『大阪の文化財』・『浪速叢書 第七』に森琴石の名

 

 

 

2014年12月11日 更新


『大阪の文化財』・『浪華叢書 第七』に森琴石の名
■11月~12月、何かと行事が多く、忙しく日々を過ごしているうちに腰痛になってしまいました。手間のかからないものしか手掛けられませんので、森琴石の名が出る書誌を2点簡単にご紹介させて頂きます。

『大阪の文化財』
毎日放送文化双書3

監修者:望月信成
著者:望月信成・上田宏・藤本篤
発行者:高橋信三
発行所:毎日放送
発行年:昭和48年11月20日 2000部限定
総頁数:394頁
12巻セット価格  ¥33,000

森琴石掲載か所
第二章
芸術史的検討 望月信成   

九 明治時代以降
該当頁=257・258・260
2
60頁=9月2日更新【美術史学者「望月信成」氏、美術評論家「増田洋」氏が森琴石を評価】で取り上げた『難波大阪 美術と芸能(望月信成編/講談社/1975年』の文章と、内容がほぼ同じです。
『難波大阪 美術と芸能』と、その下方に異なる部分をご紹介します。

『難波大阪 美術と芸能』ので文章
(望月信成編/講談社/1975年)
南画壇で重きをなした人は森琴石である。
天保14年(1843)に兵庫有馬で生れ、4歳の時に大阪の高麗橋の森家に養われた。
嘉永3年(1850)に鼎金城(1811~63)に南画法を学び、また十時梅厓(ととき ばいがい)の子忍頂寺静村にもついて画法を受けた(註1)。
明治6年東京に行き、高橋由一(1828~94)に西洋画法を聞き、画境が大いに進展した。同16年に日本南画会を組織し、同19年に大阪道修町に浪華画学校の設立に力をつくし(註2)、大正2年に大阪の画家として初めて文展審査員となった。
彼は詩文にも長じ、作画と作詩に懸命であった。
大正十年享年七十九歳で歿した。

違ったところ
十時梅厓(ととき ばいがい)の子忍頂寺静村にもついて画法を受けた(註1)。 
⇒十時梅厓の息の忍頂寺静村

彼は詩文にも長じ、作画と作詩に懸命であった。
⇒詩文に長じ、常に自らの絵の中に詩文を書いている。

 

『浪華叢書 第七』
編纂校訂者:船越政一郎
発行所  :浪華叢書刊行会
発行年  :昭和2年2月28日
総頁数  :542頁

森琴石掲載か所
摂津名所図會大成 其一 
第一頁目
松川半山傳 の冒頭

もう七八年も以前の事、或る人々と會合の際に、誰れやらが故森琴石畫伯さへ明治の初年には一枚摺の『大阪地圖』に名を署してゐる、と話しかけますと、それで思ひだした、明治の初年に小學校の教科書であった單語圖アノ「絲」「犬」「錨」「井」の畫は、確かに松川半山が書いたものだと、いった人のあったのをいまだに明瞭に覺えてゐます。今自分の手元に「小學入門」といふ其當時の教科書が一冊残ってゐて、その中に單語圖もありますが、これは恐らく半山の畫ではないらしい感じがします。  ・・・以下略・・・

『 浪速叢書 第七』
摂津名所図会大成 其一

浪華叢書松川半山伝
冒頭1行目にに森琴石の名

浪華叢書 松川半山伝
備考
森琴石HP内 松川半山記述箇所
調査情報「平成23年1月【1】●3番目」
平成17年4月 ◆騎鶴楼来訪者と森琴石、最後の●」等で記述しています。

 

 

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