2017年9月10日 更新
森琴石の日記(二)
明治45年2月15日~4月25日
日記に出る事柄・名前
鑑定依頼=岡村雄徳(大雅・竹田・崋山&森琴石33年前の作品)、芝田浅次郎(十時梅崖)
箱書依頼=岡村雄徳(大雅・竹田・崋山)、坂上力松(森琴石 十六羅漢)
揮毫依頼=高島新十郎・内山栄一郎・小西覚太郎(播磨の人から画帖依頼)・菊池氏・楽善堂・芝田堂、山田皆治郎
縁談の聞き合わせ=石川逸翁嬢
門下=明田月樵・朝岡・毛受楽斎・近藤翆石・福田梅渓・井出(寿石か)・鎌田梅石・椙本・長坂翆雲・西尾雪江
美術関係=中森・全国南宗画展・帝国南宗画展・生産博覧会・美術新報記者(京都、月本紫陽)
その他=頼春水の書簡之巻画帖
・・・・・・・・加茂川石観音
・・・・・・・・石印材
・・・・・・・・到来物
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明治45年2月15日(一部)、2月16日
翻刻者=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)
明治四十五年
二月十五日
〔前欠〕
春水書簡之巻画帖一冊送リ来ル、揮亳ヲ乞、
○午後、牧方八尾石次郎来ル、加茂川石観音之像形、到来ス、蒲鉾五到来
※春水=頼山陽の父頼春水の事
明治四十五年
二月十六日 曇
○近藤翠石、午前来ル、石印材之件、其外神戸菊池之件、
○午前、明田月樵氏来訪有之、逸翁嬢聞合之件、
◎高嶋新十郎来ル、景品画六枚揮亳依頼有之、謝儀領収
○朝岡来ル、過日預リ置観音、毛受氏買求度被申ニ付、其旨相通し、引合ス、
○神戸税関・内山栄一郎氏来訪、大雅、竹田・崋山之三幅持参、鑑定ヲ被乞、見之、皆冝、箱書属有之、承諾ス、玉子到来、
○夕刻、近藤翠石、神戸ヨリ帰路立寄、石印材云々ニ付、自分所持之分ニ果(顆)譲ル
◎同夜、天満・小西覚太郎氏来訪、播磨之人ヨリ被頼候由ヲ以、画帖画
〔後欠〕
※近藤翆石・明田月樵・朝岡・毛受=森琴石門弟
※大雅=池大雅・竹田=田能村竹田・崋山=渡辺崋山… いずれも江戸時代の大家
※逸翁=画家石川逸翁の事
明治四五年
四月廿一日
〔前欠〕
十二枚之潤筆持参受取、小切二枚属托有之、謝儀領収、
四月廿二日 雨
○午前 福田梅渓来ル
○井手稽古ニ来ル
○午前、ヤス薭島北村乳母方ヘ用向有之罷越ス、
○中森来ル
※福田梅渓、井出=森琴石門弟
※ヤス=森琴石3番目の妻 北村はヤスの身内
※中森=森琴石画の斡旋者・同氏は頻繁に名が出るが情報は皆無
廿三日 曇 折々雨
○午前、芝田堂来ル、姫島社中*、全国南宗画展覧会、七月博物場開催規則書持参ス
右ニ付、鎌田罷越し、帝国南宗画会展覧会開催ニ差支可申哉ト申之ニ付、一応幹事集合■■協議可有之旨、相答置
○椙本、午前稽古ニ来る、国元母病気ニ付一ト先当地引拂帰国之上、不相変研究可致旨申候也
○西京*芝田堂、午後罷越し、過日依頼之梅崖*鑑定書巻持参、依頼ニ付受取預リ置、過日属*之画帖揮亳出来ニ付、相渡ス
○夕方、長坂翠雲、稽古ニ来ル
※芝田堂=芝田浅次郎(京都の美術商)
※姫島社中=姫島竹外一門
※属=依頼
※十時梅崖=江戸時代の大阪画人
※椙本=森琴石門弟、詳細不明※長坂翆雲=森琴石門弟
四月廿四日 雨
●午後早々、ヤス、楽善堂属、尺五*山水五・花卉五、都合拾枚持参、同家ヘ罷越し相渡ス
○岡村雄徳氏来訪有之、自画丗三年前之半切*画持参、鑑定ヲ被乞真物現 今画会之種々談話有之
◎尾張愛知町、山田皆治郎ヨリ尺五・四五*青緑山水属托申越し、潤筆*送リ来ル
※岡村雄徳=著書に『陸軍兵事参考』(明治30)『大日本書画家一覧表』(大正5年、改訂版)など
※尺五=幅一尺五寸の画*半切=全紙を半分に切った大きさの画
※四五=幅一尺五寸、たて四尺五寸の画
※潤筆=揮亳代金
廿五日 曇
○早朝、近藤翠石来ル、南宗画件
○西尾雪江来ル
●午前、坂上力松来ル、自画十六羅漢幅持参箱書依頼有之、謝儀領収、
属托之尺五柳桃図、尺五・一枚、出来ニ付、相渡ス、潤筆十五円領収、
天王寺公園美術館ニ開催之生産博覧会出品山水図、閉場之後、譲リ呉候様依頼、承諾致候処、右料内金トシ三十五円相収ニ付、受取置、
○西京美術新報記者、月本紫陽来リ依頼之画督促有之
※近藤、西尾=森琴石門弟
〔後欠〕