儒学の師「妻鹿友樵」

2012/2/21更新
『大阪春秋』との出会い

●筆者(森琴石ひ孫、森隆太の妻)が、森琴石の調査を開始した平成10年頃、趣味として切り絵を楽しんでいました。三田市の米谷るり子先生のグループに所属しつつ、大阪の加藤義明先生の教室にも2年ばかり通っていました。
加藤先生は切り絵の世界ではパイオニア的な存在で、「ジャズ奏者」一連の作品からは、強烈なリズムや哀愁を帯びたメロディーが画面から伝わってくる独特の表現力で、切り絵愛好者以外の人々にもかなりのファンがおられたのです。
(※加藤義明氏の切り絵については末尾にお知らせしています)

●『大阪春秋』の表紙に加藤先生の切り絵が多く使われていたという事を知り、大阪に出かけた折には、心斎橋筋にある中尾書店(古書店)に立ち寄り、該当するものがあれば買っていました。

●平成11年の初夏、その中の1冊に妻鹿友樵に結びつくものを見つけたのです。

『大阪春秋 第32号』(昭和57年4月刊)は、表紙が大塩平八郎のもので、特集として<大阪を築いた1000人 続編>が取り上げられていました。
タイトルを見ると興味深そうなものが多く、頁をぱらぱらとめくっていましたら、書物の最後に「賛助会名簿」というものが掲載されていました。

手持ちの他の号では、そのような会員名簿の記載は無かったと記憶しています。

 阪春秋の歴史について=サントリー文化財団のHP内  サントリー地域文化賞 大阪府大阪市 1982年受賞(1999年11月更新) よりご覧下さい 。 

 

『大阪春秋』との縁

●『大阪春秋 第15号、36号』に、 寿太、俳号の 聴香の名で随筆が掲載され、所属する俳句の同人<山茶花>での俳句が掲載されたようで、大阪春秋とは関わりがありました。
本来は義父と書くのが正しいのですが、当HPでは父と書かせて頂いています)

●筆者の実父野村廣太郎は、当時趣味の油絵で<大阪百景>を盛んに描いており、メディアで取り上げられるなどかあり話題となっていたらしく、『大阪春秋』の口絵に5回、随筆1回と度々掲載させて頂いていました。

大阪春秋100号までの目次一覧=http://homepage3.nifty.com/osaka-web-museum/m.htm
 

 名簿で見つけた<妻鹿友一> 様の名

●上のような経緯もあり「どなたか知った方がいらっしゃるかな?」と思いながら会員名を見ていましたら、「メ」項に「妻鹿友一」というお名前を見つけたのです。
森琴石の儒学の師匠が「妻鹿友樵」であるので、一字しか違わないので   「ご子孫に違いない!!」 と確信しました。

●日にちを置き、大阪春秋社に電話をしました。

 「私共が森琴石という明治時代に活躍した画家の子孫である事、森琴石に関する調
   査をしており、数年後に刊行本としてまとめたい」そして「大阪春秋の第32号の末      
    尾にある賛助会会員名簿にある 妻鹿友一氏は森琴石の師匠のご子孫と思われ
 るので、出来れば連絡先を知りたい・・・」等々を延べたところ、その後すぐに連絡を
 頂き、妻鹿様の住所などを教えて頂きました。
 対応して下さったのは「神野茂樹」様という方でした。

その後
神野茂樹様は、その時以来森琴石に興味を持って下さったようで、3年後の平成14年「大阪春秋第103号」(2002年9月刊)に「森琴石記念誌刊行」に関して何か随筆を書いて欲しいとのご依頼を頂いたのです。
随筆には近年中に刊行見込みと書きましたが、『森琴石作品集』が完成したのは、実にその9年3ケ月後の平成2312月中旬で、神野様は退職して既に2年経過されておられました。
 


 
妻鹿家に連絡

平成11年(1999)7月末
神野様からお知らせ頂いた住所電話を元にお電話致しました。
8月3日には手紙をお送りしました。

 「森琴石の子孫で、曽祖父は妻鹿友樵先生の儒学の弟子であった事。数年後に 
 記念誌を出版したい方向で現在色々調べている事。既存の刊行本には無い内容
 のものにしたい、森琴石の真実、全貌を伝えたいので、森琴石に関する資料など
 があれば是非ご協力頂きたい・・・」等々。
神戸市立博物館で開催された「有馬の名宝」展の図録や、既存の森琴石に関する記述のある部分のコピーなどを添えてお送りしました。

●平成11年8月22日、妻鹿友弘様より写真入りの丁寧なお手紙を頂戴しました。
妻鹿友樵の日誌に森琴石の記述がある事、森琴石編著の『題画詩集』が残されている事などが書かれていました。

妻鹿友樵先生の日誌から森琴石の部分を抜粋したもののコピー、題画詩集の写真、ご尊父 妻鹿友一様の著書「妻鹿友樵伝」も一緒に送って下さいました。妻鹿友樵伝の中から、森琴石の伝記の部分をコピーしたものも添えてありました。

●『妻鹿友樵伝』を著された頃、妻鹿友一様は奈良医科大学名誉教授をされておられたそうです。ご子息の妻鹿友弘様は大阪大学理学部の助教授をされておられ、筆者の夫(森琴石ひ孫 森隆太)とは学部は違いますが、友弘様は同じ大阪大学卒で2年先輩という事が分かり、更に親しみを感じました。

●平成11年9月7日、森琴石が妻鹿友樵先生と同じく忍頂寺静村に画を習っていた事から、忍頂寺静村画「月ヶ瀬の図」の写真を送って下さいました。

忍頂寺静村の月ヶ瀬の図は、えも言われぬほど優雅で美しい作品でした。

いつかこの忍頂寺静村の作品類が、皆様方の目に触れるよう切に願うばかりです。

 

妻鹿家を訪問

●平成12年8月末
八尾市の妻鹿家を遂に訪問出する事となりました。

神戸市立博物館の成澤勝嗣先生に同行して頂きました。
大きなお屋敷の広い和室の床の間には、友樵先生の豪快な書軸が掛けられていました。
その他の妻鹿友樵先生の書画を拝見、友樵先生の画はかなりのものだと感じました。
忍頂寺静村先生の画類、友樵先生の七絃琴など用意して下さっていました。
七絃琴の演奏のCDも聞かせて頂きました。
私共夫婦は、曽祖父森琴石が尊敬してやまない師匠妻鹿友樵のご子孫のお宅を訪問出来た事、優れた作品類に見とれた事、宝物(ほうもつ)とも言える重厚な七絃琴を拝見するなど、ただただ感激するばかりでした。

会話も相当弾みましたが、上がっていたのか具体的な内容は余り覚えていません。

尽きぬ話に、夏の長い日もあっという間に夕暮れになってしまいました。
興奮冷めやらぬ状態でお別れを告げ帰路に向かいました。

 ●その後『妻鹿友樵伝』からは、貴重な情報を沢山得る事が出来、調査の広がりを増していく事が出来ました。

以来、妻鹿ご夫妻様からは、私共に対して変わらぬご厚情並びにご協力を頂戴しています。

『森琴石作品集』が完成した折には、ご自分の事のように喜んで下さいました。


★当HP内妻鹿友樵 記述箇所は、トップページ 中央下のグーグル検索機能よりご検索下さい。


加藤義明先生のきり絵に関しては、
白鳥正夫の関西文化考ちちみのブログ をご覧くださ

 

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