2020年2月24日 更新
2020年2月24日
森琴石没後99年になります
ウィキメディアの「森琴石」の末尾の文章、
「大正10年(1921年)78歳で没した。墓は当初安治川の墓地(場所不明)に葬られたが、後に四天王寺に移された」は、間違っています。
正確には、森琴石の墓所は「四天王寺」です。
安治川は養子先の森家が家業を営んでいた地名で、墓所では有りません。
因みに江戸末期~明治中頃迄の森家の森家の墓所は「西九条墓所」にありましたが、災害で壊滅したそうです。その後明治39年7月に森琴石が、四天王寺に新たな墓所を構えました。
下に画像を添えてご紹介させて頂きます。
森琴石の墓碑
森琴石の生没年=天保14年3月19日誕生~大正10年2月24日(1843~1921)
場所=四天王寺 霊園 大阪市天王寺区)
建立年=明治39年7月
建立者=森琴石
和宗総本山「四天王寺」は、推古天皇元年(593)に聖徳太子によって建立された日本で最初の官寺です。
森家墓碑
先祖塁代墓 森琴石(※建立者)
墓地の周囲は、堅固な鉄柵で囲われていたが、戦時中に行われた金属回収令により供出
墓碑裏面=明治39年7月建立 墓碑左側面=森琴石と妻ヤスの戒名
ヤスは琴石3番目の妻で、琴石を最後まで世話した
(ヤスは福井県鯖江出身、琴石との間に子が無い)
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四天王寺以前の墓所=西九条墓所(大阪市西区=洪水で壊滅)
西九条墓所の資料
森琴石養父 森 猪平の葬儀録より
(通称 善蔵=2代目森善蔵)
安政四丁巳年八月十日辰□下刻往生(1857年)
翌十一日正□未時西九條墓所葬送
釈立教葬式一件
俗名猪平
行年四十七■
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森琴石長男森磐之助の葬儀録 より
明治三庚午年四月十日午中刻往生 (1870年)
同日申中刻西九条墓所江葬送
釈了純葬式書類
同年三月六日卯下刻誕生
俗名 磐之助 当歳
注・森琴石の最初の妻「啓」の長男(養父 猪平の一人娘)。
磐之助は、誕生後1か月余で没する
尚妻「啓」は、出産直後に死亡した。
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森家森琴石HPでの記述箇所
生家と森家
森琴石調査情報【平成16年 2月】
森琴石調査情報【平成18年 5月】
森琴石調査情報【平成19年 7月】
尚、大正12年時の戸籍謄本では
森猪平の住所は「東區伏見町三丁目三番屋敷」となっています
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来年2021年は、没後100年となりますが、行事の予定はしていません。
2021年5月頃、日中2名の学者により、論文が発表されます。