2017年7月23日 更新
日記の更新が遅れてしまいました
<先月23日 親子ほど年が離れた私の(満代)長兄が亡くなりました>
森琴石の日記
(明治42年8月21日〰25日)
日記に出る事柄、人物
横山越山、建部聴山、世良田雨荘
伊良湖晴洲、萩尾九皐、西川桃嶺
竹式楼 、泉州の実業家
大阪絵画会、南宋画会、東京出品画
門弟・身内多数
揮毫画・手本画、箱書き
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明治42年8月24日〰25日
翻刻=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授・美術史家)
明治四十二年
八月廿一日 晴
○早朝、明田月樵来訪有之、果物到来
○前田幽琴、稽古ニ来ル、果物到来横山、越山来ル、
○近藤・佐野・鎌田来ル、今日、南宗画会今日迄之総テ之計算致し、帳簿ニ明記持参見之、
○夕方、朝岡・福田来ル、
○早朝、ヤス、建部併新堀十林ヘ行、
※明田月樵=森琴石門下
※前田幽琴=森琴石門下
※横山越山=書家・著書に『明治新撰十体千字文』
※近藤・佐野・鎌田=森琴石門弟
※朝岡、福田=森琴石門下
※ヤス=森琴石3番目の妻
※建部=建部聴山(建部六右衛門)、森琴石親交者・文人
※十林(とばやし)=森琴石2番目妻「ゑい」の身内
廿二日 晴
○伊良湖晴洲来ル、今回之大火ニ付、類焼画家ヘ同氏発行之美術雑誌社ヨリ慰問致し度ニ付相談有之、賛成シ、画ヲ揮亳承諾ス、
○亡山田悦百ケ日ニ付、尊光寺ニ而仏事營ニ付ヤス、小児ヲ連参詣ス、
○午後、山田可祝子、ふく、小児ヲ連来ル、ヤス、同夜、竹式ヘ属托之花卉雙幅 持参、罷越ス
※伊良湖晴洲= 愛知の人・ 美術関係者
※山田悦・山田可祝子、ふく=森琴石3番目妻「ヤス」の身内
※竹式=室田竹武=室田虎之助 ・大阪大川の歴史的に名高い「竹式楼」経営者・
廿三日 晴
○午前、伊良湖、昨日之件ニ而来ル、自分意見ヲ述、夫ヨリ平井直水方ヘ同行罷越ス、伊良湖 荻尾并桃嶺方ヘ罷越し咄合、自分意見之通相成、大阪絵画会委員会相開候様、相成旨、申来ル、
○午後、石野香南来ルニ付、南宗画会ヨリ類焼見舞金相贈ル、金員相渡、領収書受取置、夕方、奥田来ル、
○早朝、石橋雲来氏ヲ訪フ、早朝、ヤス、木蘓氏ヘ中元、下婢連、罷越ス、
※平井直水=大阪の画家・深田直城門下・森琴石と親交
※萩尾=萩尾九皐(きゅうこう).・福岡県八女出身の画家・深田直城(森琴石親交者)の娘と結婚
※桃嶺=画家 西川桃嶺の事か?
※石野香南=森琴石門下
※奥田=森琴石門下
※石橋雲来=漢詩家・森琴石親友
※木蘇=木蘇岐山・岐阜の漢詩家
八月廿四日 晴
○午前、室田竹式氏、令嬢同道罷越し、過日相渡候花卉雙幅画潤資持参、領収ス
令嬢揮亳致手本画紙本四ッ切二枚、席上揮亳乞ニ付揮亳致、相渡ス、猶、幅函書依頼有之、謝儀領収ス
○午前、世良田雨荘氏来ル、類焼ニ付、当時大手筋御拔筋東、田村方ニ寄寓致候由、類焼見舞品併団扇ヲ呈ス、
○杉山山田ふくノ老母来訪有之、山田ふく之家之義ニ付、咄合有之、ヤス面会ス、
○昨日、泉州佐野村・山本藤兵衛氏ヘ中元物品併団扇、古妻・道下両氏ヘ団扇、小包郵便ヲ以、相送ル、
※室田竹武=室田虎之助 ・大阪大川の「竹式楼」経営者?
備考:竹式楼の資料
…・・・・・明32年5月に開催された茶会の図録『竹荘茶醼図録』に、森琴石画2幅掲載
※世良田雨荘=世良田信明・名古屋の人・新田義季の後裔・著書『雨荘居士削残余稿』
※田村=田村甚吉
※山本藤兵衛=泉州佐野の実業家※古妻=佐野村の大地主・商人
※山本、古妻、道下=『日本における産地綿織物業の展開』に名が出る
八月廿五日 晴
早朝、野口琴渓稽古ニ来ル、東京出品画持参ニ付、鎌田ヘ差遣ス
西尾雪江来ル、東京出品画持参、鎌田ヘ差遣ス、
午後、乾李渓罷越ス、東京出品画持参ニ付、鎌田ヘ差遣ス、
※野口琴渓、西尾雪江、鎌田梅石=森琴石門下
※乾李渓=画家
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