『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』に、森琴石周辺人物が登載

2012年1月17日 更新

中山 沃著『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』

 ◍日本および大阪の近代医学、緒方洪庵、適塾の研究に不可欠な名著
 
医学博士「中山 沃」先生が20年の歳月をかけた渾身の力作
 ◍陸軍軍医時代、脚気防止論の正論をつぶされた経緯が実証的に記述
 ◍緒方家一族を微に入り細にわたり調査された研究書
 ◍森琴石関係者 堀内利国、謙吉父子(平成235)・藤沢南岳、
  大村楊城。森琴石、
物部 誠一郎、その他多数が登載
 2012年4月に刊行、刊行後まもない5月著者「中山沃」先生ご逝去
 
 
上記2、3、4番目迄は『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』蒲原宏氏の<刊行に寄せて>を
参考にさせて頂きました。



『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』 やっと入手しました

兼ねて欲しかった 中山沃著『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』、去年12月初めやっと手に入れました。

中山先生について
■中山 沃(なかやま そそぐ)先生は、医学博士で長年「緒方洪庵」や「適塾」の調査研究をされている方です。ご親戚に森琴石の画がある事もあり、以前から森琴石に興味を寄せて頂いていたとの事です。


『森琴石作品集』出版直後
■2012年2月、『森琴石作品集』出版直後、関係者以外の方で“いの一番”に、出版社を通じてお手紙や資料をご送付頂いた方で、調査情報平成23年2月でご紹介させて頂いています。
お手紙には「緒方家についての著書を近々刊行する予定です」と書かれていました。

手術の事
■中山先生へのお礼のお手紙に「名塩は我が家から近いので一度お話しをお伺いさせて頂きたい」旨の文言を添えましたが、折り返し頂いたお手紙には「兼ねてより体調が悪く近々手術します。退院後にはお会い出来ると思います」と、したためられていました。


訃報記事
■2013年夏「中山先生の本はもう出版されたかな?」と、インターネットで検索したところ
「中山 沃氏(なかやま・そそぐ=岡山大名誉教授・生理学)24日午後0時55分、 
 ぼうこうがんのため兵庫県宝塚市内の病院で死去、87歳。・・・後略」
という訃報のニュースが飛び込んできたのです。
強い衝撃を受けると同時に「ああ もうお会い出来なくなってしまったのだ!」と、術後にお訊ねしなかった事を深く後悔致しました。

年遅れて出版
■当初の予定より1年くらい遅れて出版されたようです。書物については出版社の書物の紹介文で概要を知る事ができましたが、価格が『森琴石作品集』と同じ金額の”15000円”と、少々高価である事、我が家の諸事情でもあり、購買するかどうか長らくためらっていました。

 

我が家の現状
無沙汰の理由
体調不良/身辺多忙

■言い訳がましいですが<万事行き届かない>我が家の事情を少々述べさせて頂きたいと思います。

■2012年当時、私は『森琴石作品集』出版直後の安堵感や長年の疲れが出たのか、すっかり体調を崩してしまいました。夫の隆太も数ヶ月前から発症していた“頚椎ヘルニア”の為、箸の上げ下げも出来ないほど腕、肩、頚の具合が悪かったのです。
夫婦共々鍼灸院に通院する日々で(整形外科では回復が進まず、東洋療法に治療を委ねました)、そのような身体的不調もあり中山氏の“退院”をお訊ねする事もなく月日を重ねていました。
■一年余りかけて通院した鍼灸治療の効果があり夫は8割がた回復出来、私も以前の気力を取り戻したのです。
■2012年の年初めから、上記頚椎の諸症状で夫隆太は趣味の野球を1年余り休みました。
2013年3月より復帰、復帰して4ヶ月目に出場した試合で左ふくらはぎが肉離れとなり、治療に1ヶ月 要しました。8月末にようやく治り、そこで練習に行ったところ又肉離れとなり、治療に又1ヶ月かかりました。治って直ぐに試合に出たところ三度目の肉離れを起してしまいました。いずれも同じ場所です
■つまり今年の7月末~10月下旬までは怪我、治療、怪我、治療を繰り返していたのです。
妻の私は必然的に”自分の時間”が取れず 『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』の事は頭の中からかなり遠のいてしまいました。
■10月、94歳の母(姑)が三田の介護施設に移る事が確実となり、移転に向けての手続きや諸準備に身辺が更に忙しくなっていました。
■母が三田に来て2ヶ月余りとなりました。高齢の母にとり環境の変化のストレスは大変だろうと、少しでも穏やかに過ごして欲しいと夫婦で日参。年末からは1日置きにしていますが、パノラマ写真のような美しい三田の山並みを見ながら、懐かしい音楽を聴きながらティータイムを過ごしています。

せっかく慣れてきたのですが、来週半ば神戸市北区の施設に移る事になりました。
本命として申し込
んでいた施設から「順番が廻ってきました」と知らせがあり、病院が附属している のと、我が家から車で8分くらいの至近さが”母の終の棲家”としては申し分無いと判断、急な話ですが移るのを決断致しました。
・・・というような分けでして、又もや当HPが疎かになるのは必定です。
     
どうか大目に見て下さいますようお願い致します・・・・・・・


三田市立図書館、兵庫県立図書館のご厚意
■11月初め、母が三田に来る日が近づいてきたのですが、本の事が気になり、『緒方惟準伝』がどの図書館に所蔵されているかを調べたころ、我が家に最も近い図書館では「西宮市立北部図書館」に所蔵されている事が分かりました。
三田市立図書館で借りれるかどうかを調べて頂いたところ、西宮市立北部図書館では館内閲覧しか出来ない事が分かりました。(インターネットでも分かるのですが見落としていました)
■借りたい書物は大概「兵庫県立図書館」に所蔵されており“取り寄せ”する事が出来たのですが、この書物はまだ所蔵されていなかったのです。調査係りの方にお話したところ「県立図書館に買って頂くように依頼(リクエスト)してみます」と言って下さいました。
■それほど期待はしていませんでしたが、しばらくたった頃「該当図書が兵庫県立図書館から届きました」という葉書を頂いたのです。驚きましたよ、本当に嬉しくて有難くて感動致しました。

三田市立図書館には調査等で大変親切にご協力頂いています。三田市立図書館、兵庫県立図書館のご好意に改めまして感謝致します。
■三田市立図書館より書物を借り受け、家に帰るや否や目次や内容を確認したところ、知りたいと思っていた事や興味深い事が満載で、やはりどうしても欲しくなりました。

資料として必要な部分がかなりあり、多数のコピーで書物を傷めるのは気が引けると思い、やはり買う事にしました。

とうとう買いました
■12月初め、このような経緯で『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』は、我が家のお気に入りの一冊となりました。

 後悔しています
■中山先生はインターネットをされないとお聞きしていました。従って森琴石のホームページでの情報は一切ご存知無いようでした。もう少しご健康でいらしたならば、ご著書刊行後にお伺いさせて頂いて「森琴石の周辺には、緒方家の方々との関わりがかなりありますよ」と、諸情報をお伝えできたのにと、本当に残念でたまりません。

 ■下に中山沃氏著緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』について、目次を中心に紹介させて頂きます。

『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』
  A5判/1018頁(文献・年譜。 索引あり)
  2012年4月初版
  思文閣出版
  価格 15000円(税別)

編著者紹介
中山 沃
なかやま・そそぐ…大正14年(1925),新潟市生まれ。
昭和24年(1949)新潟医科大学卒業。岡山大学医学部教授。医学博士。
退官後,同大学名誉教授。日本医史学会評議員,適塾記念会理事(大阪大学),日本生理学会特別会員。
主著に『備前の名医難波抱節』(御津町,1971年)『岡山の医学』(日本文教出版,1971年)ほか。

内容
洪庵の嫡子で、ポンペ、ボードインらに学んだ惟準は、宮廷医療への西洋医学導入、大阪大学医学部・軍医学校の前身創設、大阪での医療基盤確立などに貢献。その自叙伝「緒方惟準先生一夕話」を軸として、著者が博捜した資料とともにその生涯と交遊を詳述。

幅広く網羅された本書は、とりもなおさず幕末・明治初期の医学界をもものがたる基本図書。

 以上=思文閣出版HPを参照させて頂きました
 

目次
1章 惟準の生誕と幼少期

2章 加賀大聖寺および越前大野での修業
   (1)大野藩の洋学教育 
   (2)西洋操練の学習
3章 第一次長崎遊学時代と父洪庵の死
   (1)長崎の医学伝習所における伝習 
   (2)ポンペの講義 
   (3)長崎養成所の開設(4)ポンペの後任ボードインの来任 
   (5)父洪庵の急死 
   (6)松本良順の動向(7)洪哉(惟準)の長崎から江戸への帰還
4章 洪哉(惟準)の長崎への再遊
   (1)ハラタマの着任 
   (2)マンスフェルトの着任 
(3)緒方洪哉の弁訳したマンスフェルトの講義録『内科療法三法』 

   (4)聴診器の輸入
5章 惟準のオランダ留学

6章 幕府崩壊による惟準の帰国
7章 朝廷への出仕、典薬寮医師に任命
    (1)西洋医学所の状況と松本良順の動向
    (2)天皇の脈(天脈)を診る
    (3)明治天皇の東京への行幸
8章 浪華(大坂)仮病院の設立とボードイン
    (1)ボードインと惟準の診察と講義
    (2)病院での治療
    (3)芳村杏斎筆録の「抱氏外来患者配剤記」「抱氏方剤書」および「抱氏入     
      院患者方剤緑」
   (4)ボードインの講義
9章 大村益次郎の遭難とボードイン・惟準らの治療
    (1)事件の経過
    (2)初期の治療
    (3)緒方惟準の後年の述懐
    (4)大阪への移送、右大腿切断、その後の経過
    (5)後日談
10章 大阪軍事病院の創設と大阪府病院のその後
    (1)大阪医学校病院の創設と大阪府医学校病院のその後
    (2)軍事病院へのその後の推移と人事
    (3)『撰兵論』の内容
11章 東京在勤時代
    (1)明治天皇拜診
    (2)軍医寮創設のころ
     (3)台湾の役
(4)東京医学会社の設立
(5)緒方洪庵先生祭祀と招宴
(6)検問使随行
(7)第二回適塾同窓会の開催
12章 惟準の西南戦争従軍
(1)軍医病院での活動と戦況の推移

  (2) 佐野常民と博愛社(のち日本赤十字社)の設立
(3)緒方惟準と石坂惟寛との出会い

13章 再び東京勤務(陸軍本病院・文部省御用掛兼勤)
14章 大阪鎮台病院長時代
     (1)医事会同社の設立と『刀圭雑誌』の発刊
     (2)金沢医学所長田中信吾の惟準訪問  
15章 医事会同社の設立と『刀圭雑誌』の発刊
     (1)『刀圭雑誌』第壱号
     (2)医事会同社における惟準の活動
      (3)脚気患者療養所選定と軍医長会議
16章 東京適塾における門弟育成
     (1)東京適塾門人録
(2)新出の東京・大阪適塾「生徒姓名簿」
(3)講義録『眼科闡微』
(4)東京適塾門人の略歴および追憶談
(5)大阪適塾の門人
(6)「緒形義塾」の規律と塾律について

17章 陸軍軍医監兼薬剤監に昇任
    (1)陸軍軍医監昇任と上京
(2)金沢病院大聖寺分院開院式に出席
(3)陸軍軍医本部主催の親睦会
(4)朝鮮の壬午の変(壬午軍乱)と日本公使館焼き打ち事件
(5)会旧社と偕行社
(6)陸軍軍医本部長林紀の死去と松本順の陸軍本部長再任
(7)医事会同社の盛衰
(8)東京陸軍病院長を兼任

18章『日本薬局方』編纂事業と母八重の死
       (1)医務局の創設と『日本薬局方』の測定
(2)『日本薬局方』編纂委員の任命
(3)惟準の母八重(洪庵夫人)の死去
(4)各地で医会設立の動き

19章 陸軍軍医学舎長兼近衛軍医長に就任
    (1)陸軍軍医学舎について
(2)教官の略歴と講義録
(3)軍医学舎長緒方惟準の『陸軍医務沿革史』の講義

20章 近衛歩兵隊への麦飯給与と脚気予防
21章 海水浴奨励と大磯海水浴場賞讃
    (1)大磯海水浴場の開設と松本順
(2)松本順口述「海水浴法概説」(1886年/国立国会図書館蔵)

22章 日本赤十字社および東京慈恵医院の運営に参与
23章 惟準の陸軍退官とその真相
24章 陸軍内部の脚気問題と惟準
     (1)惟準の脚気予防報告
(2)大阪鎮台での麦飯給与
(3)石黒忠悳の脚気病因説
(4)海軍の脚気対策と高木兼寛

25章 私立緒方病院の創設
     (1)洪庵翻訳の『医戒』上梓
(2)緒方病因の発足
(3)大阪医会の設立

26章 緒方病院医事研究会の発足と会誌の発刊
    (1)『緒方病院医事研究申報』第壱号について
(2)『緒方病院医事研究申報』第1号(実質的には第2号にあたる)について
(3)『緒方病院医事研究申報』を『医事会報』と改称

27章 貧民病院設立の企図と挫折
(1)貧民病院設立の企図と挫折
(2)惟準の長男整之助の死去
(3)惟準が大阪医会会長を辞任
(4)洪庵夫人八重の墓碑建立

28章 大阪慈恵病院の創設
(1)大阪慈恵病院医学校の創設
(2)附属医学校の運営
(3)大阪慈恵病院および附属医学校の後日談
(4)私立関西医学院の開設 

29章『一夕話』終了―明治二十二~二十六年までの事績―
     (1)緒方一族子弟のドイツ留学と大日本私立衛生会総会および日本医学会の開催
(2)流行性感冒の流行
(3)ドイツのコッホ博士発明のツベルクリンの反響
(4)惟準の叙勲
(5)収二郎・正清の帰朝と産婆教育の開設
(6) 惟準の門弟教育・自著の総括

30章 緒方一族および緒方病院の動向
        明治34年(1901/惟準59歳)421頁に隠居して有馬の別荘「翠紅庵」で静居
        図30-8 に森琴石画「翠紅庵」の図が掲載

31章 緒方洪庵の贈位奉告祭と祝賀会
32章 惟準のキリスト教入信と臨終
33章 惟準の剖検および葬儀
34章 惟準ならびに緒方一族の墓碑
35章 惟準死後の緒方病院と緒方家一族
36章 惟準の家族と緒方一族
    (1)惟準の家族構成 (2)惟準の妻吉重 (3)緒方惟孝 (4)緒方惟直

   (5)緒方収二郎 (6)緒方重三郎 (7)緒方拙斎 (8)緒方正清 (9)緒方祐将
   (10)堀内利国(11)堀内謙吉 (12)緒方整之助 (13)緒方銈次郎
(14)緒方準一(15)緒方安雄 (16)緒方富雄 (17)緒方知三郎

   (18)緒方章 (19)深瀬仲麿 (20)緒方鷺雄 (21)緒方郁蔵
   (22)緒方郁蔵の妻と子供 (23)緒方太郎 (24)億川(岸本)一郎
※(7)緒方拙斎の項目の中『南湫詩稿第二集』の紹介文に、「翠紅庵」の図を描いた森琴石の
     略伝が記述されている(547~548頁)
37章 緒方惟準の周辺の人々

 一 長崎遊学・オランダ留学時代
(1)松本 順 (2)松本銈太朗 (3)長与専斎 (4)池田謙斎
(5)長崎遊学時代の緒方惟孝(誠次郎・四郎)の後見人大田精一
二 朝廷出仕・第一次東京在勤時代

   (1)高階経徳 (2)前田信輔
三 大阪府医学校病因時代

   (1)三崎嘯輔 (2)三瀬周三 (3)長瀬時衛
四 惟準の離任後の大阪府医学校の人々(医師・職員たち)
(1)大阪府医学校病院の大学への移管
①岩佐 純 ②林 洞海 ③横井信之 ④相良元貞 ⑤永松東海 ⑥松村矩明 

      ⑦石井信義
(2)大阪府医学校病院奉職の地元医員

      森鼻宗次
五 西南戦争、陸軍軍医本部勤務時代
(1)林 紀(2)石黒忠悳 (3)橋本綱常 (4)小池正直 (5)足立 寛

   (6)佐藤 進 (7)桑田衝平 (8)土岐頼徳 (9)高木蒹寛
六 緒方病院設立以後の交遊人物

   (1)高橋正純 (2)高橋正直 (3)高安道純(4)山田俊卿(5)吉田類三
(6)吉益東洞 (7)清野 勇
七 緒方洪庵の墓碑銘の撰者
(1)古賀謹一郎(2)草場佩川
38章 著書・翻訳書・講義録写本・校閲本・論文・墓碑銘など

資料編(関係書簡など21篇収録)
(1) 「緒方惟準先生一夕話」の編者幹澄の緒言
(2) 大阪医学館規則
(3) 『大阪府令集』より抄出の医学関係の布令
(4) 東京医学会社発刊の『医学雑誌』
(5) 海水浴の説(医事会同社の第七回における緒方惟準の演説の抄録)
(6) 本邦ニ一定ノ局方ナキハ医道ノ欠典タル説
(7) 大阪興医学社附属教場規則
(8) 陸軍医務沿革史
(9) 近衛歩兵隊麦飯給与試験成績第一回報告
(10)脚気予防ノ実験
(11)大日本私立衛生会第七総会における緒方惟準の祝辞
(12)緒方病院医事研究会規則(明治二十五年七月改正)
(13)死直前の福沢諭吉の緒方洪庵先生に関する談話
(14)洪庵文庫設立の経緯
(15)大村益次郎殉難報国碑の竣工式と碑文
(16)緒方惟準の長男整之介および弟収二郎(在ドイツ)宛書簡
(17)緒方惟孝の収二郎(在ドイツ)宛書簡五通
(18)緒方八千代(拙斎夫人)より収二郎宛書簡五通
(19)緒方惟準の佐藤進宛書簡一通
(20)緒方収二郎(在ベルリン)から森林太郎(鷗外)宛書簡 明治二十二年七月七日
付 
緒方惟準および関係年表
あとがき
参考文献一覧
掲載図版一覧 

索引(人名・事項)

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大村楊城(屯)登載箇所
 第34章 惟準ならびに緒方一族の墓碑
     ※緒方一族の合葬墓(無縫塔)の碑文
        書=大村屯・撰=藤沢南岳  484頁
第36章 惟準の家族と緒方一族

      ※堀内利国の墓碑  
        書(筆)=大村屯・撰=藤沢南岳 576~580頁

藤沢南岳は墓碑、石碑の碑文の撰者として、書物(森琴石の画がある『南湫第二集』等)の序文、緒方洪庵贈位祝賀会の祝辞、周辺者の漢学の師としての紹介など。
多数登載されているので該当頁のみ記します。
368、369、450、452、457、484、546、579、713、722頁

物部誠一郎
森琴石が画を担当した『達爾頓氏生理学図』の著者
第15章 医事会同社の設立と『刀圭雑誌』の発刊
(四)医事会同社立社員名(五十一名の中に名あり)・・・214頁
第37章 緒方惟準の周辺の人々

      (2)三瀬周三の項
周三の翻訳本『日講紀聞薬物学(全20巻)』の序文を書く

その他
■森琴石長男雄次の妻「梅子」の実家、入江家の遠戚に当たる草場家、古賀家など佐賀の儒者が墓碑銘の撰者になっている=洪庵および妻の八重の墓碑銘など
■■緒方洪庵は、森琴石の大師匠にあたる「廣瀬旭荘」とは大親友の間がら。森琴石Hpでは「平成19年7月」等で取り上げています。その他森琴石Hpで取り上げた人物等、森琴石の周辺の人物が多く登載しています。

藤沢南岳、入江家=森家係累 などは、森琴石ホームページhttp://www.morikinseki.com/ のトップページ中央下のGoogleカスタム検索でお調べ下さい。
その他気になる人名等、同Googleカスタム検索をご利用下さい。

ご興味がございましたら、是非『緒方惟準伝 緒方家の人々とその周辺』をご覧頂ければと存じます。

 

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