森琴石の稀少資料・・・『木下長嘯子之賛(東山翁)』&『邵康節伝』

2026年9月3日 更新

森琴石の稀少資料
『木下長嘯子之賛(東山翁)』&『邵康節伝』
たまたま保存されていた、森琴石の貴重な資料の一部をご紹介します。

 


森琴石の書き写し

木下長嘯子之 賛(東山翁)& 邵康節 傳


全体 16.5cmx68.0cm
右=16,5cmx29,6cm…木下長嘯子之賛・東山翁の書き印・東山翁の和歌
左=16,5cmx41.5cm…邵康節の伝記・東山翁の和歌

東山翁の和歌                    邵康節の伝記    「木下長嘯子之賛」東山翁 [印]
東山翁の和歌

  

右端資料の翻刻                                         「木下長嘯子之賛」東山翁 [印]
うき世には
いとゝ雲井の
路はなれて
み山をよハひ
すむちきりかな
(※和歌の翻刻はAIを活用しました)

  

解説
本資料は、森琴石が名家や旧家を訪問した際に書き写した2つの異なる資料を、後年ひとつにまとめたものと推測されます。

北宋の哲学者である「邵康節(しょう こうせつ)の伝記(漢文)」と、豊臣秀吉の家臣でありながら後に京都東山に隠棲した歌人「木下長嘯子(きのした ちょうしょうし)の和歌(和文)」。
この「漢」と「和」の精神、そして俗世を離れて美を見出す「隠逸(いんいつ)美学の記録」が一体化されている点に、森琴石自身の高い精神性と文人としての志向が色濃く表れています。
(※解説・分析はAIを活用しました)

 

人物の紹介

木下長嘯子  (きのした ちょうしょうし)
永禄12年(1569)~慶安2年(1649)年7月24日(6月)豊臣秀吉の家臣で、北の政所寧々(ねね)の兄、木下家定の長男として尾張に生まれる。
名は勝俊。幼い頃より秀吉に仕え、19歳に時に播磨国龍野龍野城主となり、文禄3年(1594)26歳で左近衛権少将、若狭小浜城主となる。
小田原征伐や文禄の役に参陣する。
関ヶ原の戦いのあと京都東山に隠棲。剃髪して長嘯子と号する。
和歌を細川幽斎に学び、清新で自由闊達な独自の歌風を創り上げ、近世和歌革新の先駆者の一人に数えられる。

木下長嘯子/Web書画ミュージアム より

邵康節(しょう こうせつ)
中国、北宋の哲学者、河南の人、名は伊、字は尭大、三十にして父を伊水の上に葬り其地を一生の居所とし終生官に就かず、専ら研鑽に努めた。
その宇宙論、経世論、人生観は支那哲学界の偉観であり、易占の一法たる梅花易はその工夫に成るといはれる。
その思想は易にあるが特に先天易論を執り日月星辰を天の四象とし之を根本として水火土金石を地の四体とし万象を説明せんとした。
彼はこの原理のもとに天地万物の世数を窮め時空の標準を確定し天地運行して変新する一期限を定めた。
神宗の熙寧十年歿す。年六十七。
著書に皇極終世書十二巻、観物内篇ともいう、ほかに観物外第二巻漁樵問答一巻、伊川撃攘集等がある。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)…邵康節 – ArtWiki より

 

 

 

 

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