐日
新難波橋渡初式 尉と姥 竹原友三郎翁 仝夫人とく子
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備考
竹原友三郎について
★大阪竹原財閥の初代
★関西財閥の超大物
『財界物故傑物伝下巻』より 資料=国立国会図書館 次世デジタルライブラリ―
実業之世界社編輯局編実業之世界社 1936
竹原友三郎(82頁)
竹原友三郞(北濱株式街の成功者)
盛衰浮沈の多い北濱株式街にあつて、明治十一年大阪株式取引所開設以來、克くその一生を相塲道に終始し、幾多の波瀾を凌いで遂に巨萬の富を獲た成功者の一人に竹原友三郞がある。
●彼は彼は大阪の入竹原源七の二男として嘉永二年六月十一日に生れた。幼少の頃から商才に長けてゐた彼は實業界に立つて成功せんことを夢み、十二三歲の折大阪心齋橋筋の鼈甲店に雇はれ追廻しの丁稚として走り使ひや店掃除を陰日向なく勤めた。その後暫くして平野町四丁目の兩替店炭屋萬兵衛方に奉公することになり、彼はこゝでも勤勉に店務に從事して拔群の成績を擧げ、主人萬兵衛の厚い信任を得ることになつた。
明治十一年彼の三十歲の折主人の後援を得て獨立し兩替店を開いた。彼の堅實經營と客筋への懇切を極めた奉仕は、日に月に一般の信用を得て店は次第に繁忙を加へて行つた。
彼が獨立して兩替商を始めた明治十一年には、大阪に於て五代友厚、鴻池善右衛門、住友吉左衛門、山口吉郞兵衛、井口新三郞、平瀨龜之助、加納治郞右衛門、笠野熊吉、熊谷辰太郞等が發起人となつて株式取引所創立に奔走し、同年七月大藏省より許可を得て開塲をすることになつた。
開塲當時の營業は殆ど公債の賣買であつて、株式の賣買と金銀貨の賣買が開始されたのは、十二年一月からであつた。而もその株式賣買も每日行はれるのではなく、每「六」の日に限つて立會をするのみで、定期取引もたゞ當月限だけの賣買であつた。
尤も株式會社の數も未だ極めて少かつたから株式とは何であるかを理解してゐる人も甚だ尠かつた。從つて市塲の人氣は價格變動の激しい金銀貨、公債に集中して、株式は殆ど顧みる者もなかつたのである。
而も彼の店は大阪株式取引所開設以來益々繁忙を加へ、十五年一月に仲買人(現在の一般取引員)營業を許可されるに及び、本格的に業務の擴張發展を圖ることになつた。
又その前後から諸株式は每日立會となり取引の履行期限も當中先の三限賣買制となり、大株、東株、橫濱取引所株、硫酸製造會社株、橫濱正金銀行株その他船舶株鐵道株、紡績株が上塲され、株式の商內高も漸次多數に上つて行つた。
その後彼は定期に現物に何處でも自己の營業に忠實に、孜々として精勵したが、明治二十七年日清の戰機漸く熟し、戰費充實の呼聲に連れて財界の前途は樂悲兩論に別れ、株界の人氣も闇雲低迷の形であつたが、彼は國家と共にその運命を賭して諸株を買捲り巨利を收めた。
爾來彼の行くところ可ならざるはなき有樣であつたが、三十七八年の日露戰爭には更に買進み、戰後の好況時代には野村、高木、黑川の三商店と共に大阪現物團を組織し、株式社債等の引受けをなして金融界證劵界に多大なる貢献をなすと同時に巨萬の富を積むに至つた。
歐洲大戰頃には竹原商店は大阪取引所一流の信用ある店として益々その聲名を謳はれるに至つた。
彼は株式仲買業專門で、それ以外如何なる事業にも關與しなかつた。趣味も株式賣買業以外には、殆どいふべきものがなかつた。
株屋であるに拘らず、綠酒紅燈の味はひも知らず、生涯人力車にも乘らなかつた。然し决して吝嗇の人ではなく公益事業に私財を投じたことは一再ではなかつた。
彼の生涯はまことに努力、勤儉、篤行の人であつたと言へやう。大正七年九月十八日、病を獲て逝去した。享年七十。
×當主友三郞氏は大阪府人竹原久吉の甥にして明治二十四年四月四日を以て生れた。同三十九年先代友三郞の養子となり、大正七年家督を相續し、前名義一を改めて友三郞を襲名した。
氏は先代の事業を繼承してその聲名と信用を維持し、更にこれを進展せしめてゐる。
現時、竹原合名會社代表社員、竹原商店社長、城南土地會社取締役岸和田紡績會社監査役を歷任してゐる。夫人秀女は明治二十七年四月生れ、故寺田甚與茂の二女である。
Web情報
●証券(大正6年)▷大阪株式現物団(野村商店・高木商店・竹原商店・黒川商店) | ジャパンアーカイブズ – Japan Archives (jaa2100.org)
●日経新聞記事 2012年3月3日
大局観に立つ竹原財閥の番頭 竹原荘治郎氏: 日本経済新聞 (nikkei.com)
●2代目 竹原友三郎(初代友三郎の甥)
神戸大学電子図書館システム –一次情報表示– (kobe-u.ac.jp)
出典=神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 土地(7-168) 大阪時事新報 1931.2.4 (昭和6)
書誌資料
●『大阪商人太平記』(宮本又次著・創元社・S36年9月)
・・・・・・・ 竹原友三郎記述 ⇓ 右の浜崎永三郎は 森家の身内
●『家庭円満安全貯金法』 内、広告記事
・・(安全貯金研究会編・雲泉堂書店・1917年)…画像=国立国会図書館次世代ライブラリー
森琴石HP
難波橋渡り初め(なにわばし わたりぞめ)
『いちょう並木 4月号』 :表紙に森琴石の下絵(一部) | 森琴石 What’s New (morikinseki.com)
書誌掲載
『橋爪節也の大阪百景』 創元社 2020年
第五四景
大大阪の誇りを今に伝えるライオン橋物語 ――難波橋 森琴石 天岡均一 与謝蕪村「春風馬堤曲」
第六五景
大阪人は南画が好きだったはずが…… ――浪華画学校 森琴石 富岡鉄斎 与謝蕪村
その他
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