4月20日 更新
山名友石
失恋で心を病む…幸田露伴の日記による
森琴石門は休門、水彩画を自習
休門中、露伴に仕事の斡旋者を紹介して貰うが、成果は不明
■森琴石は南画とは雰囲気が大いに異なる画風の木版『墨香画譜』を著した。
■森琴石は、明治期を代表する銅版画家でもあり、“文人画家森琴石”、“銅版画家森琴石”という二面性を持つ特異な画家として近年注目を集めています。
■森琴石門下「山名友石」は、明治36年『珍花図譜』という木版画譜を著し、洋花類を奇抜なデザインと色彩で表現しました。
■南画では教科書的な描き方をした「山名友石」ですが、南画と版画での表現力の差異が大きいので兼ねて興味を抱いていました。
■「山名友石」は、私共の調査では明治38年に再版刊行した『珍花図譜』を最後に足跡は不明でした。
■一昨年9月、門人紹介:『森琴石作品集』出版後の新しい情報 で、
<山名友石:幸田露伴の日記に名が出る…「森琴石門」と記述あり>として略紹介致しました。
情報はGoogleブック検索で取得したもので、日記の具体的な年月は分かりませんでした。
■その後『露伴全集 第三十八巻 日記』の古書を取り寄せたところ、山名友石が出ている分は、明治44年2月20日、2月23日という事が分かりました。
■日記により、山名友石の明治44年2月の足取りが掴めたのです。
■日記によれば、友石は「神経衰弱」を患っており、森琴石門を休んで水彩画を自習していたという。森琴石門や周辺の身近な女性に失恋したのかも知れません。何か切ないものを感じます。
■下に露伴の日記での「山名友石」記述文をご紹介します。
『露伴全集 第三十八巻 日記』より
(著作権者:幸田文/岩波書店/昭和29年9月)
山名友石の名がある部分のみ記述/旧字は新字に置き換えた /備考で記載人物を略紹介
明治四十四年
二月二十日
前文略す
山名友石という画人来る。森琴石の門、今は水彩画などを自習しているよし、恋愛の失敗
より神経衰弱を起せる人とおぼし。言うところ甚だ超常識也。水島笑わんとすること数々
なり。 小林文七に紹介す。模写などの用事もあらば何がしかの料足を得たしとの望によ
りてなり。
二月二十三日
前文略す
山名友石来る。石井研堂に紹介す。小林方に用事なかりしをもて也。
後文略す
備考
水島=水島尺草(水島佐久良)=女性文筆家。『貧児の門出』『怪談奇談』『世界の大乱』『家庭小説 十七の春』等多数の著書がある。
小林文七=1861-1923 明治-大正時代の画商。文久元年生まれ。浮世絵の収集で知られた。明治30年,31年に東京上野で浮世絵展をひらく。大正12年3月8日死去。63歳。江戸出身。 -コトバンク- より
石井研堂=1865~1943 明治・大正・昭和期の在野の文化史家。本名民司。奥州二本松藩領郡山村(福島県郡山市)生まれ。郡山小学校を卒業後,同校教員などを務めたのち上京,明治22(1889)年雑誌『小国民』(のち『少国民』)の編集者となる。 -コトバンク- より
次回は
『珍花図譜』との出会い
と題し、『珍花図譜』にまつわる諸情報をお伝え致します