中御門男爵・関山盛利・岡田播陽・朝翠堂・和田十宜堂・梅丈園、鑑定(野呂介石・岡田半江・森琴石)&揮毫&箱書依頼、画会、盆栽会など(森琴石の日記:明治45年 5月7日-12日)

2017年11月26日 更新

 

森琴石の日記
明治45年 5月7日-12日
中御門男爵・関山盛利・岡田播陽
朝翠堂・梅丈園・和田十宜堂
鑑定(野呂介石・岡田半江・森琴石
)&揮毫箱書依頼
画会・盆栽会など

 

 

日記に搭載する事柄、人物

●美術団体及び関係者=南宗画会・関西美術振興会・東京審美書院(美術聚英第十五)・大阪新報社・中御門男爵・泉・黒宮紫混・宮本朱雀

●揮毫依頼=井上元三郎・吉田栄次郎・関山盛利・小林定三・辻富次郎・末田善次郎(箱書兼)・小西覺太郎(箱書依頼兼)

●鑑定依頼=野呂介石画帖&森琴石画幅(小林定三所蔵)・岡田播陽・梅田又兵衛(岡田半江の鑑定&箱書)

●寄贈画依頼=泉・黒宮紫混

●門弟=鎌田梅石・朝岡・吉村清琴・室靄石・杉岡・松山・井出尚輔

●盆栽会=梅丈園(植田秀四郎)

●会開催=一瓢会(一心寺)・伊良湖晴洲

●到来物=岡田播陽(香炉)・浴衣一反(伊藤直次郎)・菓子(辻冨次郎)

●身内=森ヤス・森寿太・杲田・加納(嘉納)

 

明治45年5月7日~8日明治45年5月8日翻刻者=成澤勝嗣氏(当時神戸市立博物館勤務・現早稲田大学文学学術院教授、美術史家)

 

明治四十五年
五月七日

〔前欠〕
・・・ニ 付、見立之為、罷越ス、菓子送ル、
○午後、朝岡来ル、
○午後、来ル、黒宮紫混画会開催ニ付、寄贈画揮亳依頼罷越し、承諾ス菓子料領収、

※朝岡=森琴石門弟
※泉・黒宮紫混

 

五月八日 晴

○松山晩翠氏、現今東京ニ滞留、南宗画会会長中御門男爵ヘ依頼承諾有之旨通知有之ニ付、早速鎌田ヘ申聞ル

◎午後、堂島・井上元三郎来訪有之、昨日相見セタル*金碧*山水返却、右之尺五絹本ニ而、一ケ月壱枚宛、潤筆十五圓ニ而毎月揮亳属托有之、

美濃国今尾町吉田栄次郎ヨリ、尺五蓬莱、并虎渓三笑図揮亳属托申越候ヘ共、現今、手元揮亳品雲集、其上、右二枚潤筆金三十圓ニ而揮亳致し呉? 為換ヲ以、送リ来候ヘ共、右ニ而者(ハ)揮亳不出来ニ付、為換、書留郵便ヲ以、返却ス

○同夜、関西美術振興会理事関山盛利ト申人来訪有之、扇面画五枚揮毫依頼有之、承諾ス、
天満小林定造属、自画箕面山水、并雪景山水 介石画帖鑑定書、右出来、受取ニ来ルニ付相渡ス

○東京、審美書院ヨリ美術聚英第十五、二部送リ来ル、

※松山晩翆=美術家・森琴石の喜寿祝賀会の幹事
※中御門男爵=中御門 経恭=日本の政治家、華族。貴族院侯爵議員。森琴石提唱の「扶桑絵画協会」の会長を務めた
※井上元三郎=大阪瓦斯株式会社関係者か?
※鎌田=森琴石門弟
*金碧*=金地に濃彩のこと
虎渓三笑*図=中国の故事画
※吉田栄次郎=不明
※関山盛利=囲碁四段者(『棋道』第五巻第三号による)
※小林定三=不明
介石=野呂介石=江戸後期和歌山の画人

 

五月九日 晴

○朝、吉村静琴来ル、坂上属画帖画十二枚揮毫出来持参、見之、直接坂上ヘ相持遣ス

伊良湖晴洲来ル、画会ヲ催ニ付、摺本持参

◎午後、坂上力松来ル、二尺五寸巾、五尺五寸蘭亭図密画属托有之

大阪新報社記者宮田朱雀来ル、

※吉村清琴=森琴石門下、女流    
※伊良湖晴洲=画家
※蘭亭図=蘭亭曲水の宴の中国故事の絵

 

五月十日 晴

○朝、鎌田来ルニ付、南宗画件、無油断進行可致様、申聞

ヤス寿太召連、買物有之、心斎橋へ罷越ス、岡田播陽方ヘ立寄ル、

◎午後、岡田播陽来ル、古画持参鑑定ヲ乞ニ付、見之、内能十本、箱書依頼ニ付承諾ス、謝儀并香爐到来ス

室靄石、稽古ニ来ル

○岐阜・辻富次郎来ル、属托画来ル、廿八日迄揮毫致し呉候様、申之、菓子到来

○夕方、末田善次郎来ル、依頼之自画藤花図箱書出来ニ付、相渡ス、

○同夜、杲田美稲来ル、

※鎌田梅石=森琴石門下
※岡田播陽=大阪の町人学者
※室靄石=森琴石門下
※寿太=森琴石直系孫
※辻富次郎・末田善次郎=不明
※杲田美稲=森琴石二番目妻「ゑい」の甥?・森琴石作品の斡旋を盛んにする

 

十一日 晴

○朝、紅華堂来ル、小切画之督促、

◎午前、梅田又兵衛来訪、半江牡丹之巻持参、鑑定ヲ乞、真、箱書属托有之、

○午前、井手尚輔来ル、

○午後、ヤス、九条加納氏ヲ訪、寿太・カツ・下婢召連行、夫ヨリ築港ヘ行、夕方帰宅ス、

杉本、松山、稽古ニ来ル、

岡村雄徳来ル、

杉本松閑氏来訪有之、

天満・小西覺太郎来ル、依頼之自画幅
箱書六幅出来ニ付、相渡ス、仕立幅持参、五月節句掛幅揮毫属托有之

○午前、大森易一郎来ル、

※紅華堂=大阪の美術商
※梅田又兵衛=不明
※井手尚輔=森琴石門下
※加納=灘の酒造家、嘉納一族の一人
※寿太、カツ=森琴石孫
※杉本=杉本松閑=森琴石の弟子
※松山=松山晩翆の事か? 森琴石の弟子だったようだ
※岡村雄徳=著書に『陸軍兵事参考』(明治30)『大日本書画家一覧表』(大正5年、改訂版)など
※小西覚太郎、大森易一郎=不明

 

五月十二日 雨

○朝、西尾雪江来ル、審美書院発刊美術聚英一冊相渡シ、拂込金受取墨半斤譲リ、代金受取

○今日、一心寺ニ於テ、一瓢会開催有之

○今橋朝翠堂ニ於テ、故梅丈園弔*、盆栽会開催有之、案内有之ニ付、朝ヨリ罷越し、

帰路、和田十冝ヲ訪フ、同人比日中病気ニ而臥居中風症之由、十二時前帰宅ス、

堀尾ヨリ自画廿七年前筆(明治18年作)、絖本雪景山水図箱書依頼有之、

○尾張・伊藤直次郎ヨリ、湯カタ反物一、送リ来リ、到来ス、

○午後、ヤス買物有之、船場ヘ行

※西尾雪江=森琴石門下
※朝翆堂=大阪の美術商
※梅丈園=大阪の植田秀四郎が経営する盆栽園・
・・・資料:『盆栽の社会学: 日本文化の構造』(池井望著 世界思想社, 1978)
※弔=追悼
※和田十宜=和田徳治(和田十宜堂経営者)=『美術週報, 第 2 巻、第 21~39 号』に名あり
又、翻刻『春城日誌』(四)
・・・・・・-「双魚堂日誌」明治四十二年一月~六月-(春城日誌研究会)にも名が出るようだ
※伊藤直次郎=不明
※ヤス=森琴石三番目の妻(鯖江生まれ・藩士の娘)

 

 

 

 

 

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