門人名簿「末永頼太郎」=牧師、俳人、起業家、福祉に尽力…多彩な経歴

2022年3月21日 更新

 

森琴石 門人名簿に名がある

末永頼太郎…について


★画家・牧師・俳人・企業人、資産家、福祉に尽力、多彩な人脈と経歴

★山口県は
 森琴石の交流者が多く、且つ足跡が多い(今後の調査課題)

●長三州=森琴石が尊敬した人物
   ・・ 森琴石の画室名<聴香読画蘆>の名づけ親

●高島北海
・・   ”正派同志会” の発起人(森琴石は評議員)
    ”南画同志会” メンバー
・・・・備考
・・・・南画同志会=
福岡県小倉市大阪町のち米町に移る)代表は間部霞山(萬里)
・・・・・・間部萬里(間部霞山)=南画同志会広島支部代表
・・・・・・森琴石 調査情報【平成20年 2月】 (morikinseki.com) 【2】注3)

  ・・・・
海関先生詠物詩集” 橋本徳著/間部萬里校正/印刷佐伯卓造(大正7年)
・・・・・・・橋本徳=橋本海関 (序文、識に情報)

●防府天満宮との関り・・・・・伊藤石僊(森琴石門下)

王治本の、下関での画業の成功は、森琴石の貢献による

 

高島北海
1850(嘉永3)年、萩藩医の子として萩で生まれ、絵を独学で学びました。明治維新後、新政府の工部省に入り、兵庫県の生野鉱山に赴任すると、外国人からフランス語や地質学、植物学などを学び、日本初の地質図となった山口県の地質図を作ります。その後、内務省や農商務省に移り、日本各地の地質や山林を調べました。やがてフランスのナンシー森林高等学校に留学し、植物学を学びます。そこで、後に美術運動「アールヌーヴォー」の担い手の一人となるエミール・ガレらナンシーの美術家たちと交流し、多くの日本画を制作しました。40代後半から画業に専念し、50代で上京すると日本画壇の重鎮として活躍しました。
晩年、自身が名付けた山口市・萩市の長門峡や、長門市の青海島、下関市豊田町の石柱渓などの景勝地の紹介や、その遊歩道の建設、自然保護にも力を尽くし、満80歳で亡くなりました。
(山口県の先人たち=公益財団法人 山口県ひとづくり財団)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

森琴石門人名簿

森琴石控帳より

明治30年11月
日本美術協会提出 門人名簿 下書き         右から2番目
              山口県長門国赤間関市 末永頼太郎 

明治30年1月 名簿下書き 吸波

・・・森琴石HP 門人紹介では
号名を ”吸江” と記述しているが、”吸波”の間違いだったようです
・・・

 

牧師 
出典=国立国会図書館次世代デジタルライブラリ―

『日本基督教会年鑑 大正7年』日本基督教会大会事務局 ・1926年刊)
各教会役員牧師伝道師  無印=牧師 〇教師 △伝道者 ●中会未入者

(五)山陽中会教会之部(115頁)
  豊浦
   末永頼太郎 同町(山口県豊浦郡長府町)土肥山
             末永頼太郎=豊浦2段目  
・・・・・・・・・・・・・・・   
 

豊浦 末永の部分(115P) 大7

 

俳人

長府図書館輯録
『長府の学者画家俳人略伝』 資料叢書  昭和53年刊

長府の学者画家俳人略伝 S53

俳人の部 (第26頁目に掲載)

〇吸波
味月庵、末永頼太郎
〇梅既に月を吐くべき景色あり
    ・・

長府の学者画家俳人略伝 吸波 俳句(26頁)

 

 

起業家

『西西部瓦斯株式会社史 』(1982年・135 頁)

明治 44 年 9 月 2 日付
『防長新聞』記事
「豊浦郡長府町末永頼太郎氏は、今回同町へ瓦斯事業を創設せんとて目下技手をして調査せしめつつあるが、資本金は約参万円の予定なり」

・・・・・・その他多数ありますが、省略します

 

福祉に尽力

中嶌 洋、 菊池 義昭氏論文より
1900 年と 1901 年の岡山孤児院の賛助員の 全国的な支援ネットワークシステムの構築の実態 … 160010410203nakashima_kikuchi-chukyo-u (3).pdf

中嶌洋 著 · 2021 — その他、 4 月 17 日には、 末永頼太郎が家族 3 人と釘光を同伴して来院して 2 円を寄付し、 釘光は 1 月に賛助金 7 円 90 銭を集金し取次いでいた。

王治本の下関での画業

『中国, 社会と文化 – 第 24 号』 2009 ·
・・陳 捷 氏の論文 172頁目
『1870~80年代における中国書画家の日本歴遊』より

森琴石は更に王治本一昨年、大阪で毎日奔走したが、いささかも収穫がなかったのに、昨年、自分とともに地方に行き、今も下関に行っているが収益は非常に大きいと述べているのである。

(注:森琴石と中国文人との筆談内容)

 

 

 

森琴石と山口県
 森琴石HP記述ヵ所

 

森琴石調査情報【平成20年 7月】
その後、山口県赤間関分店(現下関市 M19/7)に行き、明治21年に本採用された。以来、大阪茨木(M25)・広島(M31頃)・小樽(M40)・東京から大阪西支店(M45)へと転勤を …

 

森琴石調査情報【平成12年】
山口県下関市の長岡完治氏から、明治20年に赤間関(現下関市)で描かれた「山水図」の所蔵のご連絡を頂く。琴石は赤間関には度々訪れていたと伝えられている。

 

森琴石調査情報【平成22年 7月】
【3】栗田石癖伝

…森琴石が亡くなった半年後(1921年)、「栗田石癖」が下関を訪問した際、長府の覚苑寺で開催された“がまん会“には、森琴石門下の「末永頼太郎」が出席していた。

 

 森琴石調査情報【平成13年】
森琴石は、木戸孝允と深い関係にある長三洲(豊後日田生まれの漢詩家・明治の三大書家の一人)と親交していた。明治8年に、森琴石の画室名「聴香読画廬」の由来となっ …

 

森琴石「響泉堂」関係人物紹介
儒学 -順序は門下別とする-: 廣瀬淡窓(ひろせ たんそう) =広瀬淡窓: 廣瀬旭荘(ひろせ きょくそう)=広瀬旭荘: 長三洲(ちょう さんしゅう): 光吉文龍(み …

 

森琴石調査情報【平成23年 4月】
当ホームページでは「長三洲」や「福原周峰」らと交流があり、赤間関での足跡が多いなど、山口県との関わりが深い森琴石であるが、日本最古の天満宮※として …

 

森琴石調査情報【平成20年 4月】
「鼎金城」の師匠「廣瀬旭荘」が綴った「日間瑣事備忘」や、廣瀬旭壮が口述し、「長三洲」が筆記した「九桂草堂随筆」などからは師匠「鼎金城」や兄弟子「行徳玉江」の …

 

森琴石調査情報【平成19年 7月】
廣瀬旭荘から最も信頼され、晩年の旭荘を支え続けた「長三洲」は長州の出身で、日田「咸宜園」の門生となり、萩の明倫館で講学もした。「長三洲」と共に「木戸孝允」の …

 

森琴石調査情報【平成22年 5月】
広瀬旭荘に師事し、詩文に長じた。幕末の動乱期は旭荘の影響を受けて勤皇派に与し(くみし)国事に奔走した。長三洲とも深く親交する。明治に入り、大阪若松町に開塾し …

 

らんだむ書籍館
.. 文人画家としては、東京の安田老山と京都の中西耕石を頂点とし、東京の奥原晴湖、福島柳圃、長三洲、京都の田能村直入、谷口靄山、豊後の平野五岳などがあった。

 

森琴石調査情報【平成22年 1月】
楊守敬が題纂を冠し、三条実朝(序)・日下部東作(書)・長三洲の書にかかる川田甕江の序文・伊藤博文(題辞)・巌谷一六の筆にて中村敬宇の後序、跋文に岡本黄石・ …

 

森琴石調査情報【平成19年 12月】
・・・号を<小洲 ※>と云い、書を長三洲から学んだ。 ☆花卉・園芸を趣味とし、邸内に「百樹園」と名付けた花卉園を設け、多数の花卉と共に外来種の新種を栽培していた事で …

 

森琴石調査情報【平成20年 2月】
… 米華(長三洲門下・森琴石の日誌に名あり=門人:大阪市北区 鎌田梅石(四))・ … 小室翠雲=南画正統派を自任する南画家で結成された<正派同志会>の副委員長 …

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: その他   パーマリンク

コメントは受け付けていません。