岩本栄之助と森家…知られざる絆・・・【森琴石日記】で実証

2026年 8月11日更新


琴森琴石日記明かす
岩本栄之助森家・・・知られざる絆


森家との絆と縁
      日記で実証

岩本家と森家
・岩本家と森家は、日常的に往来
・栄之助長男「栄一」の葬儀に参詣
・栄之助自決前日に見舞う
:翌日の明け方
・・・・訃報の知らせに駆けつけ、悔やみと香典を供する
・・・・・・・・・・・・香典には「雄二」の名も入れる
・・・・

お断り:以下本文中の人名は、敬称を省略しています。
    実力不足のため、文章に不備がありますが、ご容赦ください

 

岩本栄之助
・・相場師・大阪市中央公会堂の寄付者

自決直前の背景

パトロンとしての岩本栄之助と大阪美術界

岩本栄之助氏といえば「北浜の風雲児」と呼ばれた稀代の相場師です。
大金(100万円、現在の数十億円相当)を寄付して大阪市中央公会堂を建てた人物として有名です。
岩本栄之助は、当時の大阪美術界を裏で支えた偉大なパトロン(支援者)でもありました。
若手画家の育成に資金を惜しまず、自らも書画を深く愛し、芸術家たちと密接に交流していたことが知られています。
明治から大正にかけて大阪の南画壇を牽引した森琴石とも、そうした芸術を通じた深い文化の繋がりがありました。

日記が明かす「岩本栄之助と森家」の交流
日記には、岩本家の重大な転機や不幸に際し、
森家が岩本家に深く寄り添っていたリアルな姿が記録されています。

 

森琴石日記 より 

日記に出る森家人物
ヤス=森琴石3番目の妻・森琴石との間に子はなく、森琴石の生涯を強く支えた。

雄二=森琴石の長男・・・森琴石2番目の妻「ゑい」との間に生まれる。
・・・三井銀行に勤務、銀行の祐筆を担い、取締役を最後に退職。小林一三とは親密な間柄。
   雄二の母「ゑい」は、森琴石2度目の妻。病気の為24歳で急逝…岩本栄蔵の妻の姉妹
   その後まもなく「ヤス」が森琴石の3度目の妻となる

写真

  3 4
1…森琴石北区自宅庭園
・・・左より 森琴石・妻ヤス・・・雄二は後列右から2人目

2…ヤス・昇(森琴石長女)・雄二…原版は、ガラス湿版写真
3…森琴石死亡時の新聞記事
4…「雄二」三井銀行勤続40年恩給 証書
  

日記の記述

  • 大正四年三月十九日
    日記の記述:
    〇午後ヤス岩本栄之助方ヘ方身分到来之礼ニ行

    読み解き:
    ヤスが岩本栄之助氏の元へ、何らかの礼に赴いています。日常的に両家が行き来していた様子が窺えます。
  • 大正四年四月廿八日
    日記の記述:
    〇岩本栄之助長男栄一死去午後三時安堂町寺ニ於テ葬式任事有之ヤス参詣ス

    読み解き:
    岩本栄之助の長男・栄一が亡くなり、安堂町のお寺で執り行われた葬儀に、森琴石妻ヤスが参詣しています。

    ※栄之助は翌大正5年に自決しますが、その前年に最愛の跡取り息子を亡くしていたという、岩本家の大きな悲劇が記録されています。

    森家が栄之助の家族の 重大な不幸に駆けつける間柄であったことが分かります。
    参考
    (ナカノシマ大学 公式サイトのPDF資料「tomin_vol122.pdf」8頁に記載)


    栄一
    大正元年8月誕生
    大正4年4月28日 急逝…2歳8か月
    *栄之助自決…大正5年10月27日
    ・・・    長男 栄一歿後 1年8か月後 
  • 大正五年十月廿開日
    日記の記述:
    〇午後、ヤス伏見町阿部へ罷越、金箋之義聞合、夫ヨリ備後町□田へ岩本□□之件ニ付見舞ニ罷越ス
    読み解き:
    岩本栄之助が相場で大きな損失を被り、
    進退窮まっていた時期の記述です。
    緊迫した状況のなかでも、森家が岩本家を深く気遣い、見舞いに赴いたことが分かります。

  ※10月24日にも、ヤスは備後町へ「岩本□□の件」で見舞いに赴いており、
   栄之助が自決に至る直前の緊迫した、あるいは体調を崩していた(と周囲に伝わっていた)時期にも
・・・岩本家を気にかけていたことが分かります。

  • 大正五年十月二十八日(曇小雨)
    日記の記述:
    〇ヤス朝、岩本栄之助死去ニ付悔ニ行、香資 雄二ト当名ニテ五圓供シ、菓子ヲ贈ル
    読み解き:
    岩本栄之助が自決したとされる当日(または直後)の記録です。ヤスは朝早くに悔やみに駆けつけ、香典(五円)と菓子を贈っています。

    香典の名義が雄二である点が重要です。

    ※栄之助が亡くなったのは大正5年10月27日,(株式相場での巨額の損失を背景としたピストル自決)であるため、28日という日付は、崩御・死去の報を受けてすぐに駆けつけたリアルタイムの動向を示しています。
    ※森琴石の2度目の妻「ゑい」の子である「雄二」の名前をわざわざ前面に出して連名
    にしている点が、栄之助と雄二の間に「ゑいの血筋」を介した直接の強い繋がり(雄二と従兄弟関係があったことを証拠付けます。
     

日記が描き出す真実
美術界の偉大なパトロンとして、数多くの芸術家を支えた岩本栄之助。
しかしその最晩年、岩本家は「幼き長男の逝去」というあまりにも大きな
不幸に見舞われます。
愛息を失った傷心が癒えぬまま、さらに相場で巨額の損失を被った栄之助の
絶望と孤独は、想像を絶するものだったに違いありません。
この歴史的な悲劇の渦中にあって、岩本家に深く寄り添い、共に苦難を分かち
合ったのが森家でした。

互いの冠婚葬祭を支え合うほど緊密な絆、そして言葉を超えた深い信頼関係――。
日記は、それらが生々しく刻まれた、極めて貴重な一次史料です。

 

展覧会や美術館にのこる足跡
大阪市歴史博物館「菊花図」と遠山記念館へのつながり〜

森家と岩本家の深い親交を裏付けるように、平成11年に大阪市歴史博物館で開催された特別展「岩本栄之助と中央公会堂展」では、森琴石の作品『菊花図』が展示されました。
岩本栄之助氏が琴石の芸術を愛し、手元に大切にコレクションしていた何よりの証拠です。
さらに、岩本栄之助氏と親交のあった当時の財界人たちの間でも、森琴石の画名は高く轟いていました。

埼玉県の重要文化財である「遠山記念館」の設立者・遠山元一氏(日興證券創業者)など、当時の錚々たる豪商やパトロンたちも<森琴石を敬い>、その活動を支えていました。
岩本栄之助が愛蔵した遠山記念館蔵の重要文化財『江山孤亭図』の内箱(帙)に、森琴石による題箋が付されていることも明らかになりました。

岩本家を中心として、当時の大阪の文化人・美術界がどれほど強固なネットワークで結ばれていたかが分かります。
※詳細は『遠山記念館だより 第69号(vol69.pdf)依田徹氏の解説文をご覧ください

 

当ホームページの掲載にあたって
今回ご紹介いたしました『森琴石日記』の記述は、当方において翻刻資料を閲覧中に確認できた一節です。
岩本栄之助と森家の具体的な関係性については、当方にとってもかねてより関心を寄せていた事柄であり、今回の日記の記述によって、大正期における両家の緊密な交流を客観的に確かめることができました。
きわめてプライベートな内容ですが、関係者のみが知りえる情報であり
当時の大阪の歴史を知る上でも興味深い記録であると考え、今回はこの「岩本栄之助との関係」に焦点を絞ってご紹介いたしました。

なお、本ブログにおける『森琴石日記』の紹介は、今回の記述をもちまして、ひとまず終了させていただきます。

森琴石に関する新たな情報(トピックス)がまだまだ出てきています。
(内容により、「見出し」のみ 簡単にお伝え出来るかも知れません)

森琴石日記を翻刻していただいた方々
成澤 勝嗣氏波瀬山 祥子氏池田 泉氏・早稲田大学成澤ゼミの学生 ほか 
(肩書省略・順不同です)➡ 森琴石【響泉堂】 ホームページ をご覧ください。

森琴石日記 翻刻状況
「森琴石の自筆日記帳」3冊分のうち、現在2冊が翻刻されています。

今回ご紹介した分は、膨大な内容のうち、僅か4行のみですが、大阪の文化史にとって貴重な史料になり得ます。
日記は驚くほど多くの人物が登載、美術界の出来事なども記述されております。
解読には相当な年月とエネルギーが必要で、信頼できるAIの活用が不可欠かもしれません。

皆様方の絶大なご協力、ご支援を賜りますようお願い申し上げます。

 

森琴石ホームページ 【岩本栄之助】記載カ所
日記記載の人物(森琴石妻ヤス・長男雄二)や、雄二の実母「ゑい」や、相場関係者については、
下方よりご確認ください

森琴石 調査情報【平成20年 8月】
森琴石の係累・・・聞き取りを開始 | 森琴石 What’s New
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ごちゃまぜ 資料 | 森琴石 What’s New
森琴石塾生「河村学而」=成瀬仁蔵の妻の叔父 | 森琴石 What’s New をご覧ください。
 ↓
森家資料
①-1 森琴石妻ゑい葬儀録(森家)
(明治9年4月10日、森琴石30歳 妻ゑい24歳)より

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